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紺碧の空 番外編【完結】

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紺碧の空 2





「アル。おい、起きろよアル」
「……んー……」
 しつこく名を呼ばれて、重たくなった瞼を苦労して開いてみると、こごなった金糸の髪からポタポタと滴を垂らしているアーサーが自分の顔を覗きこんでいた。どうやら疲れて眠りこけている間に、彼はさっさとシャワーを済ませてきたらしい。
 解かり易く乱れたシーツの上で、アルフレッドは一糸纏わぬ姿で毛布に包まっていた。
 実家に帰る前に立ち寄ったアパートの一室で、飢えた獣のように互いを貪り合った後だった。彼とは子供の頃にそういう関係になって以来、今も変わらずにそういう関係が続いている。外国に居た頃は家の中に二人きりだったのでする場所には困らなかったけれど、この国の実家には義父なり義母なりが常時在宅しているので、どちらかの部屋でするのは躊躇われた。良い年をした息子の部屋に彼らが乱入してくる機会も中々少ないとは思うけれど、流石に良心が痛むのだ。英国で最も主要な宗教であるキリスト教の、彼らも例外では無く熱心な信者であり、愛する息子とその義弟が身体の関係があると知れば哀しませてしまう事は容易に想像が付いた。
 どうしても我慢できなくて抱き合ってしまった事もあったけれど、声を出さないようにとその時は気が気じゃなかったし、行為後の罪悪感足るや想像を絶する苦痛だったので、それ以降は誘われても断るようにしていた。
 義母からは日曜日のミサに一緒に行きましょうと何度も誘わていたが、休日はアーサーと遊んで貰える日だからと誘いを断り続けて、彼が両親に内緒で借りている郊外のアパートで落ち合い、昼間からセックスをする。そんな習慣をもう何年続けているのだろう。
「もう時間なのかい?」
 顔中に眠たいんだぞ、というメッセージを貼り付けてもそもそと呟けば、彼はあからさまに呆れたような顔付きになって嘆息した。
「すぐに出なきゃなんだから、此処で寝るなよ」
 今にも下瞼と上瞼がくっつきそうになっている目尻にキスが落ちてきて、前髪をサラリと掻き上げられる。露になった額にも春先の雨のような優しいキスがいくつも降って来たので、その居心地の良さにそれ逆効果だよ、君は俺を眠らせたいのかいと文句を言おうとしたら、すかさず母さんが楽しみに待ってるんだろ? と悪戯めいた声で囁かれて、途端にパチリと目が開いた。
「そうだったね。起きないと」
「父さんもこっそり上等な酒を取り寄せてたぜ。お前と飲めるのを楽しみにしてんだな」
「ほんとかい?」
 うわ、と感嘆の声を上げてパチパチと目を瞬かせる。今度こそ眠気も気だるさも一気に吹き飛んでしまった。
 カークランドの家の人たちは、血の繋がらない自分を本物の息子のように可愛がってくれる恩人達だった。家族の居ない自分にとって、それがとても恵まれた環境だと実感するには充分過ぎるほどの材料で、彼らに言えない心苦しい一面もあるけれど、だからこそ応援してくれる義母さん達の為に飛行中隊の中でぐんぐん名前を上げて恩返しするのだと堅く心に誓っていた。
「えっと……義姉さんは?」
 躊躇いがちに小さく尋ねると、優しく髪を梳いていたアーサーの手がほんの一瞬だけ強張った、ような気がしたのは単なる気の所為かも知れない。それだけ自分の方が彼の反応に過敏になっていて、自意識過剰になっている証拠なのだと少しだけ落ち込んだ。
「あいつは今、実家に帰ってるから」
 素っ気無く告げられた通り、アルフレッドもそうなんだ、と軽い調子で返した。
 アーサーの言う所の「あいつ」とは、彼の妻に当たる女性だった。自分にとっては義理の姉になる人だ。
 約二年間に及ぶ海外勤務を経て本国に戻ったアーサーは、皇室に縁のある由緒正しき家柄のお嬢様と婚約し、その一年後に晴れて結婚した。式は盛大に取り行なわれ、アルフレッドも勿論参列して「おめでとう」と笑顔で祝辞を述べた。自分が家を出たのは、新婚生活を送るアーサーの邪魔になりたくないと言う意味合いも大きく含まれているのだ。
 アーサーに婚約者が居た事は知っていたし、お嫁さんを貰っても良いから傍に置いてくれと言ったのは自分だった。君と別れるつもりは無いけれど家は出るよと言うと、アーサーは前途の通り郊外に秘密の逢瀬部屋を作って鍵を差し出して来た。それを受け取る事に逡巡する事も無ければ、悪い事だとも思えなかった自分は、どれだけ罪深い奴なのだろうとも思う。
 一方が妻帯者になったからと言って、関係を清算しようとはどちらの口からも出る事は無く、その話題自体が深く触れてはいけないタブーなのだと互いに暗黙の了解のまま今に至っている。
「シャワー、行って来るね」
 アルフレッドは気だるい身体を起こして気持ちを入れ替えようとガシガシと髪を掻き乱し、ナイトテーブルに用意されていたバスローブを纏ってシャワールームへと去っていった。