name day
か細い呼びかけに顔を上げると、救出されたばかりのマイスターの姿があった。ライルは少し思案する素振りを見せ、「かまわないぜ」と向かいの席を示す。
彼はすまないと小さく呟いて、素直に腰を下ろした。
第一印象はあまり良いものとは言えなかったはずだ。いったい自分に何の用があるというのだろう。
こざっぱりした服に着替えはしても今だ疲労の色濃く残る顔を前に、訝しげな思いが頭をもたげる。あの後、旧交を温め合う二人の何ともいえない空気に辟易して、ライルはそそくさとその場から逃げ出てきたのだった。
「それで? 用があるならさっさとしてくれ」
つい突き放すような口調になった。アレルヤはポカンとしてライルを見る。大方、兄との違いを見せつけられて驚いているのだろうが、知ったことではなかった。
「その、ティエリアから話を聞いたよ。ロックオンの……彼の弟なんだってね」
「そうだけど。それが?」
リアクションだけでなく、この会話を繰り返すことにももう飽きた。蔑むように鼻を鳴らすと、アレルヤは困ったように微笑む。
まったくCBというのはお人好しの集団なのか。穏やかな笑みは他のクルーの反応と判を押したようにそっくりだった。あれだけのテロ行為を行った組織の人員がこれか。馬鹿馬鹿しい。
眼鏡をかけた美形マイスターの刺々しい態度の方が、まだ理解できるとライルは思う。
「これからマイスターとして共に戦っていくことになるから挨拶をと思ったんだ。迷惑だったかな」
「いんや、別にぃ。はいよ、ヨロシクな。じゃあ俺は行くぜ?」
所在なげにテーブルに置かれた手を持ち上げ乱暴に握手をすると、ライルは用件は終わりだとばかりに立ち上がった。
いちいち戸惑われるのも面倒だが、真っ正面からよろしくなどと言われるのも癇にさわる。本来、CBメンバーの信頼を得るのは好都合なことだったが、何故かその気になれなかった。
そのまま立ち去ろうとしたライルを、アレルヤの慌てた声が止める。
「待って! 君はロックオンの名を受け継ぐと聞いたけど」
「ああ、そうだ。ただし『継ぐ』じゃねえ、もう継いだ。今は俺がロックオン・ストラトスだ。何か文句でも?」
「そうじゃないよ。じゃあ君のことをロックオンと呼んでいいんだね? それなら良かった」
「良かったあ!?」
最後の一言に思わず素で返してしまった。
素っ頓狂な声を上げるライルに、アレルヤは先ほどまで浮かべていたどこか疲れたような笑みをスッと引っ込める。強い意志を秘めた左右色の違う瞳がライルをひたと見つめた。
「改めてよろしく頼むよ、『ロックオン』」
ライルは思わず呆気にとられた。
艦内に漂う微妙な空気。誰もが自分のことをロックオンと呼ぶことをためらっていた。例外は初対面からそう呼びかけてきた刹那くらいだったが、ここにもう一人奇特な人物がいたわけだ。
俄かに興味がわいてきた。
ライルは立ち去るのをやめて、再度腰を下ろす。アレルヤは不思議そうな顔をした。
「なあ、アンタさ、何で良かったなんて思うんだ? 普通嫌がるだろ。俺と兄さんは別人なんだぜ?」
彼は少しだけ首を傾けて、値踏みするようにライルを見つめる。細められた瞳は鋭く、この男がただの脳天気なお人好しではないのだと伝えていた。
「別人なのはわかっているよ。トレミーのみんなが君をそう呼ぶのを嫌がる気持ちも何となくわかる気がする」
「じゃあ」
「でも、僕にとっては別人だからこそ同じコードネームがありがたい」
「……どういうことだ」
それだけでは意味がわからない。思わず装っていた道化の仮面を外し、真顔で彼を見返してしまう。
アレルヤはフッと微笑んだ。
「やっぱりそうだ、よく似てる。僕はあまり器用な方じゃないから、心の切り替えが上手くない。君のその顔を見るたびロックオンと呼びかけてしまいそうだ」
「………………」
「でも君も『ロックオン』なら、それは間違いにならないだろう? だから良かったと思って」
「――はあ?」
何だその理屈。しかも本人に言うか!?
そうは思ったものの、アレルヤがあまりにもあっけらかんとしているので、ライルは毒気を抜かれてしまった。これは「いい人」というよりちょっと「ずれた人」の部類に入るのではないだろうか。
「アンタ……けっこう言うよな」
「え?」
ライルに呆れた口調で指摘されて、アレルヤはパチパチと瞬きをした。そしてふいに俯いて頬を赤く染める。
だから何でそこで赤くなるんだよ!
「す、すまない。僕はまた何か気分を害するようなことを言ったかい?」
「や、まあ、そっちは別にいいんだけどよ。そのすぐ赤くなる癖なんとかなんねえのか? いい年したヤローのんな顔見たって嬉しくも何ともねえよ」
「え、あ、ご、ごめん」
慌てて自分の頬を両手でぺたぺたと触っているアレルヤは、先ほどの不適な顔をした男と同一人物とはとても思えなかった。ギャップがあまりにも酷すぎる。図体ばかりでかくなって、心は子供のままなのか。
そこでふと疑問に思い、ライルは訪ねた。
「アンタ、いくつだ?」
「え? いくつって……年齢のこと?」
「ああ」
この状況でコーヒーの砂糖の数を聞くやつがいるとでも思うのか。つっこみたい気持ちを抑えて、辛抱強く返答を待つ。
だが、アレルヤは困ったように顎に手をあて考え込んでしまった。
「う……ん、いくつなんだろう」
「おい!」
自分の年がわからねえヤツがいるかよ、と言いかけてハッと気がついた。そういえばこの男はアロウズに長い間収監されていたのだ。その暗い監獄の中でどれだけの時が流れたのかわかろうはずもない。
「最後に戦いに出たときは二十歳だったんだけど……」
壮絶な記憶のはずだが存外明るく告げるアレルヤに、ライルはため息をついて言葉を紡いだ。
「兄さんとはいくつ離れてたかわかるか?」
「あ! 彼の方が五つ年上だったよ」
「じゃあ今のお前は24歳だろ。ガンダムが姿を消してから4年経ってるしな」
簡単な引き算だ。29歳の自分から五つ引けば答えは出る。だがライルはわざと過ぎ去った年月を付け加えて、年を重ねることのなかった兄の存在を隠した。
彼は遠くを見るような目つきをする。
「そう、もう四年も経ったんだね」
その後に、自分が捕まってからと続くのか、ロックオンが死んでからと続くのか、ライルには計りかねた。
代わりに椅子を引いて立ち上がると、彼に背を向けて今度こそ終わりを告げる。
「もういいだろ? じゃあな」
「あ……、引き止めて悪かったよ」
追いかけてきた謝罪の声に、踏み出しかけていた足を止めた。そのまま振り向くことなく、ライルは聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。
「まあせいぜいよろしく頼むぜ――アレルヤ」
背後でふっと笑うような息づかいが聞こえた。年の割に高い子供のような声が「うん、よろしく、ロックオン」とささやく。
その名前は、彼が初めて自分を呼んだ音と同じはずなのにどこか温度が違って、兄を呼んだものではないとはっきり分かる。
――間違えるも何もないじゃないかよ。
アレルヤの中で今だ息づく兄の存在を感じ取り、ライルは小さく笑った。