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千日紅

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《01》 新婚夫婦



どこかわからない開けた原っぱに早苗は一人立ち尽くしていた。
周りには誰もいない。
花が咲き誇り、遠くで小鳥の鳴き声がする。
しかし、人っ子一人見当たらない。

ここはどこ?
なんで誰もいないの?

不安に駆られ、歩きだすと、早苗の目の前に、女の子があらわれた。
それは、彼女と同い年くらいの歳の子だった。
なぜか早苗は男に、格之進に変わっていた。

結婚する前、夫の助三郎の旅の仕事について行きたくて、先祖の秘薬を借り、変わり身の術を身に着けた。その術で男に変わり、夫を助け、天下の副将軍、水戸光圀をお守りした。
大変なことも多々あったが、嫌いにはなれないし、消すこともできないもう一人の自分。
それが、渥美格之進だった。

しかし、やたらに女にもてる。
先祖の忍びの血が原因らしいが、早苗はイヤだった。
今回も、女の子が早苗に歩み寄ってきたので、早苗は嫌な予感がした。
女は、ほとんどが男を見る熱っぽい眼で早苗を見上げる。
いまだに慣れない女の眼。
例外は、今は江戸で暮らしている友達の、由紀とお孝の二人くらい。

イヤだな……
また変な目で見られる。

しかし、早苗の不安に反し、その女の子は、一切変な目では見なかった。
友と同じ、普通のまなざしだった。
むしろ、大好きな誰かに見つめられるのと同じ心地がした。

良かった。男として、見られていない。
大丈夫。

落ち着いた早苗は、目の前にきた女の子をよく観察した。
背は、本来の自分位だろうか。
今の自分の胸のあたりほどの小柄な身体。
顔は目鼻立ちがはっきりしている。
誰かによく似た意思の強そうだが、優しい黒い瞳。
長い睫毛、血色の良い頬、形の良い唇、漆黒の髪。

眼の前の女の子は、あまりにも、可愛いすぎた。
女の理想、男の求める理想、願望が寄せ集まった人形といってもいいほどだった。

ボーっとその可愛い顔を見ていると形の良い唇から、澄んだ高い綺麗な声が発せられた。

『……格之進さま』


わたしの男の時の名前、『さま』付きで呼ばれたことはほとんどない。
でも、イヤじゃない。
誰かに、『早苗』って呼ばれるのと、同じ感じ。

『―――』

早苗が名を呼びかえすと、その女の子は笑って早苗の胸に飛び込んできた。
あまりに大胆なので、早苗は驚いた。

え?なに、この子?

しかし、早苗の腕はすでに、女の子をしっかりと抱き締めていた。
腕の中の彼女は、幸せそうにほほ笑んでいた。

『―――』

可愛い……
イヤミじゃなくて。本当に可愛い。
自分もこんなんだったら良いのに。

可愛い……
次の瞬間、早苗は自分の意志とは関わりなく、腕の中の女の子と、口付しようとしていた。

ちょっと!
わたし、女だから無理!
女同士は無理!

しかし、身体は言うことを聞かず、女の顔に近づいて行った。
触れる寸前に、その女に拒まれるまで、止まらなかった。

『離して! 目を覚まして!』

『へ?』

はっとして見ると、腕の中の女の子は、かわいい顔をゆがめて、自分を拒んでいた。

『早苗、起きて! 起きるの! 起きろ! 起き……』

可愛い高い声は次第に低くなっていった。
しかも大きく、怒鳴り声に変わっていた。




「……起きろ! おい! 格さん! 離せ!」

早苗の隣で夫の怒鳴る声が聞こえた。
朝からうるさいと思いながら、頭を働かせた。

…夢?変な夢。
助三郎さまと寝てたんだった。
今、どこだっけ?
…家かな?

「……どうした?助三郎?」

寝ぼけ眼の早苗は夫に聞いた。
が、自分自身の違和感に気がついた。

あれ?声が男だ……
ということは……
なんで変わってるの!?

