猫
足元にいるのは、一匹の猫。
そしてここは、台所。勿論、屋内。
「なんだよコイツ…」
「……猫じゃないのか?」
「いやそう言う意味じゃなくて」
ベルガの的外れな回答にネッパーは肩を落とす。
黒い毛皮に金色の瞳。見ればゴロゴロと喉を鳴らしてベルガの足に擦り寄っていた。
『俺らは今日は料理当番でそしてここは台所で動物がいたら不味いんじゃねぇの』
そう、ネッパーが指摘しようとしたときだった。
「そういえば、あそこには犬や猫は居なかったな」
ひょいと黒猫を優しく抱き上げてベルガは言う。
あそこ…星の使徒研究所などとふざけた名前がつけられた施設は樹海の奥にあったせいか、
たまに紛れ込む名前も分からないような鳥以外の動物をほとんど見ることはなかったのだ。
黒猫は、大きな手のひらに包まれ喉元を指先で撫でられながら、心地よさそうに尻尾を揺らしている。
「…ああ、そういやそうだな」
どことなく、黒猫にベルガを盗られてしまったかのような錯覚に陥りながらも、ネッパーは答えた。
先ほど言おうとした言葉は、その楽しそうな顔を見ていると、喉に引っかかったまま出てこなくなった。
「そういえば、瞳子さんが近々犬や猫を迎え入れる、などと言っていたな」
「ふーん…じゃあコイツが?」
ネッパーがじろり、と猫を睨み付ける。
触ろうとすると、口を大きく開けて威嚇された。
いちいち癪にさわる猫だ、と思う。
「多分そうだろう。世話をしたほうがいいだろうな」
そんな一人と一匹のやり取りに気がつかずにベルガは言う。
ミルクでもやればいいのだろうか、という問いに
「それでいいんじゃねぇの」
と、どこまでも暗い瞳で見つめつつもネッパーは投げやりに答えた。
そっと青い手から黒猫を床に下ろし、ベルガは軽く手を洗った後、
食器棚から少しだけ底のある皿を探して取り出す。
皿に牛乳が注がれていくのを猫の金色の眼が見つめる。
なみなみと牛乳の入った皿が床に置かれると同時に、ざらついた舌を見せながら少しずつ飲み始めた。
ベルガが手に持っていた牛乳を冷蔵庫に直そうとしたときだ。
「…待てよ、俺も飲む」
「じゃあ、コップを…」
「ヤダね」
出してくれ、と最後まで言い切るのを待たずにキッパリと拒否する。
ネッパーのほうが食器棚からは明らかに近い。
取って欲しいコップがあるのかと聞けば、これまた非常に投げやりな口調で、何でもいいと言う。
「……もしかして、妬いてるのか?」
「…………」
ネッパーはぼんやりと、怒らせたかもしらない、などと考える。
相手の表情を読み取ろうにも、顔の上半分以上が隠されているせいでまったく分からない。
思わず気まずくなって俯いてしまう。
長い時間が、過ぎた後だった。実際には数秒だったかもしれないが。
ぽん、と頭に優しい感触。
「誰にも取られたりするわけ無いだろう」
「………けどよ」
「安心しろ、傍にいる」
見上げた顔は予想に反して困ったように笑っていて。
それでいて、くしゃくしゃと頭をなでてくるものだから。
ネッパーは、もっと早く気付けよ、と小さく抗議の声をあげることしかできなかった。
その様子を見ながら黒猫は呆れたようにただ一声。
うなぁ、と鳴いた。