某月某日(偽)
あいつと暮らすようになってから、部屋を掃除する回数が増えたのは確かだあね。
以前は精々新発売のゲームを積んでるくらいだったし、それも完クリした後までとっとく趣味はないから、ソッコー捨ててたと思うし。その辺は記憶が曖昧で自信がないけど、あの猫と出会う前はきっとそんな生活だったと思う。
それが今や、あいつが食べ散らかしたジャンクフードのゴミから、
(一度ハマると短期間は執着するから、同じ袋菓子が山のように積んであったり)
まだ全部読んでないって言ってあちこちに複数伏せてある漫画雑誌っしょ?
(好きな作品だけ先に読んじゃうからこういうことになるんだけどね。おもしろくない漫画まで読まなきゃいいのにって言うと、せっかく買ったんだからもったいねーだろ!と怒られるんだよねえ)
壁際には空き缶が戦利品のように並んでるし……
(ビールは案外少なくて、コーラとかファンタとか炭酸系が主かな)
無機質だった部屋をこれでもかとばかりに彩ってくれてます。ああなるほど、これが人の住んでる部屋ってやつね……って感じ?
葛西さんなんかはその状態を見てあきれて苦笑してるけど、片づけるのはもちろんもっぱら俺の役目だから、最近はそんな俺を見て笑ってるのかもしれないと思ったりする。
元々部屋が片づいていようと散らかっていようと、頓着する性格じゃあない。たとえば腐ったものが冷蔵庫に入っていたとしても、それを口にしなければ何の問題もない。そうでしょ?
一度、徹ゲー状態のあいつが散らばっていたCDケースを踏んで足の裏を切ったので、それ以来危険そうなものはざっとまとめて部屋の端に寄せることにしている。それだけ。
だから今日、掃除機を掛けていてベッドの下に感じた手応えを引き寄せてみたら、埃まみれの古い雑誌が出てきたのもそう不思議には思わなかった。
首を捻ったのは、まるで小学生が読みそうなその漫画雑誌に見覚えがなかったから。自分が読んでいなかったのはもちろん、あいつが好んで買っていた物とも違う。普通の週刊誌よりも判の小さなそれは妙に分厚くて、パラパラ捲ると黄ばんだページから黴の匂いが立ち上った。うーん。さすがのあいつもこれを捨てるなとはいわないよねえ。
次の古紙の日にでも出そう。玄関の隅にその雑誌を置くべく腰を屈めたとき、脳裏にふっと幼い子供の声が甦った。
『これ、時任の兄ちゃんにあげる!』
――ああ。
ああ、そうだった。あの子供は漫画を描いてるんだと言っていた。最後にこの家に来た日、漫画じゃなくてただのイラストだけど……とはにかみながら、自分の送ったハガキの絵が掲載されているこの雑誌を持ってきたんだ。
俺にとっては何の意味もない雑誌の一頁。でもあの子には宝物だったんだろう。兄ちゃんに出会わなければ多分ハガキを送ったり出来なかったから――と言って、少ない小遣いで買っただろう雑誌をあいつに渡していた。
あいつは「いいのか?」と一応遠慮しながらそれを受け取って、やっぱり宝物みたいに、大事そうにページを捲っていた。しばらくはリビングのテレビの横に置いて、何度も繰り返し同じ箇所を開いて嬉しそうに紙面を撫でていたのを覚えている。
それでも時の流れっていうのは確かに存在するものだから、日々の生活や自分自身の問題に向き合う時間を過ごすうち、段々と雑誌を手にする機会が減った。そして何かの拍子でベッドの下に滑り込んだこれを、あいつは探すことさえしなかった。きっと無くしたことにも気付いてないんだろう。
うーん。となると、前言撤回かな。玄関に置いたこれに気付けば……そしてその重要さを思い出してしまえばきっと、あいつはまた「絶対捨てんなよ!」と言うに決まってる。
そして、大切なものを見つめる瞳で飽きることなく同じイラストを眺め続けるんだろう。当時のように。
俺には――見向きもしないで。
俺はその雑誌を取り上げて、軽く埃を払った。寝室に戻りそれを床にそっと置くと、傍らにあった掃除機の先でベッドの下の奥深くまで押し込む。おそらくはほぼ正確に、元にあった場所へ戻せたと思う。
これであいつは、偶然これを見つける日がくるまで、あの子供に手渡された大事な宝物のことを忘れ続ける。あいつの興味は、新しいものへと向けられるものだから。
新しいゲーム、新しいお菓子、新しい漫画、新しい……情報。
俺はそれにつきあうフリをして、あいつの過去を一日ずつ手に入れている。いつか、あいつの進む未来に俺が存在しなくなってもいいように。少しでも多くの時間を共にすごせるように――。
たとえば。
たとえば、もしも俺が忠犬なら、主人の探している物を見つけたときには報告して、頭の一つも撫でてもらうだろう。
狂犬なら、主人の心を占める自分以外の存在には牙を剥きだして吠えて、跡形もなくかみ砕いてしまうに違いない。
けれど俺は駄犬だから、主人の大事な物を差し出す素直さも、壊してしまう度胸もない。
ただ、なかったことにするのが精一杯で。
そうしてまた、心の奥底に甘美な罪悪感を抱えたまま、血塗られた両手で今夜も君を抱きしめるのだろう。
臆病者の俺は君を抱きしめることで、持っている勇気の全てを使い果たしてしまうから。