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凍える前に抱きしめて

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少しだけ軽くなった時は、この体を抱えて抱きしめてくれませんか
そうして俺をその瞳に映してはくれませんか
愛してはくれませんか




凍える前に抱きしめて




公園の隅で、とても見覚えのある姿を見つけて、声をかけた。

「帝人先輩っ!何やってるんですか?」
「あぁ……青葉君?」

愛しい愛しい先輩が、手を泥だらけにしながら、小さなスコップで穴を掘っていた。
公園の隅、季節の花が咲き誇る横に、ひっそりと。
拳一つが収まるよりは、少し大きいくらいの穴を、一人で。
その横には、よく先輩が使っているハンカチが一枚置いてある。
ハンカチの上には、スズメが一匹。

「そのスズメ……。」
「うん、さっき道で死んでるの見つけて。まだ虫も群がってなかったから、せめて埋めてあげようと思って。」
「……優しいんですね……。」

そんなことないよ、と、笑う先輩の顔は、少しだけ強張っていた。
たかがスズメ一匹のためだけに、その心が悲しんでいるのだと思うと、鳥類にすら嫉妬している自分がいた。
いや、鳥類どころか、頻繁に使われているハンカチにすらも嫉妬を覚えているのは理解している。
無機物にすら憎悪を燃やせるほどに、自分はこの人を愛しているのだ。
それはもう、自分でも恐ろしいと思ってしまうほどに、深く、深く。

帝人先輩のことは愛しすぎるが、それ以外は興味がない。
ただ、帝人先輩に愛されているものは、嫌いだ。

「穴掘るの、手伝いましょうか?」
「ううん、もうこのくらい掘れば大丈夫だろうから。ありがとう。」

先輩がありがとうと言ってくれた!
その喜びすら、今ひたすらに先輩の興味が向いているスズメへの憎悪に比べたら、些細なものだ。
あぁ、早く地面の下に埋まってしまえばいい。
いや、むしろ最初から、先輩に見つかる前に虫がわいてしまえばよかったのだ。
そうすれば、先輩の綺麗な細くて白い指が、土に汚れることもなかったのに。

そんな考えに苛まれている間にも、先輩はスズメを土の中へとそっと横たえていた。
そうして、穴を掘ったときに積まれた土を両手ですくいパラパラと少しずつスズメへと振りかけていく。
そばに座って、その様子と先輩の横顔を交互に眺めていたが、先輩はとても真剣だった。
死因も分からないスズメの命ですら、先輩は大事に扱うのだ。
それはとても素晴らしいことだが、やはり腹立たしい。

やがて、全ての土が元にあった場所に戻され、優しく地面を叩いた。
ぽんぽんと、まるで母親が子供を眠りにつかせるときの手のように優しく、もう二度と目の覚めないスズメのために。
ふと、その手を握り締めたい衝動に駆られたが必死にそれを抑えつけた。
先輩は両手を合わせて目を閉じる。きっと安らかに眠ってくださいとかそんなことを願っているのだろう。

先輩が祈っている間に、そっとそばを離れて公園の水道へ自分のハンカチを濡らしにいった。
戻ってきたときには、先輩はすでに目を開けて両手を下ろし、立ちあがっていたところだった。
使ったスコップを手に持ち、こちらを向いている。

「先輩、手を出してください。」
「え?」
「泥だらけになってしまったでしょう?拭いてしまいますから。」
「そんなっ!悪いよ、ハンカチ汚れちゃうだろ?」
「気にしないでいいですよ、そんなこと。」

慌てる先輩の意思など気にせずに、手を取り綺麗に拭っていく。
白かったハンカチは泥に汚されていくが、そんなことは一向に気にならない。
むしろ、先輩の手を汚していた泥を取り除けるのならば、そんな嬉しいことはない。
きっとこのハンカチだって、先輩の手を拭くことができて嬉しいだろう。
後で僕に捨てられる運命であろうと、幸せなことに変わりはない。

「ごめんね、洗って返すから……。あ、買った方がいいかな。」
「だから気にしないでくださいってば。……あ、でも気になるんなら代わりに先輩のそのハンカチくださいよ。」
「これ?でもこっちも少し汚れちゃってるよ。」
「気になりませんよ。」
「うーん……、じゃあどうぞ?」
「ありがとうございますっ!」

手を拭き終わり、俺達は公園を立ち去る。
先輩は何かを考えているような様子で、夕日を見つめていた。

「ねぇ、青葉君知ってる?」

帝人先輩が俺に話しかける。
俺は、なんですか?と返事をする。


「人って死ぬと21グラムだけ軽くなるらしいよ。」


俺は、その言葉を聞いたとき少なからず動揺した。
先輩の口から死などといった言葉が出てくるということは今までなかった。
何よりも、人の死などということが話題にのぼることなんてあり得ないと思っていた。

「その話なら聞いたことありますけど……。えっと、それが魂の重さってやつですよね?」
「そう、それ。軽いと思わない?」
「……。」
「どうしてそんな大事なものがそんなに軽いんだろうね。
でもそれが魂の重さならば、それはきっと大事に扱わなければいけないんだろうね。」

スズメを埋めているときに思ったんだ、と、先輩は続ける。
今までスズメを持ち上げたことなんて一度もなかったけれど、とても軽かったんだ。
人以外でも死んだら少しだけ軽くなるのかな。それは僕には分からないけれど。
命を失ったものはとても軽いんだろうね。きっと。
僕は、それがとても悲しいと思う。と。


俺は、言葉を紡ぎ続ける先輩の横顔をじっと見ていた。
正確には、夕日に照らされるその姿そのものを。
きらきらと光が先輩の髪の上を滑り落ちて、毛先で輝きを増す。
横顔は柔らかな夕日に染められて陰影をつける。
前だけを見つめている先輩の姿は、何かを探しているかのように必死で、だからこそとても美しかった。
その瞳にはすでに先程のスズメなど映ってはいなかったが、むしろ何も映っていないようだった。
どうすれば、どうすれば。

「どうすれば……、俺が映るんでしょうか。」

スズメを埋めている姿に出会ったときから渦巻いていた疑問は、気付けば口から零れ落ちていた。
オレンジ色に染め上げられた先輩の顔がこちらを向く。
その瞳は、いつかの夜のように酷く冷たくて恐ろしくて、息を止めてしまいたくなるほど美しい色を宿して。

「先輩のその目に、どうしたら俺が映るんでしょう。……愛してもらえるんですか。」

死んだスズメすらも、その目は視界に入れてくれるのに。
俺のことはこれっぽっちも瞳におさめてはくれない。
スズメが死んでしまった、と、そこから魂の重さを考えた、というように、俺のことも見てはくれないのだろうか。
見てくれないのですか、見てください、俺を、貴方の瞳に映してください。
必死にすがりついても、きっと視界の隅にすら入れてもらえないのだろう。
話しかけても、返事はあるが、彼の意識の奥深くにはきっと俺はたどり着いていない。
どうすればいいんですか、どうしたら俺を見てくれるのですか。
スズメのように、一瞬だけでもいい、俺のことを、一度だけでも。
見てください、映してください、愛して、ください。

くすり、と先輩が笑った。
穏やかであたたかな夕日に彩られながら、底の見えない冷たい瞳で。

そうして帝人先輩の口が開く。
作品名:凍える前に抱きしめて 作家名:るり子