二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

愛しい物語の終わり

INDEX|10ページ/13ページ|

次のページ前のページ
 

日曜日


 表通りから隠れるように、ひっそりと佇む喫茶店。どこか懐かしい雰囲気の店の片隅で、矢霧波江は折原臨也と向かい合っていた。それぞれの前には、白いコーヒーカップが湯気を立てて鎮座している。臨也はそれに角砂糖を二つ落とし、波江の前にシュガーポットを差し出した。
 波江は真っ白なそれを視線だけで見下ろし、それから臨也の顔を見た。オレンジ色の照明に照らされた男は、いよいよ明日、この街を去るらしい。

「で、話って何かな」
 臨也はのんびりと尋ねかけ、コーヒーに口を付けた。少し暑いくらいの陽気なのに、コートを着込んで体を縮込めている。
「首のことよ」
 波江はぴんと背筋を伸ばし、はっきりとした口調で告げた。
 先週の週末開け、波江はいつも通りに事務所に出勤し、そして室内が綺麗に引き払われているのを発見した。驚きはほとんど無かった。臨也の仕事を手伝いながら、いづれこうなる、いまにこうなると言い続けていたのは波江だった。波江は臨也の行方に興味は無かったし、事情を知りたいとも思わなかった。しかし、気になることが一つ。首の在り処だ。
 波江はがらんどうになった事務所を一通り探し歩いたが、首どころか紙切れ一枚落ちていなかった。波江が置いていた私物の文房具も無い。本やファイルでぎゅうぎゅうだった本棚も、今まで足を踏み入れたことのなかった臨也の私室も、全て空っぽだった。波江はほとんど期待せずに携帯に連絡したが、やはり連絡は付かなかった。臨也が残して行ったものは、波江の口座に振り込まれていた過剰な退職金だけだった。
 そのまま一週間が過ぎ、それきりになるかと思われた。しかし突然、臨也の方から連絡して来たのだ。これ幸いと波江は臨也を呼び出した。臨也は渋ったが、結局こうして波江の前に現れた。
「駄目だよ。返してあげられない」
 臨也は、最初から波江の用件を分かっていたようだった。
「どうして? あれは本来、私のものよ」
 首は本来セルティのものだ。そうでなければ矢霧製薬、もしくはそこを吸収したネブラのものであるはずだが、波江は当然のようにそう言った。臨也は苦笑して、コーヒーカップをソーサーに戻した。
「君ね……まあいいけど。よく考えてごらんよ。俺が首を返したとして、君はどうやって首を所有し続けるんだい? 俺がここを去れば、間違いなくネブラが動く。今度はモデルガンじゃ済まないよ? 君は別に、首と心中したいわけじゃないんだろう?」
「それは、貴方にも言えることなんじゃないの? 首に執着している私が持ってないと知れたら、貴方が追われることになるわ」
「そう、だから、優しい俺がリスクを背負ってやろうと言うんじゃないか」
 慈愛深く微笑む臨也に、波江はきつく眉を寄せた。
「結構よ。貴方の欺瞞はもううんざり。私には、あれが無いと駄目なのよ」
「それは、君の弟のためだろう。いや、弟の気を引くため、か。どうせ取り上げられるんだから、もういいじゃないか。君にせよ、君の弟にせよ、もう首を所有することは出来ないよ」
「それでも、所在がはっきりしなくなるのは嫌なの」
 波江は、苦しげな表情で首を振った。コーヒーは手を付けられないまま冷めていく。臨也は、困った子供を見るような目で波江を見ていた。深い溜め息。
「悪いけど、駄目だ。諦めてくれ」
 視線を落としていた波江は、コーヒーの表面に小さな波紋が出来ていることに気が付いた。
「……貴方、本当に中東にでも持って行くつもりなの?」
「いや? どうして?」
「貧乏揺すり」
 波江が指摘すると、臨也はぱちりと瞬いた。自分では気付いていないようだった。
「おっと、失礼」
 臨也は自嘲気味に微笑むと、コーヒーを一口啜った。波江のコーヒーは静かになった。
「怖いのね」
「寒いんだよ」
「今日は暑いくらいよ」
「冷え症なんだ」
「あら、初耳ね。私もよ」
 臨也は、黙ってコーヒーに逃げた。会話を止めると、隣の客のお喋り、食器を洗う音、聞き覚えのあるメロディ。
「……その、聞いてもいいかしら?」
 波江が躊躇いがちに尋ねると、臨也は静かに頷いた。
「貴方、一体、何をしたの? これからどうなるの?」
 臨也はカップを置き、しばし沈黙を保っていた。波江の見つめる先で、臨也の瞳がゆらゆら揺れていた。
「……何もしてない。どうなるかも分からない」
「そんなことあるわけ無いでしょう」
 子供をたしなめるような言葉に、臨也は苦笑した。
「それが本当なんだよ。笑っちゃうよね。勝手に勘違いされて、命を狙われて……本当、馬鹿みたいだ」
 臨也はごそごそと椅子に座り直し、背もたれに体重をかけた。
「つまり、日頃の行いが悪かったのね」
「運が悪かったんだよ」
「それは、日頃の行いが悪いせいよ」
 臨也のコーヒーはもう空になっていた。出来損ないの表情で、臨也は笑った。
「そうかもしれない」
 波江は深く嘆息すると、口を付けていないコーヒーをそのままに席を立った。そして、身を屈めて伝票に手を伸ばす。それに気付いて、臨也は先に伝票を取ろうとした。
 臨也の視線が真っ直ぐ伝票に向けられているのを確認して、波江は手を振り上げた。
 派手な音がして、周囲の視線が一気に二人の元に集まった。波江は、臨也の頬を打った右手を擦った。手の平は熱くて痛痒い。臨也が咄嗟に身を引いたので、爪が変に当たって頬から唇を引っ掻いた。
「ふふ、一回やってみたかったのよ。清々したわ」
 波江は、鮮やかな笑みを浮かべて臨也を見下ろした。臨也は頬を押さえて目を丸くし、それから皮肉な表情を浮かべた。
「……不思議だね。これでお別れだっていうのに、いろんな人が俺に新しい顔を見せるんだよ。とんだ意地悪だ」
「それは、貴方、自分がそんなに意地悪なのに、自分が意地悪されないなんて、そんなことあるわけないでしょう」
 波江は、今度こそ臨也の前から伝票を取り上げた。
「お詫びに、ここは払っておくわ」
 波江は優雅に微笑んでみせると、代金を払って店を出た。

 外から店内を振り返ると、臨也は席に突っ伏して笑っていた。


作品名:愛しい物語の終わり 作家名:窓子