池袋の日常・非日常
煙草をくわえて若干ピリピリしながら立っている静雄は一見は普通の青年だ。だから何も知らない人間は気にせず静雄の側を歩いているが、彼のことを知っている人間は決してそんな状態の静雄の3m以内には近寄らない。だから結果として静雄の周囲は無人ではないが人が少なくなる。
そんな一種緊張状態の周囲に構わず静雄は携帯の時間を幾度も確認していた。そんな行動を幾度も繰り返し、ふいに静雄が携帯から顔を上げて雑踏を鋭い視線で見た。
視線の先にいた人物たちで静雄のことを知っている者は慌ててその場を離れる。そんな人間たちの中、一人の少女が空いた人波を突っ切って駆けてきた。
「静雄さん!」
来良学園の制服を着た童顔で小柄な少女は真っ直ぐ静雄の前に駆け寄ると息を切らして静雄を見上げた。
「帝人」
少女の名を呼び、静雄は優しく笑って荒い呼吸を整えるその小さな背に手を当て撫でてやった。
その光景に、周囲の一部がざわめく。
あの、平和島静雄が。優しく、笑って。しかも少女を労るなど。普段の化け物じみた静雄の暴れぶりを日々目撃している者たちには、想像すらできなかったあり得ない光景である。
「遅くなってすみません」
「いや、ちゃんと連絡くれたし、時間通りだろ。それより、あんまり走るな。転んだらどうすんだよ」
「転ぶって、子供じゃないんですからそんなことしませんよ」
「でも転んで帝人が怪我したらイヤだから、走ったりするな。遅れてもいいから」
「よくありませんよ。でも、わかりました。なるべく走ったりしません」
「ああ」
素直な返事に静雄が笑うと少女も笑った。ふわりと花のような笑顔に静雄が赤面する。赤くなった顔を隠すように静雄は少女から顔を背け、小さな手を握って歩き始めた。
手を引かれた少女はそれに笑顔のままでついていく。喧嘩人形の怪力に悲鳴を上げることもコンパスの違いに走ることもない。それはつまり、あの平和島静雄が少女の手を握り潰さないよう加減をし、歩く速度も少女に合わせているということだ。そのことに気づいた野次馬たちのざわめきがいっそう大きくなっていく。あの少女は何者だ、平和島静雄とどんな関係だ、と。
だがそんな周囲の喧噪にも二人は気にとめず、ただ幸せそうに歩いていく。
「あー、走って喉乾いたろ。どっか茶店でも入るか」
「あ、それならこの前園原さんに教えてもらったお店があるんです。そこでもいいですか?」
「ああ、どこでもいいぞ」
そんな普通のカップルのような会話をしながら歩いていく二人に、あの平和島静雄に女子高生の恋人がいたと噂が池袋中を駆け回ったのはその日のうち。それを聞いた折原臨也が池袋に来て、平和島静雄の恋人を奪おうとして戦争が勃発したのはその翌日。そして、喧嘩人形と情報屋、その二人に恋慕されている少女も有名になり、彼ら三人を中心とした騒ぎが日常となるのもそう遠くない未来のことであった。