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トランバンの騎士

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【11章】真夜中の来訪者


 夜半の大雨に、佳乃の意識は眠りの底へは落ちず、浅い眠りを繰り返していた。
 浮かんでは沈む意識と浅い夢の狭間に揺れ、佳乃がころりと寝返りをうつと、きしりと音を立ててベッドが軋む。
 初めて目が覚めた朝は知らない香りのしたベッドであったが、すでに5ヶ月以上その上に身を横たえている。知らないはずの部屋もベッドもすっかり自分の匂いが移り、今では自然に『自分の部屋』『自分のベッド』と思うようになっていた。
(……エンドリューさんに屋根直してもらっておいて、良かった……)
 止まない雨音に、佳乃はぼんやりと考える。
 あの時エンドリューに雨漏りを直して貰わなければ、今頃少年達は部屋から飛び出して大騒ぎをしていたはずだ。まずは雨を受け止めるための桶を用意して、濡れた場所をキレイに拭く。改めて今夜の寝る場所を確保して――
(たまには礼拝堂で、みんなでお泊りってのも、いいかも)
 ネノフが子ども達に男女の違いを教えている気配はまだないが、基本的に男女別々の部屋に割り振られている。ズィータや双子と請われて時々一緒に寝るのを、イオタがおもしろく思っていないのは知っていた。となれば、一度みんなで同じ部屋に寝るのも、良いガス抜きになるかもしれない――そんな事を考えながら、佳乃は寝返りを打つ。
 なかなか寝付けない。
 雨音のせいで寝付けないのだ。
 そう思う。
 思うのだが――それだけでないことは、解っていた。
(……トランバンを開放するのは、ハイランド……)
 先日の集会を思い出し、気分が沈む。
 もう一度眠りにつこうと目を閉じてはいるのだが、一向に睡魔はやってこなかった。
 温かい褥で何度も寝返りを打ちながら、佳乃は古い記憶を探る。
 佳乃が知る『ドラゴンフォース』というゲームで、『イグラシオ』という騎士が守る『自治領トランバン』を『領主ボルガノ』から開放したのは、『ハイランド王国』の若き王『ウェイン』だった。
 つまり、『時』さえ来ればトランバンは佳乃達が何もしなくとも開放される。
 イパの妻や村人達が犠牲にならなくても済むのだ。
 その時さえくれば。
(待っていればいい。待っていれば……)
 待っていればトランバンは開放される。村人の誰も犠牲にならずにすむ。
 まさか、そう吹聴して村を回るわけにも行かず、佳乃は言葉を飲み込み口を閉ざす。佳乃にできることは、待つことだけだ。
 普段あまり孤児院の敷地から出ないように、ベッドの中で背筋を丸めて佳乃は自分にそう言い聞かせた。
 今は我慢。今は待つ時――と自分に何度も言い聞かせるが、寝付けない。
 待てばいいのは解っている。
 が、待っている間は決してイグラシオの苦悩が晴れることはないと、佳乃は知っていた。
「……」
 しばらくベッドの中で丸くなってはいたが、なかなか寝付けない。
 佳乃は諦めて体を起すと、ベッドの横に置かれたミューの揺りかごを覗き込んだ。
 眠っていたために闇に慣れている目が、濃紺に支配された世界でミューの白い肌を見つける。夜目とは不思議な物で、普段であれば顔の造作などわからない程の暗闇の中にあるはずなのに、すやすやと安らかに眠るミューの表情がはっきりと見えた。
 大人である佳乃ですらも寝付けない雨音だというのに、ミューはぐっすりと眠っている。
 それが少しだけ羨ましく――愛おしかった。
 佳乃は眠るミューの髪をそっと撫で、微笑む。
 不思議な気分だった。
 自分が産んだ子どもではないのに、これほどまでに愛おしいと感じるとは思わなかった。始めは抱くことさえ戸惑ったというのに。今ではおしめを代える事も手馴れたし、背負ったままどんな仕事でもこなせる。
(……?)
 不意に、雨音に混ざって別の音が聞こえた気がして、佳乃は首を傾げる。
 耳を澄ますと雨粒が地面に落ち、地面に溢れた雨水とぶつかり合って弾ける水音、窓を叩く雨粒の音に混ざって、微かに規則的な音が聞こえた。
「……こんな時間に、お客様?」
 トントンと扉を叩く音に気が付き、佳乃は瞬く。
 雨音に掻き消されていて聞き取り難いが、微かに扉を叩く音が聞こえていた。
 佳乃は扉を叩く音を不審に思いながらも、ベッドから足を下ろす。
 盗賊か? とも思うが、盗賊であれば扉は叩かない。
 ではミューが孤児院に来た夜のように、また捨て子か? だとしたら早く迎え入れてやらねばならない。
 佳乃にとって、今一番『起こってほしくないこと』は盗賊の襲撃でも、新しい子どもが来ることでもない。
 先日の『集会』に絡んだ内容で、何らかの動きがあることだけだった。
 佳乃はそっとベッドを抜け出してショールを肩にかける。
 眠るミューの額に一度唇を落としてから、佳乃は部屋を出た



 燭台に明かりを灯して、佳乃は暗い廊下を歩く。
 子ども部屋、食堂、と各部屋の前を通り過ぎ、すぐに玄関へとたどり着いた。
 厚い扉の向こうには、真夜中――それも大雨の夜――に孤児院へ用のある者がいる。
 扉の前に立つとはっきり聞こえるノックの音に、佳乃は首を傾げた。
 ノックの音は聞き間違いではなかったが、こんな時間に来客というのもおかしい。
 佳乃は不審な来客に、声をひそめて訊ねる。
「……どなたですか?」
「私だ」
 恐るおそる声をひそめて聞く佳乃に、玄関の前にいる人物からの答えはすぐに返ってきた。
「……イグラシオさん?」
 聞き覚えのある声に、佳乃は眉をひそめながらもすぐに扉の閂を外す。あまり大きな音を立てないようにと、そっと扉を開けると――そこには確かに雨具を纏ったイグラシオが立っていた。



「いったいどうしたんですか? こんな時間に……」
 イグラシオの突然の訪問にも驚いたが、その時間帯にも驚いた。が、佳乃はそんな事は脇においてイグラシオを家の中へと招き入れる。扉を開けたままでは自分も寒かったし、何より明かりに照らし出されたイグラシオの顔色があまり良くないように見えた。
 とにかく早く部屋へと招き、体を温めるなり、濡れた髪を拭くなりしなければ――と、佳乃は無言のまま家の中へと入って来たイグラシオの雨具の留め金に手を伸ばす。ぽたりっと、冷たい雫が一つ佳乃の手の甲に落ちた。
「身体、冷えていませんか? すぐに何か……」
 温かい飲み物でも、と続けようとしたのだが、佳乃にされるがまま雨具を脱いだイグラシオはそれを遮る。
「いや、構うな」
「でも……」
 眉をよせて言い淀む佳乃に、イグラシオは苦笑いを浮かべた。
 本当ならば、雨具を脱ぐことなく玄関先で用件を片付ける予定だった。佳乃に誘われてつい家の中に上がりこみ、世話をされるままに雨具を脱いでしまったが、あまりゆっくりできる時間はない。
「無理矢理時間を作ってきた。長居はできない」
「……そうですか」
 イグラシオから預かった雨具を壁にかけ、佳乃は視線を落とす。
作品名:トランバンの騎士 作家名:なしえ