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月の出を待って 前編

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 その日私は、私らしからぬ行動をとっていた。
もしかしたら、それはこうなるべく導かれたのかもしれない。
運命という奴に・・・・・・

 どちらかと言えばインドア派の私が、その日に限って山登りなんぞをする事になった。

別にしたくてしたわけじゃない。
秘湯と称される温泉に入ってみて、そのレポートを出してみてくれないかと上司であるキシリアから言われ、何の気まぐれからか是と返事してしまったのだ。
同期のガルマから、「なら、これを持って、こうして・・・・・」と山登りの注意点と基本装備を持たされて(奴の方が完全インドア派で、紙上の知識しかないくせに)会社を出たのは昼過ぎ。
車を走らせてこの山奥へ着いたのは、夕方の日がいいかげん傾きかけた頃だった。
都心から3・4時間で、こんな山奥に到達するなんて思いもしなかったし、持たされた装備を使う事になるなんて、考えても居なかったのだが、地元の人に言わせると、その秘湯は簡単ながらも登山用ザイルがあると便利な箇所にあるのだと教えられ、目を瞠ると同時に溜息を吐きたくなった。

いや、盛大に吐いた。

それでも1時間くらいも登れば到着すると言われ、日没までには・・・と思って登ったのだが、つくづく慣れない事はするもんじゃない。
案の定、道に迷い、まんまと滑落をしてしまった。
幸いと、昔習得した教えを守って、ザイルとピッケルを使用して、沢までの滑落を防ぐ事が出来たが、崖の途中の平地に留まっている訳にも行かず、さて、どうしたものかと思案していた時だった。

グルル・・・・・

身体の脇にある低木の陰から、獸の声がした。

「なっ・・・・!」

声がした方へ視線を向けると、私は声が喉に詰まったきり出せなくなった。

低木の奥に黄緑色の光る二つの目がある。
うなり声はそこからしていた。
私はその目に射抜かれて身動きも出来なくなった。
固まる私の前にその獸が低木を掻き分けて出てくる。
その姿に、私は先程とは異なる驚きに目を瞠った。
それは、赤茶色のふさふさとした毛並みをした狼。
綺麗なカッパーアイが私をじっと見つめている。
が、どこか動きが緩慢だった。
よく見ると、左後足がブラーンとしている。どうやら私同様、崖から滑り落ちた拍子に、骨折でもしたのだろう。
そう思うと何となく硬直が解ける。

「何だ。君も落ちたのか?ご同輩って事だね。仲良くしよう」

私は自身の緊張を解く為にも軽口をたたき、表情を和らげた。すると狼も唸るのを止め、静かに私を見つめてきた。

「大丈夫。私は君を苛めたりしないよ。それよりその足。少しでも治療をした方が、治りが速いんじゃないかね。私でよければ手を貸すよ。どう?」

そう言って、そっと手を差し出すと、狼は鼻面に皺を寄せて不快感を一瞬表したものの、私の手の臭いを嗅ぐと、指先をペロリと一舐めした。

“これは同意したと受け取って間違いはないかな?”

私はそう納得すると、背負っていたリュックをがさがさ探ってみる。
と、丁度この秘湯を掲載した旅行冊子が出てきた。
A4サイズだが、それなりの紙を使用しており、厚みも適度にある。
「いい物があった」
私は殊更に明るく言ってウインクすると、その冊子を狼に見せる。
「これを副子にすれば足を固定出来ると思うよ。やってみてもいいかな?」

“キシリアのだが・・・。ま、いいか。不慣れな私にこんな事を頼んだ彼女の人選ミスって事で・・・”

理解してくれるかわからないが、とりあえず口にしてみると、狼は何も言わずじっとしている。

「じゃあやるよ?少しばかり痛いかもしれないが、我慢してくれたまえよ」

私はそう言うと、冊子を半分に折り、狼のブラーンとした左後足をなるべく真っ直ぐになる様に冊子の間に挟みこみ、リュックの中に押し込んでいたネクタイを包帯代わりに固定する。
処置の間、狼は唸り声も上げず大人しくしていたが、痛みはあるのだろう。時折身体を硬くしては小刻みに震えていた。
作品名:月の出を待って 前編 作家名:まお