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HONEYsuckle

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but it is NEVEREending.


 すぐには消せない恋だった。ほんの少しの油断で感覚はまざまざと蘇って、気付けば腕は虚空へ伸ばされていた。懐かしい夢も何度も見た。円堂がすぐ隣で笑う夢だった。それは現実どこかで起きているはずのことなのに、目が覚めたとき目尻には涙の痕が残っていて、それは紛れもなく自分の未練で、鬼道もまた何度も頬を拭った。
 気付けば十年近くが過ぎていた。時が経つのはあっという間だった。あの頃は一瞬さえ尊くて、限られた猶予は濃く重かったはずなのに。時間はまるで砂のように流れていたはずなのに。
 円堂が結婚すると風の噂に聞いた。式には呼ばれないだろうし、鬼道自身それを断る理由を作れる位には忙しく働いていて、知らない内に全てが片付くのを待っていた。怪しむ者もいるかもしれないが、円堂も鬼道の結婚式へ行かなかったのだから、欠席は特に追及されることはなく人々の記憶の隅へと追いやらるだろうと思う。所詮他人からすればその程度のことなのだと言われた気がした。誰にも理解されないことが辛かった。知らず知らずの内に、気持ちは表面を荒れさせた。
 あれから精一杯に家庭を大切にしてきたつもりだった。家族を好きになることで思い出さないようにしようだなんて狡いことは考えていないつもりだった。過去に置き去りにしたのは円堂への思いだけで、前を向いて、薄れそうな記憶にはすがらないで、手探りでも人を愛そうと思ってきた。
 約束を果たさなければならないのだ。形ばかりの居場所ではなく、心から笑っていられるような幸せを掴まなければならない。それでも時には足が縺れた。結局一歩も前には進めていない気がしてしまう夜もあった。
 きっと踏み出せたはずなのだと鬼道は何度となく考えて、尻込みする自分を封じ込めていた。この苦しみを打ち明けられる相手はいなくて良い。妻が自分を愛して支えてくれていることも分かっている。子供のことも愛している。それでもこの先に、円堂といた頃のような幸せはないのだろう。


 街で偶然円堂を見掛けた。相手の顔は見えなかったが、女性と寄り添うように歩いていた。何年も経ってようやく目の当たりにした約束の残酷さは、引き裂くような力で胸に爪を立た。抉られた心には不快感が詰まって、侵されることはないと信じていた思い出は絵の具を溢したように、一過性の感情で塗り潰されてしまった気がした。
 何処かで期待していたとしたら、自分はあまりに醜くて狡いと思った。円堂は一生自分の胸の中だけにいると言い聞かせていたなら、それは自己欺瞞も良いところだと思った。初めから心の隅では全て諦めていて、そのくせ失意に満ちた未来を想像出来ずに浅はかでいて、物語は必ず幸せに終わると信じていた。
「お父さん泣いてるの?」
 握り締めた袖を引っ張ったのは小さな子供だった。鬼道が短く否定して笑いかけると、子供は慈しむような顔で笑顔を返した。血が繋がっているのに自分に似ていない子供だと鬼道は思った。愛しくて純粋で人を思い遣れる子供だった。
「…心配するな。泣くようなことなんて何もない」
「そうだよねえ」
 照れたような顔で子供は笑って、鬼道はその頭を力なく撫でた。その手付きは穏やかで、それでいて酷く寂しげだった。
「ねえ何処に行くの?」
「日が沈むのを見に行こう。この町で…」
 言葉を切って鬼道は小さく息を吸い込んだ。声が震えそうになってその先が言えなかった。その先に続く言葉にはあまりに彼の気配が染み付いていた。彼が教えてくれた言葉だった。彼が教えてくれた場所だった。円堂守という人間が、一番に愛した場所だった。
「…この町で一番…」
 子供は首を傾げて一方先を歩いた。小さなその歩幅に合わせて後を追いながら自然と口から漏れた、転ぶなよという一言が、まるで父親のようで鬼道は肩で小さく笑った。父親なのだから当たり前だ。
「一番なあに?」
 とても大事な場所なのだと子供に伝えることは無かった。町の至るところにかけがえのない思い出は溢れていて、映画館もプラネタリウムもバッティングセンターも、学校も河川敷も、特別なことに変わりはなかったが、円堂を此処まで強烈に彷彿とさせる場所は他には無い気がしていた。二人きりで此処に来たことはなかった。だから余計に、幸せだった頃の余韻を残していた。それはつまり最後まで自分は、何処かではずっと片思いのような気持ちでいたのだ。そう気付いた瞬間、草間を分けるような細い風が吹いた。頬を撫でるように、風は耳元をすり抜けていった。
「うわあ、お父さん、すごい」
 子供を通して発せられたその言葉は、あまりにも偶然に鬼道の声を代弁した。ただ鬼道の感動は夕日や景色に対してではなく、未だにそこで彼を待ち続けるタイヤの存在に気付いたからだった。鉄塔広場と書かれた看板は少し朽ちて、時間の流れは克明に感じ取れるのに、その場所だけがタイムスリップしたかのように何も変わらなかった。
 遠くから鬼道を呼ぶ子供の声が聞こえた。後ろ髪を引かれながら子供を追って、鬼道は光の灯らない町のシンボルを見上げた。彼を思い出していた。苦しくても忘れられないのに、輪郭がぼやけた記憶は決して鮮明とは言ないのだ。どんなに大切な思い出であっても、人は忘れていく。
「お父さん」
 子供の声にはっとなって振り返ると、その手には汚れすぎて正体が曖昧になったサッカーボールが抱えられていた。別に一目で誰のものかなんて分からない。確証もないただの期待だったが、鬼道は恐る恐るそれを受け取って尋ねた。
「何処にあったんだ?」
 子供は短い指で低木の下をさした。大人ではまず入れないような小さな隙間に、鬼道は手を伸ばして息を止めた。振り返って見上げた夕日は何故だか見覚えがあるような色で空を埋め尽くし、足が地から浮くような心地で見た景色は、素っ気なくてどこか遠くて、色鮮やかだった。まるで記憶が巻き戻されるように恋しさが込み上げて子供を抱き締めた。見られたくはなかった。目には薄く涙が滲んでいた。
 空は屈んだ分遠くなって、それでも腕の中の温もりで夕日の赤に溶けた心地になる。子供の体温は高かった。円堂の背中も、いつも子供みたいに熱を帯びていて、今でも手はその体温を覚えているのに掴めない。幸せはずっと此処にあった。望めば手に入って、見落とせば指をすり抜ける。滑稽で情けなくて、今更すぎる自分に涙が落ちた。気付くのが今じゃなければ物語は変わっていただろうか。

作品名:HONEYsuckle 作家名:あつき