太陽宮の平和な午後
ばっちーんと、太陽宮に派手なビンタと涙交じりの叫び声が響いたのは、初夏の日差しの中でのこと。
晴れ渡る空にこだましたその声に、辺り中の鳥が羽ばたき飛び去って、執務室にいたファルーシュとリオンは思わず顔を見合わせた。
「今日は、一段と響きましたね、王子」
「だね……」
見合わせた顔はお互いに苦笑い。もはや太陽宮の恒例となってしまっただけに、またかと当事者の二人を思うと呆れるよりもむしろ微笑ましくすらある。まあ、ビンタを受けた当人にしてみればこれが微笑ましいなんてもんかと頬を晴らしてまくし立ててきそうではあるが。
「リオン、そっちは頼むよ」
やりかけの書類をまとめ、立ち上がるリオンに、ファルーシュは遠くから聞こえてくる恒例の叫び声を耳にしながら、いつもの言葉。
はい、と苦笑しながらリオンが扉を開けると、飛び込んできたのが
「兄上〜〜っっ! ロイがひどいのじゃ〜〜〜!!」
わーっと泣きはらした顔で女王騎士長代行に飛びつく女王陛下だ。
「どうしたんだい、リム?」
優しく妹の小さな身体を抱きすくめるファルーシュをやはり微笑ましく思いつつ、リオンは部屋を後にする。
リムスレーアはファルーシュに任せればいいのだ。それよりも。
先ほど声が聞こえてきた方角へリオンは足を向けかけ、途中で方向を変えて彼女は通りすがりの侍女に声をかけた。
ちゃぷちゃぷと、桶の水が揺れる。
回廊を抜け、目的の姿を探してみれば、すぐにその後ろ姿は見つかった。
ちょうど太陽宮を背に、フェイタス川を望む風を装って、胡坐を組んでふてくされているらしい、見慣れた後姿。
「ロイ君」
声をかければ、はっと我に返ったように彼は振り返る。その左頬がやはり小さな手形を残して赤くはれ上がっていた。
「大丈夫ですか?」
手にした手桶と手ぬぐいを差し出すと、
「うぁ……。やなとこ見られちまったな……」
と、げんなりと肩を落とす。それでもありがたく冷たい水の入った桶は受け取って、腫れた頬を冷やすらしい。
そんな彼の顔を覗き込みつつ。
「ロイ君、姫様と仲良くしてくれるのは嬉しいですけど、あんまり姫様をからかうようなことはなさらないでくださいね?」
釘を刺すわけではないが、一応の忠告。
実際、ファルーシュが女王騎士長を代行するようになり、リムスレーアは女王の仕事をこなすようになり、お互い以前よりも気ままに過ごすこともできなくなった。特にリムスレーアはまだ10歳という歳で、普通の子供なら遊び盛り。それを、少しの間だけでもロイが相手していてくれるというのは、とても助かるのだ。
とはいえ、ロイとリムスレーアは仲が良くても喧嘩がしょっちゅうで、そのたびにリムスレーアはファルーシュの元に逃げ込んでくる。
喧嘩も時にはいいとはいえ、やりすぎるとファルーシュの仕事の手が止まってしまうのも事実なのだ。
「悪かったよ……」
むすっと、頬を晴らした彼は膨れた顔を更に膨れさせてとりあえずは返事。
それを見て、やれやれとリオンもため息。
「仲直り、してくださいね」
最後にもう一度付け加えて、膨れ面の彼がリオンの顔も見ないで片手だけ上げたのを見て、とりあえずは早々に自分の仕事に戻った。
ぱたむと扉を閉ざすと、疲れたようなファルーシュが椅子の背もたれに背を預けて天井を見上げていた。
「お疲れ様です、王子。姫様はどうなさりました?」
「部屋に戻ったよ。そっちはどう?」
「いつもどおり、でしょうか。明日になればなにごとも無かったみたいになるんじゃないですか?」
「いつもどおり、だね」
「ですね」
くすくすと、お互いやはり顔を見合わせて。
さて、滞ってしまった仕事を再開しようとした矢先。
「王子ぃ〜、姫様見かけませんでしたぁ?」
不意に扉が開き、ファルーシュはきょとんと入ってきた人物を見上げた。
「ミアキス様、姫様なら今お部屋の方へ……」
「え? でもぉ、お部屋の方にはいらっしゃいませんでしたよぉ?」
そんなミアキスの言葉に、三人ともが顔を見合わせる。
では、リムスレーアはどこへ?
「もしかして……」
ファルーシュが少し楽しげに中庭に視線を向けた。
そーっと、そーっと三人は中庭に向かう。
先ほどビンタとリムスレーアの叫び声が聞こえてきたのはここからであったが、今は違う微かな音が聞こえてくる。
「やっぱり」
柱の影からそれを見て、ファルーシュが口元をほころばせる。ついでリオンとミアキスも、驚き、そして頬を緩ませた。
「仲直り、なさったんですね」
「今まで、絶対にその日のうちは喧嘩しっぱなしだったのにぃ」
「ちゃんと進歩してるんだよ」
微笑が、中庭の陽だまりに向けられる。
先ほどまでふてくされていたロイがそこに寝そべり、昼寝をしていて、その傍らに、ロイの腕に抱き寄せられて心地よさそうに眠るリムスレーアの姿があった。
「そっとしておいて上げよう」
「ですね」
「ふふ、あ。議会の代表の方がお見えになるんですよ、そういえばぁ……」
「じゃあ、先に女王騎士長代行が用事があるからって伝えておいてよ」
「いいんですかぁ?」
「もちろん。だって、ぼくだってあんな幸せそうなリムだったらいつまでだって見ていたいもの」
こっそりかわされるやりとりと共に、太陽宮の午後は過ぎていく。
この後、議会の代表で来たタルゲイユは、しばらくの間女王との謁見を待たされたというが、温厚な老人は何も問わずのんびりと待っていたと言う。
その後それを知ったロイが謝ろうとしたらしいが、タルゲイユはなんのことかととぼけてとりあわなかったとか。