早苗は、男の姿で、夫を抱きしめていた。
男の太い腕で、しかも怪力で抱きしめられ助三郎は苦しかったのか、必死に抜け出そうとしたらしい。
しかし、剣術は国で一番の剣豪助三郎は柔術では格之進に劣るせいで、抜け出せず、力尽きていた。

頭がやっと冴えた早苗はすぐさま女に戻り、身体を離した。

「……ごめんなさい」

「押しつぶされるかと思った」

「……また、癖が再発したみたい。ごめんなさい」


早苗と助三郎は光圀の供で旅を終えたばかりだった。
祝言を無事に終え、夫婦になった後、三月もたたぬうちに新たな旅に出かけた。
そして、やっと一月の旅を終え、昨晩戻ったばかりだった。
夫婦は天下の黄門さまの護衛のため、男女で寝ることは一切できなかった。
光圀を挟み、いざというときのために護衛しながらの就寝。気は抜けなかった。
そのせいか、安全な家に戻り、夫と二人きりの寝室にもかかわらず、旅の緊張感が抜けきっていないせいで、寝ている間に男に変わっていた。


「……ここは俺たちの家だ。安心して早苗のままで寝ればいい。な?」

優しくそう言う夫がうれしかった。

「……うん。ありがとう。助三郎さま」

「もう、起きるか?」

「うん、眠くなくなっちゃったし」

布団から出ようとした矢先、夫はなぜか突然顔を赤らめ、ぼそりと早苗に言った。

「……今晩、いいか?」

「何が?」

「その……あの……一緒に…」

おどおどと、夜のお誘いをする夫の姿は、おもしろおかしかった。
そこには、旅の最中悪人をやっつけるために刀を振りまわしていた剣豪の面影は一切なかった。
彼は、初夜に緊張しすぎ早苗になかなか手を出さなかった。
そればかりか、それ以降も絶対に強引に押し通すことはなかった。
早苗はそんな優しい誠実な夫が、好きで好きでたまらなかった。

「……わかった。夜ね」

そう返事を返すと、夫はうれしそうにほほ笑んだ。







「どうしよう…」

昼前、早苗は佐々木家の庭に建っている蔵で、『持ち出し厳禁、猛毒』と書かれた小さな壺を抱えて徒歩に暮れていた。
旅で家を留守にした間に、父の橋野又兵衛がおくりつけてきたらしい。
先祖伝来の、変わり身の術が身につく秘薬。

『もう一粒食せば、能力が向上する可能性有。一度試せ』

そう、添え書きがくっついていた。

でも、こんなにたくさん要るの?
まぁ、いいや。もったいないから一粒食べちゃえ。

相変わらず、苦いような甘いような妙な味だった。
美味でない秘薬に辟易していると、後ろから手が伸びてきた。

「もらうぞ! 梅干し」

その声の主は、一番小さい欠片のような秘薬をつまんでいた。

「あ…」

すぐさま止めようと振り向くと、しかめっ面の夫が眼に入った。

「不味いな。失敗作か?それ以前に梅干しか?これ。……うっ、うそだろ?」

「なに?」

夫の眼は、早苗が抱えている壺に向いていた。

「……『猛毒』って。死ぬ!」

「大丈夫! 秘薬なのこれ。毒じゃないわ!」

「秘薬って、お前が格さんになった時に飲んだやつか?」

「そう」

「……俺も、女に変わったり、しないよな?」

「解んないけど……どこもおかしくない?」

「うっ」

突然、しゃがみ込んだ夫が目に入り、早苗は怖くなった。

「どうしたの!?」

「腹をえぐられるような…」

「どうしよう。下剤か何か探さなきゃ。早く吐いて!」

秘薬の壺をほかり、必死に助三郎を解放しようとする早苗に、夫は笑った。
作品名:千日紅 作家名:喜世