アポトーシス
なんでいつまでたっても汚れが取れないのだろうか?
不思議に思いながらも俺はシャワーを浴び続け、結局、赤茶けた水がいつまでたっても透明にならないことに嫌気がさして汚れを完全に落とすことは諦めてバスタブに入った。
バスタブの底に尻をつけ、浴槽に背中をつけて天井を見、またおかしいなと思った。
「なんで、こんなに温(ぬる)いんだ?」
設定温度は高めにして湯を張ったはずなのに。
変だな。
そんなに長いことシャワーを浴びていたっけ?
変だな。
変だな。
「これ、温いっていうか、冷たくないか?」
その割には浴室は湯気で白く霞んでいる。
なのに・・・
「寒い」
これは冷水じゃないか?と思ったのがいけなかったのか、体が小刻みに震え出した。
「あれ?」
なんだこれ?
ブルブルと全身が震えてとまらない。
慌てて蛇口に取りつき、赤い印の付いた方・・・つまり、お湯の方の蛇口をせいっぱい捻った。
途端ドドドドっと勢いよく出てきた湯は、確かにあったかくはあったが、浴槽の水が冷たいせいか全く温もらない。
というか・・・・
「うわ・・なんでだよ」
いつの間にか浴槽の水がうっすら茶色に色づいている。
「なんだこれ。のろわれてるのか?」
なんか寒いし、体震えるし、風呂の湯は茶色だし、赤錆みたいな匂いするし・・・
浴槽の中で俺は自分の足を抱え込むようにして丸くなった。
「寒い寒い寒い寒い」
洒落にならないくらいに寒い。
早く上がった方がいいと思うのに、湯から出ている肩が寒すぎて・・・まだ浴槽の中のほうがあったかい気がして上がる気が起きない。
「寒い寒い寒い寒い・・・・」
歯をガチガチと鳴らしながら呪文のようにブツブツと呟いていると・・・・
「兄さん!!!!!!」
突然、浴室の扉が開いて黒いTシャツ姿の弟が現れた。
「ヴェスト・・・・?」
彼は酷く取り乱した様子で着衣のまま風呂場に入ってくると、
「え?」
湯船の中の俺に手を伸ばし抱えあげて抱きしめた。
「なんだ・・・?どうした?何かあったのか?」
驚き、俺は彼の手から逃れようとしたが・・・弟は伊達にムキムキではない。彼の体はピクリともせず、逆にぎゅうぎゅうと抱きしめられてしまった。
「いてぇよ。どうしたんだよ?」
まさか、姿が見えなくて寂しかったとかか?
はは、だとしたらちょっと嬉しいかもしれないな。
なんせ、ヴェストはガキの頃からあまり俺に甘えるなんて事をしなかったから。
ヨシヨシと頭を撫でようとすると、
「なんでこんなバカなことをしたんだ!」
と、耳元で怒鳴られた。
「え?」
「え?じゃないだろう!!!!こんなバカなことをして・・・・!!!貴方はまさか俺を置いていくつもりじゃないだろうな!!!!」
俺は弟が何をいっているのかサッパリわからなかった。
わかるのは、湯の中に居るときよりもよっぽど彼の腕の中の方があったかいということだけだ。
「・・・絶対にそんなことはさせないからな!そんなことは俺が絶対許さないからな!わかってるのか!兄さん」
何故だかわからないが・・・弟は俺の肩口に顔をうずめてどうやら泣いているようだった。そしてそれでいて、怒っている。
弟の大きな体が小刻みに震え、俺の背骨を折ろうとでもするようにキツク抱きしめる。
「何泣いて・・・」
俺は弟を慰めようとまた手を伸ばし・・・そこでまた俺は自分の手が赤茶色に汚れているのに気づいた。
あぁ・・・またか。
なんだって、洗っても洗っても汚れてるんだ?俺の体は。
「兄さん・・・」
弟に軽々と抱えられて浴槽を連れ出され、俺は脱衣所にへたり込んだ。
何故だか全く足に力が入らないのだ。
弟が白いタオルで俺の体の水分を取ってくれるが・・・そのタオルもまた汚く汚れていく。
「あーもぉ、なんで・・・・」
なんでこんなに汚いんだ。
まるで重油をたっぷりと含んだスポンジみたいじゃないか。
「兄さん?」
俺の体を拭いてくれる弟の体はびっしょりと濡れていて、前髪もバラバラに乱れている。
その弟に、
「なぁ、なんで、この汚れは落ちないんだ?」
首を傾げて問いかけると、彼は一瞬の空白の後、唇を戦慄かせて新たな涙を零した。