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ところにより吹雪になるでしょう

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高3/夏/水谷


 昨日見たときはただ黒く得体の知れない轟音だった海が、今はぼやけた風景の中で紺色を繰り返す。蒸し暑かった夜は空の向こうに消えた。朝とも夜とも言えない、行き場のない青が街を、海を、浜辺を、自分までもをクリアに染めてしまうから、少し肌寒くなって思わず水谷は腕を閉じた。そろそろ九月が近い。
 前を歩く栄口が青い砂に足を取られ、バランスを崩した。肩に背負ったリュックも心なしか疲れている。水谷が思い出しているのはさっきのうつむいた栄口の顔だった。結局一睡もできず、疲れはよりいっそう増しただけだった。あんな環境じゃ当たり前のような気もしたが、水谷はそんな栄口とはまた別の理由で眠れなかった。お互いそうだったのなら一晩中くだらないことを喋っていればよかった。栄口が砂に落としたスニーカーの跡を目で追いつつ、自分に残された時間は少ないことをまた噛み締める。
 どすりと鈍い音がした方に視線を上げると、栄口が砂の上で不恰好に座っていた。手に持っていたはずの飲みかけのペットボトルがするすると転がっていくのに、肝心の栄口は腰を上げようともしないから、波間へと持っていかれそうなそれを水谷が慌てて拾いに行った。
 転んだままの栄口はぼんやりと水平線を見ている。寝不足だからか、眉間に皺を寄せ、いささか不機嫌な顔は珍しい。
「……海だなぁ」
 栄口が誰に言うでもなくつぶやくから、水谷にはその一言が自分に対するものなのか、瞬時には理解できなかった。疲れた首筋と不自然に凝っている肩をけだるげに、景色の開けた方へ目を向ける。
 確かに海だった。日はまだ昇らず、すべての境界がぼやけているが、ざわめく波の音とどこまでも続く深い紺は海を主張する。数時間前、確かに目標としていた海がここに広がっている。
 薄闇は日に焼けた首筋をより濃くさせる。帽子やユニフォームに覆われていない顔や腕はどうしても日光を浴びてしまうから、夏が終わった後の二人の身体はあまり格好良くない感じに焼けていた。あと何歩歩いたら靴の中に砂が入ってくるのだろう。今になってようやっと靴のことへ気が回った自分に疲れた笑いが出そうになった。
 ペットボトルを渡し、横に腰を下ろしたら腕と腕が触れ合った。栄口はまだ海を見ている。いくら埼玉に海がないとはいえ見飽きないのだろうか、そう思う水谷は、栄口の腕から伝わる微熱っぽい体温に心を通わすなんて馬鹿なことを試してみるのだった。
 水谷の嫉妬は深く、それは栄口の指が這ったあとの砂にまで及ぶ。盗み見た横顔に思わず出そうになったため息を堪え、どうして栄口はこんなに格好良くなってしまったのだろうかと考え直してみる。一緒に過ごした三年間で二人はそれ相応に背が伸び、筋肉がついた。かろうじて身長は水谷の方が高いけれど、骨格の違いなのだろうか、どうも栄口の方が格好良く思えてしまう。
『かわいい子なら、なにもオレなんかと付き合わなくてもいいじゃん』
 「そういう問題じゃない」と口から出掛かったけれど、結局言えたのは「もったいないことするなぁ」なんていう自分らしい間抜けな言葉だった。でもあの時は本当に生きていられなかった。
 最後の大会、惜しかったね。今まで忙しいかなって言えなかったんだけど、私ずっと栄口くんのことが……。
 その女子生徒が放った死の宣告を一句一句間違わずに覚えているのは、水谷がそのまま栄口に告げたいものだったからだ。女子は本当にうらやましい、栄口に告白できるし、また栄口から愛してもらえる資格もある。
「……水谷、出て来いよ」
「ば、ばれてた……?」
「趣味悪い、全部聞いてただろ?」
 水谷が神様へ一生に一度のお願いをする前に栄口はその子をあっさり振ってしまった。苦し紛れで矢継ぎ早に質問をしてしまう。誰? かわいいじゃん? なんで振ったの? 実際のところ知りたくもなかったが、水谷は間が持たなかった。うるさいなぁという前置きの後、栄口が言った台詞があれだった。
 未だ水谷には栄口が誰かのものになるなんてどうしても耐えられない。けれどどうすることもできない。やり直しがきかないなら尚更伝えられない。すっぱいものを食べたときのように喉の奥がきゅうっと収縮する。好きにならなければよかったと何度自分を責めただろう。けれど今更まともに戻れるとは思えない。最近すごく自分と栄口の周りが終わりに向かって収束しているような気がする。
 心の中にいくつもの言葉が浮かび、そのたび遠慮なく寄せ返す波音に遮られ口をつむぐ。栄口もまた何も語ろうとはせず、ズボンの裾にかかった砂もそのままに視線はただ海へとある。
 空と海の境目のあたりで、青いリトマス紙を酸性の水に浸したように、ゆっくりと淡い桃色の朝が夜を押し上げてきている。携帯を取り出せば今何時なのか確認できるが、水谷はそれをしなかった。わずかな動作ですらこの完璧な空間を壊してしまいそうだった。
 夜が明けてしまう。夏が終わってしまう。