成層圏
はっきり言ってどうやって口説き落とせばいいのかなんて、これぽっちもわかりゃしねえ。けれど勇んでやってきたロイ・マスタング大佐の執務室。大佐はオレにいつもどおりに椅子を勧めてくれて、オレはそこにおずおずと座る。いつもだったら溜めまくった報告書を提出するんだけど、今日は報告書の代わりに無理やり声を絞り出す。
「なあ、大佐。……その、アンタが女の人と一緒の時って…あー、その、なんて言うのか……、その、こ、こい……びと同士ってどうやって過ごすんだ……?」
教えてくれよと下を向いてぼそぼそと、真っ赤な顔になるって告げたオレに大佐は驚いたように眉をあげた。
「……君も、そんなことが気になるような年になったのかね?」
「き、気になるって言うか、その、オレにもその……気になる人がいて……あ、アンタはほらよく女の人と、デートしたりとかしてるからっ!」
だってオレは生まれてから数えて十六年。そういう「お付き合い」なんてきれいさっぱりしたことがないのだ。けれど大佐はきっちりかっきり大人なわけで。コイツが望むお付き合いなんてわからない。女の人、とっかえひっかえ日替わりの、コイツの好みの過ごし方って何なんだろって、考えてる時点でオレは馬鹿。
「ふむ、そうだね。手始めとしては一緒にレストランで食事。そのあとバーでも行って少々アルコールを嗜んで、お互いに気が向けばホテルでベッドイン……、おや、鋼の?」
ごん、と執務室に響き渡るほどの大音響で、書類が山積している大佐の机にオレは頭をぶつけてしまう。
涼しげな顔でにっこりとオレに笑いかけてくるこの笑顔。
ああ、神様。なんでこんな奴がオレの好きな人なんでしょうか。んでもってなんでオレはこんな奴の希望する「お付き合い」なんかリサーチしてんでしょーか。女好きの大佐が男のオレのこと好きになるなんてわけないってのに。ああ、そーだ、神様なんかいねーんだっけ。
オレは喉から声を絞り出す。
「……オレにはそんなこと出来ねえ……」
未成年にアルコール摂取はいけません。まして、ホテルでベ、ベッド……。
オレが大佐とホテルでベッ……っ!
ぷしゅううううううと、赤いままの顔で執務机の上に崩れ落ちる。そのまま机とお友達になって、顔を上げることすら出来やしない。すると大佐からはくすくすと、面白がるような笑い声が上がる。
「そうだな。鋼のにはまだ早いか」
その声に、ムカついて。せめて睨みつけてやろうと身を起こしたところにまたもや爆弾発言の攻撃が。
「……ああ、ぶつけたところが腫れてしまっているではないか。可愛い顔が台なしだ」
ばったーんと、それこそ地響きでもするかのような音を立てて今度は椅子ごと後ろにひっくり返った。ぶつけた背中がめちゃめちゃ痛い。でもそんな痛さはどーでもいい。それより、今、大佐なんて言った?か、可愛い……ってかわいいって、どんな意味?や、可愛い…って、オレのこと、か?
「鋼の……」
倒れたオレの真上から覗き込んでくる大佐の顔はあきれ顔。
「いつも思っているがね、君、ちょっと落ち着きがないぞ?」
だって、アンタがオレのこと可愛いなんて言ってくるから!!オレが落ち着くなんて出来やしねえのはアンタの前だからって言ってやったらどうだろう。ああ、神様。これぽっちも信じていないあなたに文句を言うのはお門違いでしょうけど、なんでオレはこんなヤツ好きなんですか?
畜生。
悔しすぎて涙も出ねえ。立ち上がる気力もなくて転がったままのオレを軽々と持ち上げてくれた大佐の顔にはまるで手のかかる子どもを見つめるお父さんのような笑みが浮かんでいて。
チクショウ。くやしい。完璧にガキ扱いだ。可愛いってお子様ぽいって意味だったのかよ。
「うううううるせー!!ちょっとくらいお付き合いとやらに慣れてるからってえらそーに言うなっ!!」
完璧これはやつあたり。どーせオレの想いはアンタに通じやしねーんだ。
「ふむ。ならば君も慣れればいいだけの話だな?」
にやりとした笑みを浮かべる大佐にオレの失恋は確定した。
「……アンタみたいにあっちこっちのおねーちゃん、引っ掛ける趣味はオレにはねぇんだよ……」
悪態吐く力も出ない。慣れるっつーことはオレ大佐みたいに何人もの人とお付き合いするっていうことなんだな。そーしてみろってアンタ言うの?
ああ、オレが誰と付き合おうと、そうだアンタには関係ねえ。ああ失恋だ失恋だ。わかっちゃいたけど食らったダメージで死にそうだ。
「そんな必要はない。一から十まできっちり私が教えてあげるから。すぐに君も慣れるはずだよ?」
最初はキスからだな、と、チョンと触れた唇の熱にオレの意識はオーバーヒート。
個人指導の家庭教師だと、艶やかな笑みを浮かべるロイ・マスタング。
その残像を残したまま、オレの意識は成層圏まで吹っ飛んだ。
- 終 -