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比翼連理 〜 緋天滄溟 〜

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16.凶愛



 心、此処にあらず―――。
 茫洋たる時の波間を彷徨うように、いつも同じ場所で庭園を眺める冥府の王。
 白皙の横顔がいつになれば此方に向けられるかと心待ちにしていたが、一向に差し向けられる様子はなかった。焦れったさに歯噛みしながらも、アーレスは楽しんでもいた。そんなアーレスのもとには配下の者たちが続々と舞い戻り、美酒を楽しむのにはもってこいの肴が差し出された。

 ―――そして、今。
 ハーデスの前に突然現われた小さな一噛みにでもきたらしい、瀕死の鼠をアーレスは見据えていた。気まぐれに最後の一手だけはかろうじて踏み止まったらしいハーデス。その無慈悲な瞳で足元に転がる物体を見つめていた。
「こんなところに鼠が忍び込んでくるとは……それにしても、なんともおぞましい姿。穢らわしい!同じ神々の一端とは思えぬ。だが、罪を悔いてハーデスの裁きを自ら受けに来るとは見上げた根性ではないか?あなたもそう思いませんか、ハーデス」
 頷きは得られなかったものの、瞳を細めたハーデスを見て満足そうにアーレスは目元を緩めた。
 身体の原型さえも留めてはいないその者は腐肉を床に撒き散らしながら、引き攣り、くぐもった呻き声を発した。異形の物体でしかないその者をハーデスはぞっとするほど褪めた瞳で見入っていた。
「―――それで?屍同然の身を押してまで、余のもとへ訪れた理由は?その身体では一矢報いることなど出来るはずもなかろうに」
 憐憫なのか侮蔑なのか。
 穏やかすぎるほどの声音をかけるハーデスに対して、恐らくはもうほとんど視覚として機能していないであろう瞳がぎょろりと向けられていた。問いに対する答えはその瞳に宿る激しい殺意以外、黙して語ろうとはしなかった。
「ならば、せめてもの後生だ。貴様、名を明かすがいい」
「明かす名はない……如いて言うなれば、プロメテウスの意志のひとつ」
 あざ笑うように引き攣った声が無機質な空間で響き渡った。そして同時に闇が煌めいたのだった。跡形を残すことも許さない――そんな意思を感じさせるほど、醜悪な物体に向けて、ハーデスの底知れぬ無へと帰する闇の力が放たれた。
 死に瀕した鼠は一瞬の間に消え去るものと思われたが、消えいく恒星のごとく膨大な熱量をハーデスの身に向けたのだった。劫火ともいえる黄金の焔がハーデスを包む。