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雪月の蝶

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私の人生の内に、生涯忘れることのない出逢いというものは、何度あるのだろう。
何度あるのかは、まだ解らないけど、何度あったとしても、その一つ一つは何気なく、当たり前のように過ぎていく、夢や幻のようなものなのかも知れない。

「先輩!私、先輩のこと…」
 画面ではいつもと変わらない、気色の悪い女が気色の悪いセリフを吐いている。
いつも通り、何の変哲もない夜を迎えている。
ふと、時計に目を向けてみると、針はこちらを向いて揃っている。まだ門限には時間はありそうだ。
私は、いつものこの部屋の住人である、友人の事を思い浮かべる。
同時に、その友人と対になる彼女の事が思い出される。どちらかと言えば、こっちがメインだ。
明日は二人にとって、とても重要な日だ。
私は今、友人に代わって主の居ないベッドを占拠する、私の相方に声をかける。
「クロ、ちょっと表歩かないか。せっかくだし」
 昼間チビ達の所のクリスマス会に出掛けて行ったクロは、夕方頃に戻ってきて、今は順のベッドに寝っ転がっている。
クロは私の言葉に反応して飛び起きる。
「おお!綾那からクリスマスデートの、お・誘・い?」
 妙に体をくねらせて、言葉を返してくるクロは、はっきり言って気持ち悪い。
「ああ、地獄まで一緒に付き合ってもらう」
 ベッドから飛び降りて、気持ち悪い反応を返してきたクロに対して、しこたまアーム・ロックを懸けてやる事にする。
「い、痛い、綾那…ギブ、ギブ…」
 掠れていく声で、やっとの思いと言わんばかりに、クロは言葉と覚束ない両手で、降参の意思を伝えてくる。全く、最初から妙なことを言わなければ良いものを。私は、クロを開放してやる。
「こんな聖なる日にまで何とも荒々しい仕打ち…聖なる野生、ホーリーワイルド綾那」
 私に散々苦しめられた首元をさすりながら、またもや意味不明の言葉を放つクロ、いつも通りだ。
「意味解からん。デートではないけど、せっかくだから出掛けようとは誘っているけどな」
 いつも通りに、私は呆れ気味にもう一度誘いの言葉をかける。ここまでいつもと変わらない、毎度毎度同じ行動、ある意味様式美とも言える。
だけど、返って来たクロの言葉はいつもとちょっと違って私の意図を正確に汲んでいた。
「解ってるって、しぐまとじゅんじゅんの事でしょ?明日だもんねえ、二人のために何となく何かしたいけど、何も出来ない、手持ち無沙汰な気分だよね」
 このたまに見せる鋭さ・繊細さが、クロの隠れた良いところかも知れない。クロ本人は気付かないままの方が良いかなと思うので、いつも通りに敢えては言わないでおく。
「うん、せめて部屋でいつもの不愉快なゲームをやり続けて、明日を迎えるのは避けたい。自分の事だけであれば、例年通りそれでも良いのだけどね」
 私の顔には知らず知らずに少しの笑みが浮かぶ。聖なる日は私の心も、クロの心も多少は厳かな気持ちにさせる力があるらしい。
「オッケー、行こうよ綾那。外をぶらぶらしていれば少しはしぐまとじゅんじゅんのために出来ること、思いつくかも知れないし」
 そう言って、早速出掛ける準備を整えると、先陣切って部屋を出て行こうとする。私も準備を整えて、それに続く。
「綾那、ゲームは良いの?」
 クロは、振り返ってゲーム畫面が映ったままのTVを指さす。
「ああ、あのままでいい。しばらくセーブ出来ないからTVのスイッチだけ切っておく」
 画面には先程のまま、恥ずかしそうにこちらを向いている気持ち悪い女の顔。彼女の一世一代の告白はひとまずお預けだ。
私はTVのスイッチを切り、電気も消してから、クロに続いて部屋の外に出た。
廊下には私達以外人の姿はなく、少し薄暗い。暖房の効いた部屋の中と違って、少しばかりひんやりとしていた。

「月が綺麗だよ綾那~」
 そう言われて見上げてみると、流れる雲間に黄金色の光が見て取れた。
「満月っぽいけど今日はちょっと雲が多いな」
 天気予報的に言えば、どちらかと言えば今夜の天気は晴れではなく、くもりだ。
それでも、クロの言うように今夜の満月は、雲の切れ間に姿を見せたり、雲を従えたかのような様子を見せたりして、一際大きな存在感を私達に魅せ付けている。
「気温的には寒すぎるぐらいで雪が振りそうだよね~」
 寒すぎると言いながらもクロの声はいつもと変わらず元気だ。
私達は、目的地も思いつかず、とは言え手持ち無沙汰のまま帰る気にもなれずに街の中をぶらぶらしていた。
周囲の家並みには灯りはなく、街灯の灯りだけが私達の頼りだ。周囲の家達は、静かに寝静まり無言の闇で私達を見つめ続けている。
何故か人気も殆ど無く、この世界に月と雲だけを与えられて、クロと二人、この世界を別世界として取り残されてしまったような気分になる。
「静かだねえ綾那。まるで誰も居ないみたい。今日はクリスマス・イブだって言うのに」
 それなりに高級そうな住宅が並んでいるのに、そう言えばイルミネーションの類も見当たらない。
街並み自体、見慣れない姿で、何だか見知らぬ街に迷い込んだような感覚。
「そうだな、今日みたいな日の夜はもっと浮かれた感じがするのかと思っていたけど何だかちっとも浮かれた雰囲気が見られないな」
 街灯を一つ一つ越えて進んでいく、正直この先がどこに辿り着くのか、私にも解らない。多分クロにも解らないだろう。
それでも、不思議と引き返そうとお互い言い出すこともなく、街灯の奥の深い闇の向こうに、更に向こうに二人歩を進めている。
「…を浪費する訳ですよ。昔の人がそう言ってました」
「昔の人って誰?」
 ふと気がつくと、少し先の路地の右奥から僅かな人の気配と共にそんな会話が聞こえてくる。声の調子から、私と同い年ぐらいの女の子であることは解った。
「お、初めて人の気配が」
 クロが何気なく呟く、確かに今夜二人で部屋を出てから初めて感じる人の気配だ。
路地を右に曲がると、丁度二人の女の子が、街灯に照らされて、私達の左側の建物の門をくぐり抜けていくところだった。
「何か左奥の方に明かりが見えるね、これも今日初めてだ」
 クロが二人が入っていった建物の方を見て呟く。私も同じ方向に視線を巡らせてみると、確かに何か明るい雰囲気だ。
門の前まで来てみると、貼り紙がしてあった。
『本日、聖堂開放中。ご自由にお祈り下さい』
 街頭に照らされた貼り紙は、不思議な魅力で持って、私達の心に訴えかける。
「綾那、これも何かの縁だよ。あの子達もお祈りに行ったみたいだし、私達も今日はここを目的地ということにしようよ。しぐまとじゅんじゅんのために」
 私はクリスチャンではないし、クロも違ったと思うけど、確かに今日ぐらいは、西洋の神様に祈るのも、あながち間違いではない気がする。
「そうだな、お邪魔させてもらおうか」
 私もクロも、何かの奇妙な引力に導かれるように、その門を抜けて、敷地内に一つだけ明るく見える建物の方に近づいていった。
 天頂に輝いている月は、相変わらず雲をその従者として従えて、物静かに佇んでいた。

 乾いた軋んだ音を立てて、木製の扉を開け、その空間に入ると、先ほどの二人の女の子がまだお祈りしている最中だった。
作品名:雪月の蝶 作家名:雨泉洋悠