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トランバンの騎士

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 仕組みはわからないが、なにかしらの防水加工のなされた布なのだろう。雨具の表面は雨粒を弾き、水を下へしたへと流していた。とはいえ、日本で売っているようなビニール傘やカッパのほどの威力はないらしい。雨具の表面は確かに水を弾いているが、形を整えて壁にかけようとした佳乃はその内側にも触れている。しっとりと水気を含んだ内側は、トランバンに帰る途中で用をなさなくなるだろう。
 佳乃は改めてイグラシオを見上げる。
 よくよく考えると、もうひと月以上逢ってはいなかった。
 雨具と同じく水気を含み、重く顔に張り付いたイグラシオの銀髪から、雨粒が伝い床に落ちる。
 佳乃は、まずは髪を拭く物をとも思ったが、自分のショールをイグラシオの肩にかけた。顔に疲労が色濃く滲むイグラシオには、まずは休息が必要だ。孤児院に来たということは、ネノフに用があるということだろう。ネノフを起して取り次ぐ合間に、本人が辞退しようとも温かいお茶を入れる。そう佳乃は考えた。
「すぐに、シスターを起して……」
「いや、用があるのはおまえだ」
「え? わたしですか?」
 イグラシオの意外な言葉に、佳乃は瞬く。
 イグラシオが孤児院に来る用事といえば、ネノフの様子を見にくるか、子ども達のために食料を運びに来るぐらいだ。佳乃を目当てにやってくることなど、これまで一度もなかった。
 瞬いた後、首を傾げた佳乃の変わらない仕草に、イグラシオは僅かに口元を綻ばせた。
 先日――といっても、もうひと月以上過ぎている――別れ際に見せた佳乃の異変が気になり、どうにか時間を作って顔を見に来たのだが、それは取り越し苦労だったらしい。不思議そうに瞬く佳乃の顔に、先日見せた混乱はない。
「……先日の、別れ際の様子が気になってな」
「あ……」
 ひと月以上前に交わした『もう一度来る』という約束を、佳乃は遅れて思いだした。
 それから、そっとイグラシオから顔を背けて俯く。
 ひと月も前の話を気にかけていてくれた事が嬉しくも気恥ずかしく、また申し訳がなかった。
 イグラシオは無理矢理時間を作って来たという。無理に時間を作ったとしても、こんな雨の日に、しかも夜中にしか訪ねて来られないほどにイグラシオは忙しいのだ。そして、忙しい理由はなんとなく判る。先日の集会のように、領主への不満を爆発させた領民がトランバン周辺での蜂起を起しているのだろう。村から出ない佳乃には、そういった話の詳細は聞こえてこないが、本来ならばイグラシオがトランバンを離れられない状態にあることぐらいは想像できる。
 そのイグラシオに無理矢理時間を作らせてまでトランバンから遠く離れた孤児院へと足を運ばせた事が申し訳なく――久しぶりに逢えたイグラシオの存在を心の片隅で喜んでいる自分もいる。
 それがたまらなく恥ずかしかった。
「わたしの事より、イグラシオさんは大丈夫なんですか? なんだか、すごくお疲れのようですが……」
「私のことは心配いらぬ。少しばかり疲れているだけだ」
 予想通りのイグラシオの答えに、佳乃はそっとため息をはく。それから沈む気持ちを誤魔化すように微笑み、イグラシオに視線を戻そうとして――向けられていた真摯な青い瞳に目を伏せる。正面から見据えることが、少しだけ怖かった。
「それで、なにかあったのか?」
 わずかに目を伏せた佳乃に、何かあったのか? と聞きつつ、イグラシオは悟る。これから聞こえる佳乃の答えがどうであれ、『何かあった』事は間違いない、と。
 自分の質問に再び視線を上げ、またすぐ俯いた佳乃に、イグラシオは眉をひそめた。
「私では、力になれぬことか?」
「そんなことは……」
 静かなイグラシオの言葉に、佳乃は迷う。
 イグラシオと最後にあった日、佳乃に起こった変化といえば、『ここ』が『レジェンドラ大陸』だと自覚したぐらいだ。あまりのことに動揺し、あの時は何ともいえなかったが――よくよく考えてみれば、ここを『レジェンドラ大陸』と知る前と、佳乃の状況にはなんの変化もない。佳乃が『別の世界』から『ここ』へきて、またそこへ帰りたいのだという事に。
 静かに自分を見下ろすイグラシオの視線から逃げるように、佳乃は俯く。
 先日の集会では、大人の男達相手に一歩も引かずに自分の意見が言えたというのに。
 なぜイグラシオを相手にすると、こんなにも自分は相手の反応が気になるのだろうか――?
 答えの出ない問いに、佳乃はそっとため息をもらした。



 2人向かい合っての、しばしの沈黙。
 先に沈黙を破ったのはイグラシオだった。
 俯いたまま言葉を捜している佳乃に、イグラシオは諦めてため息をはく。
 頑固なところまで、ネノフに似てきた、と。
 雨音以外音のない部屋に、イグラシオのため息は奇妙に大きく響いた。
 その音にびくりと震えた佳乃の肩を見て、イグラシオは目を細める。
 あまりこういうことは、得意ではないのだが――俯いたまま視線を逸らしている佳乃を見下ろし、イグラシオは口を開く。
「……たしか、ヒックスの事を聞いてきたな」
 イグラシオはひと月前の記憶を手繰り、話題を振る。
 ややあって顔を上げた佳乃に、それは『はずれ』だと解った。佳乃の異変に、ヒックスは関係していない。
「ヒックスの出奔と、関係があるのか?」
「そういう訳では……」
 一瞬だけ自分を目を合わせ、また逸らす佳乃にイグラシオは考える。
 他にあの場で交わされていた会話となると、トランバンに暴徒が向かっているとエンドリューが知らせを持ってきたが、それは佳乃やネノフには聞かせなかったので関係がない。
 ヒックスについては、佳乃の方から聞いてきた。
 さらに他に何かなかったか、と考えてはみるが、これと言って何も浮かんでこない。
 ただあの日は子ども達が疲れ果てるまで遊んでやり、自分は佳乃に家事を手伝わされた。とはいえ、孤児院にきた時は可能な限り子ども達とは遊んでいたし、家事を手伝うこともあった。別段、あの日に限ってしたことではない。
 では、他にも何かあっただろうか? 何かあったはずだ。そう記憶を探るイグラシオに、佳乃は再び視線を合わせてきた。
「いえ、その……ヒックスさんの出奔は、わたしが余計なことを言ったからかもしれません」
「余計なこと?」
「時々礼拝堂で、何か考え込んでいるようでした。その時に、少し……」
 先ほどまでは目を逸らしていたくせに、急に饒舌になった佳乃に、イグラシオは眉をひそめる。
 嘘は言っていない。が、話題を逸らそうと『乗って来た』だけだ。自分から視線を合わせながらも度々逸らされる視線に、佳乃が言葉を捜しながらしゃべっているのが解った。
 なにか自分に対して言いたいことはあるが、言い出しにくい。
 そういう事だろう。
 時々何かを言おうと口を開き、またすぐに閉じる佳乃に、イグラシオはため息をはく。
 佳乃は自分を軽んじて何かを打ち明けないのではない。
 言おう、言おうとはしているが、あと一歩の勇気が足りないのだ。
「……ヒックスのことなら、おまえの気のせいだ。あれは……おまえが何を言おうと、そう遠くないうちに騎士団を抜けていただろう」
 ぱくぱくと口を開いては閉じる佳乃に、イグラシオはこれ以上の言及を諦めた。
作品名:トランバンの騎士 作家名:なしえ