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黄龍妖魔学園紀 ~いめくらもーどv~

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アダルト―MemoryLeak―



 その時、汀京也は電車に乗っていた。
 ラッシュのピークは過ぎていた。だが、それでも適度にこみあっていた有楽町線車内に、大音量で軽やかな着メロが響き渡った。まわりじゅうの人間ににらまれているような気になりながら、大慌てでリュックの中からPHSを取り出そうと試みる。
 昨晩は、マナーモードをオフにして、充電器に立てていた。今朝――もとい、昼は、ゼミに遅れるとばかりに家を飛び出した。大慌てでPHSを掴んで出てきていたため、設定するのを忘れていたらしい。ゼミに出て、研究室のネットワークの面倒を見、図書館に足を伸ばす。発表まで後数日の卒論に目を通し、ゼミ以外の自主的な発表練習にもつきあった。それなりに時間が経っているはずだが、いかんせん京也が持っているのは、携帯ではなくてPHSだ。滅多に迷惑メールが送られてくることはない。なにより、彼が主に利用しているのは、PHSのメールではなく、フリーのウェブメール、もしくは接続プロバイダか研究室のメールアドレスだ。待ち合わせでもないかぎり、PHSのメールアドレスにメールが送られてくることはない。
 こういう時に限って、リュックの中はひどく乱雑だった。いつもなら、おとなしくPHSが収まっているはずの定位置に、金属の感触がない。のみならず、図書館の本や、書籍部で買った雑誌が、かきまわすてのひらにかたい感触を伝えてくる。
 滅多にない音声着信であることと、電車の中にもかかわらずマナーモードでないこと。そして、冗談で設定した着メロであること。様々な要因が、彼に必要以上の焦りをもたらし、器用さと注意力を奪い去った。
 金属の感触は、ノートパソコンだった。続いて、携帯用のゲーム機が触れる。あきらめて、辺りをうかがうと、中をのぞきこんだ。
 大急ぎで開き、耳に当てる。番号を確かめる間もなかった。
 アナウンスが、次の駅への到着を告げる。
 相手の方が、ほんの一瞬、京也よりも早かった。
 電車の中であることを伝えようとした矢先、罵声が耳を打った。
 やけにはきはきとした声だった。
「――あ――」
 声が漏れた。言葉にはならなかった。
 一瞬の沈黙は息継ぎだろうか? 京也の返答を待つ気はないのだろうか?
「まずった……?」
 京也もまた、相手の言葉に答えなかった。
 ただ、勝手に唇がそう紡いだ。


「ボクも、守られてる立場ですから」
 色素の薄い瞳には、うさんくさい笑みを浮かべた自らの姿が映っていた。
 髪を切った。その代わり、眼鏡をかけた。
 変装などというつもりはなかった。ただ、行きそびれていた床屋に行った。それだけのことだった。
 両手を広げる、アメリカンコメディの役者じみた動作は、いつものくせだった。
 こちらの世界で活動している時。他人を率いていかなくてはならない時。信頼を得ようとする時。
 緩急を操りながら、相手の懐に入り込む。芝居じみた動作は、そのための技術の一つだった。
 京也は、笑っていた。答えた内容からすれば、いささか図々しいほどに、自信にあふれた笑みだった。
 つめていた息を吐き、阿門帝等はうなずいた。肯定の意を伝えてきた。
「わかっていただけたみたいですね」
「――ああ。御子神。いや……」
 名を聞き訂正しようとする阿門に対し、京也は答えずに首を横に振った。
 西洋の貴族を思わせる整った顔が、微かにゆがむ。だが、それはすぐに、威厳という名の鎧に覆われた。
「記憶を消すということは、正確には不可能なことだ。人は、ひとたび見たもの、経験したものをなくすことはない」
 唐突とも思える、阿門の言葉だった。
「記憶というのは、無数に存在するアンカーのようなもので保たれている。アンカーが支えるもまた、無数の記憶。そして、アンカー自身もまた、他を支えることで自らが支えられている。思い出すということは、目当ての場所に向かって、アンカーを正しくたどることに他ならない」
 京也は黙って彼がつむぐ言葉を聞いていた。少なくとも、遺伝子やその他の話よりは、はるかに彼の常識とでもいったものに当てはまる話だった。
「消すことはできない。ならばどうするか。対象となる記憶、もしくはそれを保つアンカーに、多くの情報を重ねてやる。そうすれば、特定の記憶へと至る筋道は混乱する」
 短期記憶から長期記憶への移行。マジックナンバー。中期記憶の個人差。混乱を招く類似と、違いを際立たせるほんの少しの細工。
 阿門の言葉とともに、次々と思い浮かぶ断片的な知識。
 その脳の活動こそが、阿門の言葉を肯定しているよう思えた。
「新品に戻すわけではない。ただ、至るを難くする。それが記憶を消すという行為の正体だ」
「えーと?」
 首をかしげる京也に、阿門は目を細めた。
「さわがしいクラスメイトがいたとする。たとえば、それがほんの幼少の頃であったとしよう。それから先、クラスメイトという存在は、年ごとに延べで数えれば百人を超える。騒がしいクラスメイトも一人ではなくなるだろう。クラスでのリーダのイメージかもしれない、迷惑の象徴かもしれない。そう、印象とでも言うべきか。何かしら、残る。それは、たとえば映画や小説への共感。たとえば、初対面の人間との間で確かめ合うことのできる共通体験。そういったものへと姿を変える」
「……ええと、つまり、できることの限界は、そうだってこと、ですか? ボクが残した影響とでも言うものを、完全に消すことはできない、と」
「ああ、そうだ。そう思ってもらって良い」
「むしろ、都合が良いようにも聞こえますが」
 ほんの少し、阿門の表情が上気した。
「雑多な日常にまぎれさせよう。新宿駅ですれ違ったことのある人々の顔のように。であったことがあると思うかもしれない。だがそれは、テレビで見るニュースキャスターよりも遠い存在。望みどおり、お前を特定する記憶は堆積した地層の底に沈む」
「――よろしくお願いします」
 そう言って、京也は頭を下げた。
 帰り際、もう一度阿門はたずねた。本当に、それでいいのかと。
 京也は、笑ってうなずいた。そして、ひらりと片手を振り、生徒会室を後にした。


 京也は、ホームに下りた。
 目的地とは、何の関係もなかった。
 乗換駅だったらしく、京也のほかにも、多くの人間が電車を降りた。
 PHSの筐体を耳に押し当てたままだった。
 心ここにあらずといった京也は、何人もの人にぶつかった。迷惑そうに眉を寄せられ、時には睨まれた。
 いつしか、罵声はやんでいた。
 降りる間に、電波が途切れたのだろうか? そう考え、京也はほんの少し、耳から筐体を遠ざけた。
「――おい」
 ディスプレイの表示を確かめる前に、低い声が吐き出された。
 再び、京也は強く筐体を耳に押し当てた。
 乗ってきた電車はとおに出発した。警備員が卒塔婆のように立っていることを謝るのに続き、向かいのホームに電車が到着することをしらせるアナウンスが流れる。
「どういう意味だよ、その、まずったってのは」
「あ。――いや、その」
 京也の表情が歪んだ。
 にはは、と、奇妙な笑い声をもらしながら、表情は隠すこともできないほどに、歪んでいた。