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愛しい物語の終わり

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土曜日・午後


 みるみるうちに白眼がうるんだ。涙は目の縁に溜まり、重力に抗い切れずに白い頬を滑り落ちた。そのまま顎先にしばらく留まり、ぽたり。
 これが、三ヶ島沙樹の反応の一部始終だ。紀田正臣はそれを見ていたし、折原臨也も見ていた。正臣は口元を引き結び、臨也はうっすらと微笑を浮かべていた。沙樹の涙は、堰を切ったように止まらなかった。それが呪いの正体だった。



 突然臨也がアパートに押しかけてきて、事の経緯を説明された。とは言っても、詳しい事情は教えられず、分かったのは死を偽装してここを去るということだけだった。まるで現実感の無い話だ。
 正臣は考えた。もし、何も知らされずに臨也の葬式に直面したら、沙樹はどうなっただろう。臨也が、それを分からないはずがなかった。それでもこうして事情を伝えて行くということは、この別れは本物だということだ。自分達がおろおろするのを隠れて面白がっているなんてことは、決して無い、ということだ。
「泣かないで、沙樹ちゃん」
 臨也は、いつもとは違う黒いトレンチコートを着ていた。会って早々に沙樹が指摘すると、いつものは穴を開けてしまったとおどけて見せていた。
「だって私、臨也さんがいないと、どうしていいか分からないのに……!」
 喉から絞り出すように、沙樹が言った。沙樹は頼りなく臨也のコートを掴み、反対の手でしきりに涙を拭っていた。控え目な仕草だったが、沙樹は普段、臨也に対してそんな真似をしたことは無かった。沙樹はあの一件以外、臨也の意に反するようなことは一切しなかった。
「そんなこと言わないの。君には紀田君がいるだろう?」
 臨也は微笑んでそう諭したが、沙樹は無言で首を振るばかりだった。臨也はそっと沙樹の手を離させようとしたが、沙樹はぎゅっと力を入れて離さなかった。幼子のように必死で、真っ白になった指先を見下ろして、臨也は静かに嘆息した。ちらりと正臣に視線を向け、それから、沙樹の頭をぎこちない仕草で撫でた。
「しょうがないなあ、沙樹ちゃん。特別だよ。君って、本当にラッキーな子だよね。俺に拾われて、紀田君を捕まえて。分かってるのかなあ、分かって無いんじゃないかなあ?」
 臨也は淡々と呟きながら、沙樹の涙を拭った。擦りすぎて赤くなった目元を、親指の腹で撫でる。沙樹は驚いてぱちりと瞬き、涙が臨也の親指を濡らした。沙樹はぐすりと鼻をすすった。唇がわなないた。
「……いやだ……いかないで……」
 正臣には、確かにそんなふうに聞こえた。しかし実際、ほとんど声は出ていなかった。臨也は一瞬目を細め、それから深呼吸をするように肩を上下させた。
「またコートを買うのは面倒だから、汚さないでよ」
 そう宣言すると、臨也は沙樹の背に腕を回した。引き寄せる力は弱かったが、沙樹は素直に腕の中に納まった。
 沙樹は、目を皿のように大きく見開いていた。涙と一緒に目玉が零れ落ちそうだ。ころりと転げ落ちた目玉はコートのポケットに紛れこみ、一緒にどこまでも付いて行くのだろう。だけど、目玉はいつまでも眼窩に納まっていたので、沙樹はぎゅっと目を閉じて、目の前の黒い塊にしがみついた。
 正臣はずっとその光景を見ていた。沙樹は、親離れ出来ない雛のように震えていた。正臣には、沙樹がどうしてここまで臨也を慕うのか分からなかった。それを理解するためには、沙樹と臨也の物語を知らなければならないし、沙樹の昔の物語を知らなければならなくて、今はまだその時では無かった。だから、正臣は映画の観客のように、じっと目の前の物語を見つめていた。この先この女の子を、ひとりで何とかしてやらなければならない。
「羨ましい?」
 ふと、映画俳優が正臣に語りかけた。
「いいえ、全然」
「ああ、沙紀ちゃん可愛いなあ。キスしちゃおっかなあ」
「死ねよロリコン」
 正臣が嫌悪も露わに吐き捨てると、臨也は相対して優しげな笑みを浮かべた。
「ああ、死ぬとも。心配しなくてもね。だからこれは餞別」
 言うが早いが、臨也は沙樹の顔に顔を近付けた。
「うわああ!!」
 予想外の暴挙に正臣は叫び声を上げ、臨也に飛びかかろうとした。しかし、臨也は待ってましたとばかりに正臣に沙樹を押しつけ、二人がもつれている間に玄関へ向かった。
「泣いてくれてありがとう、沙樹。嬉しかったよ」
 臨也は、気障ったらしく言った。去っていこうとする背中に、沙樹が叫ぶ。
「いつか帰ってきますか!?」
 臨也は玄関の扉を開けながら、半分だけ振り返った。
「そうだなあ。良い子にしてたら、いつかのクリスマスにでも戻ってくるよ」
「絶対! 絶対ですよ!?」
「分かった、約束する。だから、二人で仲良くするんだよ? 君は特別な子だ。大丈夫だよ」
 臨也はにこりと笑みを浮かべ、ドアノブから手を離した。自然と扉が閉まり、臨也の姿は見えなくなった。正臣と沙樹は、しばらく閉じた扉を見つめていた。外はざあざあと雨が降っていた。

「うわ、何? 痛いよ」
 正臣が、沙樹の唇を自分の袖で拭った。沙樹が嫌がって顔を逸らす。正臣の腕を掴みながら、沙樹が充血した瞳で正臣を見た。
「あんなの、臨也さんがフリしただけだよ。してないよ」
「本当に?」
 正臣が疑いの瞳を向けると、沙樹は視線を逸らした。
「なんかほっぺに当たったような気がしないでもないけど……」
「わー! 早く消毒しないと! つーか、とりあえず顔洗って来い!」
 沙樹は泣き腫らした顔できょとんとすると、声を上げて笑った。


 あの日、長い長い呪いが解けた。そして、新しい呪いがかけられた。


作品名:愛しい物語の終わり 作家名:窓子