あなたと会える、八月に。
エピローグ
◆1
「ちょっとロザリア」
テーブルの向かい側に座る老婦人から声をかけられ、アイスティーを飲む手を止めてロザリアが顔を上げる。
「背中を貸してちょうだい」
言われてロザリアは椅子からすっと立ち上がると、老婦人の前に背を向け、中腰に屈んだ。老婦人もまたよいしょ、と言いながらゆっくりと躰を捻り、おもむろにその背に編みかけの、細かなレース編みの白いセーターの身頃を当てて首を傾げる。
「あらぁ……少し大き過ぎたかしらねぇ」
「ミレイユは、自分の体格に合わせて編むから悪いのよ」
二人と同じくテーブルについている、もう一人の老婦人がその様子を、上目遣いにちらりと見ながら言う。
「ま、シルヴィったら。これでも控えたつもりだったんだけど」
「ロザリアは細いんだから、もうちょっと正確に計って編みな……」
「あら、わたくしに編んでくださっているの?」立ち上がって振り返るとロザリアは、その編みかけの身頃を見る。「綺麗……ミレイユ、よくこんな細かなものを編んでいて疲れないわね」
「向こうの海岸のサロンでマッサージしてもらってるから大丈夫よ。良い所を紹介してくれたわね、どうもありがとう」
にっこりと、ロザリアに微笑んで見せてミレイユは正面に向き直ると、さてどうしたものかと編みかけのセーターを見ている。
「あら、そういえば」横で退屈そうな顔をしていたシルヴィが、同じく椅子に座ったロザリアの手元を見て言う。「今日はつけていないの? あの指輪」
「ああ、あれね」小さく肩をすくめてロザリアは笑う。「持ってきてはいるんだけど……ジュリアスと会うときはつけないようにって言われているの」
「何それ、初耳ね」格好の暇つぶしを見つけたと言わんばかりに、シルヴィが身を乗り出す。「だってあれは女王陛下から……」
「シルヴィ!」身頃をひねくり回していたミレイユから、抑えめながらも大きめの声が上がる。「またあなたって人は」
ぴしりととがめられて、シルヴィは不満そうな顔になる。
「こんな、誰が聞いているかわからないカフェで、口にすることじゃないでしょう?」
ふぅ、と困ったようにため息をついてシルヴィを見やったミレイユはしかし、やはり同じくロザリアの手元に視線を移すと、ふーんと首を捻りながら躰をロザリアの方へ傾け、小声で言う。
「……女王陛下がジュリアス様に見られたらいけないものなんて、あるのかしらねぇ」
「……さぁ……」
まだ不満げにしているシルヴィの様子に苦笑しつつロザリアはその、『ジュリアスと会うとき』以外は必ず嵌めている指輪の定位置である、右手の中指の付け根あたりを、もの足りなさそうにもう片方の手の指で触れてみる。
作品名:あなたと会える、八月に。 作家名:飛空都市の八月