隠しものは何ですか
仕事は出来るし、頭も悪くない。与えられたものはいつだってそつなくこなす所謂才女、というやつだ。これであの弟への偏執的な愛情がなければ、きっとどこに出しても惜しくない人間なのだろう。だが、臨也にはそこが面白かった。凛として、いっそ冷たいと思わせるくらいに彼女と言う人間は研ぎ澄まされていると言うのに、弟関連になると途端にふにゃりとやわらかくなってしまう。そんなことでやわらかくなったって、波江にはいいことなどひとつもないだろうと臨也は思う。もっとずっと固く研ぎ澄まされるか、そうでなければ全体的にやわらかくなってしまうくらいじゃないと、ひどく中途半端な印象を与えることになってしまう。そんなことは多分彼女自身も気付いてはいるだろうけれど、今までもこれからも改めようとしない波江を、ただ面白いなあと思うのだ。彼女のようなひどく合理的な人間がわざわざ弱点となりうるものを放置しておくなんて。これだから、人間は臨也にとって興味深く、また愛おしく思える対象なのだ。
「――出来たわよ」
声に反応すれば、そこには当の彼女が立っていた。先程まで少し遠くにある机で作業をしていた筈なのに、ここまで近づいて来ていたことにまったく気が付かなかった自分に臨也は、ひそかに驚いた。それほどまでに考えごとに没頭していたことを、なんとなく悟られたくなく、ちっともそんなことはなかったが遅いんじゃないと言ってやった。その言葉にか、それともまったく別の理由からかいやねと言った感じでひそめられた彼女の眉は、歪んでいるというのにいつ見てもうつくしい弧を描いていた。無駄な毛など一本も生えていないのできっとせっせと整えているのだろうけれど、あの完璧に作られた表情を歪ませることなく一本、一本生えた眉を抜いている姿を想像するといつも臨也は笑いたくなってしまうし、実際笑いをこらえることが出来ない。しかも、それはあの弟のためだ。ちっとも振り向こうとしない弟のために、少しでも自分をうつくしく見せようとする彼女はとても滑稽で面白い生き物だ。
「何を笑っているの」
「いや、ちょっとね、波江さんって美人だなって思ってた」
くだらないと言わんばかりに、彼女は臨也を鼻で笑って、手にしていた書類をぱらりと彼の前に落とす。それを手に取りあらかた目を通してまた顔を上げると、再び嫌そうに歪められた眉に、軽く臨也は首を傾げる。
「何、波江、その顔」
「別に、なんでもないわ」
「知っているかい? 別にとなんでもないが組み合わされると、何かあるっていう意味になるんだ」
「……」
黙ってしまった波江は、長い黒髪をひるがえし彼女の席に戻る。宙ぶらりんの形で残された臨也はこのまま追撃しようかどうか迷ったが、結局書類をきちんと読むことを優先させた。別に今すぐ追求しなくとも波江は消えてしまわないし、それに警戒しているところを突っつくよりも少なからず油断している時に攻撃した時の方が面白い反応を得られるかもしれない。彼女がそこまで油断するかどうかは分からなかったけれど。うん、でも、と臨也は口の中だけで言葉を転がしてみせる。普段、つんとした顔をしている優等生をいじって、その面の皮をぽろぽろ落とし素顔を露出させるというのは、とても面白い作業なのだ。相手のガードが固ければ固いほど、隠しているものを暴いた時の快感は大きい。臨也は今までもずっとそうしていろんなものを暴いてきた。あらかたは忘れてしまったけれど、目を見張るもの、楽しいもの、呆れてしまうもの、悲しいものなど、どれひとつとして同じものはなかったように思う。だから、彼女の何かがとても楽しみだった。
考えごとをしながら書類に目を通すという器用なことをやってのけてから、ゆるりと顔を上げると彼女はこちらを見ていた。眉をひそめて――と言うよりも、嫌悪をむき出しにして。果たして、彼女が何を嫌がっているのか臨也には分からなかった。これから、これから、とそんな波江に笑いかけながら思う。暴くのは、これから。
「――何?」
「べ……なんでもないわ」
「そう?」
しばらく彼女は下唇を噛んで悔しそうにしていたが、しばらくするとかたかたとキーボードを打ち始めた。今も少しずつ、本当の彼女を隠すものが剥がれていく音がする。何もかもがすっかりなくなってしまった彼女は一体どんな顔をするのだろうと考えて、臨也は――彼自身まったく気付いていない、それこそが波江の眉をひそめさせる原因なのだが――大層楽しげに笑った。