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比翼連理 〜 緋天滄溟 〜

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14. 紅花



 静かな庭園は隠された森へと続く。
 太古の昔から生き続けた木々―――その生命力溢れる木々たちが守るこの場所を、魔と恐れるか、聖と崇めるか……それはその者の受け取り方次第ではないだろうかとヘリオスはぼんやり思いながら、青々と茂る苔が覆う深緑の絨毯のような大地をゆったりと進んだ。
 足に優しく絡み付いてくるような優しい感覚を楽しみながら、ヘリオスは色濃く清浄な空気に充たされた場所に向かって、迷うこともなく奥深くを目指す。ほどなくして、ぽっかりと切り取られたような一画へと辿りついた。
 緑色の台座のようになった場所を照らす一条の光。
 その中にはまるで贄のように横たわる白い影があった。血の気のない白い貌は陽光を受けて、さらに透き通るような白さを際立たせていた。
 そして。
 似つかわしくもあり、似つかわしくもない鮮明な紅い花が、そこに咲き誇っていた。
「ここでも……やはり癒えないか。打つ手なし、だな。恐るべし、冥王の剣……」
 そっと手折った草葉をぴくりとも動かない白すぎる手に握らせた。すると、小さな吐息とともに眠りの中にあった者がうっすらと瞳を開いた。
「―――おはよう、シャカ。随分とよく眠るんだな、君は」
「貴…様…は……」
 力ない声がようやく絞り出される。あまりの弱々しい声に思わず、ヘリオスは苦笑した。
「久方ぶりの逢瀬なのに、きみはまた随分な状態だね」
 そう云いながら、冷や汗を滲ませたシャカの額にかかる金色の髪をかきあげる。
 何か答えようとしたらしいシャカは身体を起こしかけたが、そのままグっと歯を食いしばり苦悶の表情を浮かべた。珠のように汗を浮かべ、より一層蒼白になっていく顔色。それに反するかのように、紅花は艶やかに咲き誇っていく。
「私は……のだろう……?」
 起き上がることを諦めたらしいシャカは横たわったまま、嘲笑ともとれるような笑みを浮かべて見せた。冷静に今置かれている状況を口にするシャカを哀れむような眼差しでヘリオスは見つめ、そっと露を帯びた髪に指を差し入れ、梳いた。
「そうだね……このままでは確実に。冥王の剣は神の力を奪うから。それ以上にきみは“人間”でありすぎたようだ。ここでは“人間”である君は癒されることはないだろうから。あの剣の傷は冥王とただひとりが癒すことができるけれども……皮肉なことに、その唯ひとりが君自身でもあったしね」
 降り注ぐ陽光はこれほどまでに優しく、満たす緑の香気も透き通ってはいても、シャカの傷は一向に塞ぐ様子さえ見せなかった。いや、正しくは塞ごうとしているのだが、負の因子が新たに傷を押し広げているというべきなのだろう。
 創造と破壊がその痩身で繰り広げられている。その苦痛は想像を絶するものがあるはずだ。

 癒えることのない傷―――。

 それはプロメテウスが、かつてその身に負うた永劫の罰にも等しいのだろうとヘリオスは思った。
「シャカ。ここはね……プロメテウスが愛した場所なんだ。本心ではこのまま、君が永遠の眠りについてもいいと思っている。きっとその眠りの先にプロメテウスがいるだろうからね。でも、彼はそれを望んではいない。君の命を繋ぎとめようとしている……だから、君も抗い続けるんだ。君のいない世界を冥王が再び彷徨い、呪うことがないように―――君が聖闘士であるならば」
 シャカはほんの少し口角をあげるともう声を出すのもつらいのか囁くように小宇宙で語りかけてきた。

『天を裁けと……秩序を破壊しろという“彼”の言葉を聞いた。どのような意味を持ち、またどのように為すべきか……その術は未だわからぬ。私は……ひとりの人間だ。人間に関わること、そのすべてが自分に無縁であるとは思わない。この状況とて、そのために必要な要素だというのならば、甘んじて受けよう。だが私は―――』

 消え入るように囁かれた小さな願い。
 それは身勝手で我侭なひとりの人間の小さな願い事でしかなかった。それがただの人間の願いならば何を莫迦なと、嘲笑ったことだったろう。
「その願い、それこそがシャカ……燃える真実の焔。世界の嘘を焼き尽くすに値するものだよ?」
 春の木漏れ日のように柔和な笑顔を浮かべてシャカを見下ろしたヘリオスは次の瞬間には厳しい表情を浮かべた。
「おや?これはまた珍しい客が来たようだよ。よく辿りついたものだね?此処は君とは真逆に位置する力に充たされているというのに」
 ザッと吹き付けた死の香りを運ぶ風に淡い輝きを放つ髪を舞わせながらヘリオスはゆっくりと振り返った。
「そうだろう?―――タナトス」
「まったくその通り。俺にすれば不吉極まりない場所だな」
 まるで忌まわしいモノでも見るかのようにヘリオスが冷たく眇めたその先には、凶悪な笑顔を張り付かせた銀色の死が降り立っていた。