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紺碧の空 番外編【完結】

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紺碧の空 6





 その日の昼間、勤務中のアーサーのデスクに一本の電話が入った。
 左官にもなると直接電話に出る事も無く、デスクワークとスケジュールを管理している部下によって対応され、内容を精査されて重要な相手か用件のみの場合に取り次いで貰う事になっていた。お陰で中身の薄い通話には関わる事無く済む様になっていたのだが、午後一番に鳴ったベルを受けた若い軍曹が何やら酷く困っている様子だったので、どうかしたのだろうかと奥のデスクから怪訝に眺めていた。
(どうせまた厄介事か何かなんだろ)
 若い幹部候補生をいびるのを何よりの楽しみにしている年配のベテラン将校から、やたら面倒な用事を頼まれる事など最早日常茶飯事だった。美味しい所だけは持っていって後始末は下任せ。体の良い尻拭いなのだ。
 完全なる縦社会として確立している軍隊という組織に身を置いている以上、仕方が無いとは思うけれど、ぐったりと辟易する気持ちを抑え切れなかった。
 部下に用件を聞かせて適当にあしらってやるかと自分の仕事に戻ろうとした矢先に、すみません少佐、と困惑気味の声が追いかけて来た。
「あの……。本田様と仰る方から、緊急のご連絡だと」
「本田?」
 軍曹の口から飛び出した名前に、アーサーは驚いて思わず目を瞠る。
 本田と言う名前の知り合いはたった一人しかいない。脳裏にミステリアスな黒髪と黒い瞳を持つ穏やかな表情の菊の顔が浮かび、益々アーサーの思考を混乱させた。菊が自分に一体何の用事があると言うのだ。
「はい。すぐにテレビを点けて英国放送を見るようにとの事です」
「テレビを?」
「ええ……ひどく慌てた様子でして」
「……?」
 勤務中の海軍将校に向かって、よもやテレビを点けろだなんて、とても正気の沙汰とは思えなかった。しかし相手は本田菊なのだ。あの常識を絵に描いたような真面目な彼に限って何か意図する事も無く、浅慮のままに無責任な事を口走るとは思えない。然も自分と菊はそれほど親しい仲と言う訳ではなく、どちらかと言うと彼は弟の方と懇意にしているのだ。だとしたら、アルフレッドではなく自分に急用の連絡をしてくる心当たり言えば、それはアルフレッド本人の身に何か起きたのだとしか思えないではないか。
 一体、何が起こったと言うのか。
 瞬時に沸き起こった疑念にドクドクと心臓が早鐘を打った。保留のまま待たせているらしい電話に向かって手を指し伸ばしかけた、その刹那。
 ビー、ビー、ビー、ビー、と館内放送のスピーカーから異常事態発生を知らせる緊急放送が流れ、浮遊していた指先が空中でビクンと弾けた。
『本日ヒトマルサンマル、ブライトン駐屯地にて行なわれていた飛行演習にて衝突事故発生、パイロット候補生二名が海上に墜落、消息不明。至急救援に向かう事。本日ヒトマルサンマル、ブライトン駐屯地にて行なわれていた飛行演習にて衝突事故発生……』
 繰り返し放送される男性オペレーターの冷静な声音は、しかし耳に入るや否やアーサーの全身を戦慄させるに充分な働きをした。途端に目の前が暗くなったのは、きっと気の所為では無い。極度の神経失調により血圧が下がり、文字通り頭部から血液が引いてこめかみの血管が鈍く痛み出す。医学書で読んだ通りの緊張方頭痛の症状が己の身体でも如実に再現されていた。
 菊からの突然の電話。
 弟の所属している飛行中隊のあるブライトン駐屯地での墜落事故。
 隣接しているこの海軍基地に向けられた援助要請。
 これらの材料から導かれる回答は、そのおぞましき現象は、最悪の想像としてアーサーの脳裏に一つの信じ難い結論を誘った。
「……っ!」
 次の瞬間には、アーサーはカーペットの床を蹴って走り出していた。デスクのある執務室からドアを蹴破って荒々しく飛び出し、考えるよりも身体が馴染んだ導線を辿って全力で駆けて行く。向かった先は多くの軍船が着岸している寄港ターミナルで、自身が艦長を務める護衛艦まで迷う事無く一直線に駆け抜けた。
 救援要請の発生により忙しなく行き来している部下達を押し退けて通信室に乗り込むと、敬礼を以って艦長を向かえた筆頭航海士の胸倉を鬼気迫る勢いで掴み上げる。
「……状況、は」
 全力疾走の影響で瀕死すれすれの乱れた呼吸の中にありながら、双眼だけは獲物を捕らえた獣の如くギラギラと獰猛な閃きを放っていた。その気魄に満ちた眼差しにベテランの航海士もひっ、と喉を引き攣らせる。
「答えろ。あと何分で出艦出来るんだ」
「はっ……あの、十五分後には」
「五分だ」
 吐き捨てるように命令を下して掴んでいた襟首を投げ捨てる。緊急事態とは言え出港準備を五分で終えろと言うのは職権乱用にも等しい無茶な要求だとは重々に承知していた。だが一刻の猶予も許されないのだ。
 その足でアーサーは無線機を使った情報管理を担当している通信士の元まで歩いていき、目線だけで退却を促して半ば強引にヘッドフォンを奪い取ると、己の耳に押し当てた。鼓膜には途端にザーザーと独特の耳障りなノイズ音が流れ始め、消息不明となったパイロット候補生の捜索状況の情報がダイレクトに入ってくるようになった。
 回線のつまみを操作しながら無線から得た最前線の情報によると、このポーツマス海軍基地から数十キロと離れていないブライトン駐屯地にて行なわれていた航空飛行の演習中に、突如として機体の一機に故障が発生したらしく、編隊が乱れ、制御し切れなかった機体が並走していた隣機に衝突。海上に墜落が確認され、すぐさまヘリによる救援部隊が出動したのだが、予想以上に潮の流れが早い為にヘリからでは容易に海面に近付けない事。そこで海に投げ出された二人を確実に救助する為に、一番近い海軍基地であるこの基地へと救援部隊の要請が入った事を知った。
『……消息……絶っている……隊員……ドリュー・サミュ……少尉、……フレッド……ーンズ少尉……』
 ざわついた音声の中に最愛の恋人の名を見付け、アーサーは瞬きも忘れて無線の聞き取りに集中していた瞳を忌々しく眇める。遂に最悪の想像が現実になってしまった。
 パイロット候補生は何もアルフレッド一人だけでは無いのだ。こんな風に考えるのはヒトとして完全に失格だとは思うけれど、大切な弟を、愛しい恋人を想う身分としては、どうか被害に遭ったのはアルフレッドでは無いようにと願わずにはいられなかった。しかしその卑怯な祈りが聞き入れられる事は無く、愚かな男の思惟を嘲笑うような無情さで厳しい現実が容赦なく突き付けられていた。
(アル……っ!)
 胸の中で弟の名を呼号し、アーサーは白い手袋を付けた掌をきつく握り締める。
 別離を告げられても、もう二度と会わないと言われても、正式に弟を失った訳ではないと心の何処かでは高を括っている自分がいた。