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HONEYsuckle

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[Game Over]([0]の裏側)


 鬼道はまるで寝付けない子供のような疲れ果てた顔をしていた。人気はない代わりに車が行き交う、深夜一時の鉄橋の上。円堂が急な電話に飛び起きて寝癖もそのままに駆け付けた、二十秒後のことだった。
「別れよう」
「…お前はいつも突然だな」
 明るすぎる照明で星は見えず、円堂は隠すことも出来ない顔を必死で作り笑顔で埋めて、黒く染まる胸中を閉ざして口を開いた。
「…そっか。そうだよな。分かったことだし。まあ、思ったより長かったよな。もうあれから七年になるんだもんな」
 言葉を探すように振り絞る鬼道を手で阻止して、円堂は緩く首を横に振る。別れをあっさりと受け入れた割に歪められた、歯を食いしばるような顔だった。無理矢理に笑おうとして、まるで何かを引き千切るような歪な声になる。
「そういうのはさ、ナシにしよう。お互い様だし、全部ちゃんと、分かってたし。今さらだろ」
 鬼道は落ち着いているように見えた。円堂にはそれが遣る瀬なかった。
「…そうだな」
「ああそうかぁ、もう、終わりかあ。だよなぁ、鬼道、大学出たし、彼女とだって九年も付き合ってるんだろ。そりゃもう結婚するよなぁ、だよなぁ」
 雑音混じりに聞こえる円堂の声はずっと掠れていた。排気ガスで曇ったような空に似合わない目をして、吐き出す言葉は、自分に言い聞かせているようにも、誰かを責めているようにも感じられた。似合いもしない、悪びれた言葉だった。
「円堂…」
「泣くのも、ナシな。分かってたことじゃん、俺もお前も、ずっと。約束ちゃんと守れよな。あと結婚式には、たぶん、行かない。ごめん」
「…分かってる」
 自分の言葉に傷付いているのは紛れもなく円堂の方だった。そう仕向けていた。鬼道はそれに触れようとはせず、円堂の望む最後を、同じ筆を握るように、描いていた。
「俺がありがとうと言ったらお前は、どうする?」
「そんなのやめろよ、頼むから。だって悪いの全部俺なのに、そんなのおかしいじゃんか。殴られるのは、俺の方なのに」
「もう、仲間や友達にはなれないんだろうな」
「…それは多分、捨てなきゃいけない幸せなんだよ」
 円堂は目を逸らしたまま、川面に反射する市街地の光を見つめていた。星空はまるで塗り潰されたように一色の淡い黒に包まれているのに、そこには光がいくつも散らばっていた。
「罰は、俺だけにあたれば良かった」
「それ次もう一回言ったら怒るからな」
「…さようならだな」
「鬼道も幸せにな」
「お前も」
 鬼道は視線を円堂に向けて、一瞬目を見開いた後、震えるように笑った。円堂は光が瞬く景色を瞳に映したまま、唇は緩やかに弧を描いて、泣いていた。いくつも涙が落ちた。儚くて、綺麗で、その涙を嘘で包んで、円堂は笑っていた。ありがとうもない。握手も、本音もない。
「…うん、なんて言える訳ないよな」
 優しい嘘に満ちていた。最初から最後まで、あたたかな裏切りだった。円堂が自分を偽ってまで一緒に道を外れてくれた、その決意だけで満たされていた。約束は守ろうと誓い合ったから、もうなにも恐れはしない。
「こんなのってないよな」
 呟いた声はぶっきらぼうには響きはせずに、似合わない弱々しさでもって空気を揺らした。排気ガスで粒のような光が生まれるように、何を言おうとこの声はいつも変わらない。たくさんの思いを孕んで、重さに耐えかねてなお曲がりはしない。
「円堂」
「こんなこと思わなきゃいけないなら、何も最初から無ければ良かったのに。傷付けるだけなら、昔の俺達のままでいたかったのに。俺、今生まれてはじめて後悔した」
「…俺を好きにな」
 鬼道が言い掛けた言葉を掬うように口付けて、最後なのだなと円堂は思った。もうキスをすることも、手を繋ぐこともない。鬼道を傷付けることも、嫌われる不安に怯えることもなくなる。大好きなこの人に会うことはもうないだろう。次の瞬間からは他人なのだ。大好きだった。誇らしかった。
「サッカーに出逢わなきゃ良かったなって」
 大嘘つきは優しく笑って、手を離した。最後の感触が遠ざかるのを追い掛けるように、円堂の涙で濡れた鬼道の頬を温かなものが伝った。

 胸に溢れたのは感謝と名残惜しさと思い出ばかりだ。こんな別れをどうやったら忘れられるだろう。あんな幸せをどうしたら消してしまえるだろう。溢れ続ける涙を拭ったら、それでも自分は前を向くのだ。円堂は決して振り返ることはなく帰途に着き、街灯が途切れ途切れに並ぶ暗い路地で、星空を見上げて相変わらず流れ続ける涙は何度も口に入る。

作品名:HONEYsuckle 作家名:あつき