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飛空都市の八月
飛空都市の八月
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あなたと会える、八月に。

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第2章 12歳



◆1

 そこは、実に美味い朝食を出すことで有名なホテルで、その中でもとくに、宿泊客はもちろんのこと、周囲のホテルに滞在する客ですらここの料理人の作る焼きたてで、外側がカリッとして中はもっちりとした不思議な食感のパンを目当てに朝早く起きて食べに来るのだと、ロザリアは父から聞いていた。なるほど初めてここを訪れ、滞在することになったとき、毎日これほど朝食−−もちろん、ディナーも、たまにホテルに戻って食べる昼食も−−が楽しみなホテルはないと幼いなりに思っていた。
 高い天井にはフレスコ画が描かれ、大きな窓からは海が一望できる食堂には、ずらりと居並ぶ円卓があり、そこには白のテーブルクロスと黄色や青色で描かれた花や人を描いた白の陶器の小壺にこじんまりと夏の花。そして銀のカトラリーがセットされていた。ただし朝食終了の時間も早く、十時までになんとか駆け込めた客はあの熱々のパンにありつけることができた。
 ロザリアとその両親は、自宅にいるときよりも早い時間にこの素敵な朝食を終えて一休みすると、両親は今いるホテルからひとつ向こうの海岸にある海洋療法で高名なサロンへ出かけ、ロザリア自身は五歳から習っているヴァイオリンの練習をすべくホテルにある音楽室へ向かう。そして昼食をホテルの中か、あるいは海岸沿いやそこに迫るようにそびえる山の斜面に立ち並ぶ店々に行って済ませると、午後はすぐ目の前の海へ突進するのが日課だった。ただし突進するのはロザリアと母のみで、父はそれを時折眺めつつ、海際の砂浜にあるテントの中のデッキチェアにのんびりと腰掛け、本を読んだり、チェスの手を考えたり、あるいは知人へ夏の挨拶をしたためたりして過ごしている。
 ロザリアも、早く母のように泳ぎたいと思い、ばしゃばしゃと手足を動かして泳いでみるが、とても母のようにはいかない。海水は家にあるプールと異なり塩っ辛い。だから簡単に浮けるのよ、と母が笑う。口をとがらすロザリアに母は、淑女たるもの、そのような顔をしてはいけませんよ、と笑ってたしなめる。そしてロザリアを夫に預けると岸辺からずいぶん離れた海の中、ぽっかりと浮かんでいるように建っている小屋の方へ泳いで行ってしまう。私も行ってみたいとロザリアは父にせがむが、彼は首を横に振り、一回におまえが海水に浸かって良い時間は二十分のはずだよ、と言った。大人と違って子どもは体温が下がりやすいからね、とも。
 二十分だけでは、とてもあの小屋まで行けそうにない。いや、あんな遠くまではとてもまだ泳げない。タオルにくるまれたロザリアは二十分だけなんてつまらない、と思って足元の砂を見た。細かな白い砂が、少しだけ日焼けしたロザリアの足元にうっすらとかかっている。
 そのとき父が肩を叩いた。
 「ロザリア、ご覧!」
 そう言って父が渡したのは双眼鏡だ。覗いてみるとレンズの向こうで母が笑顔で手を振っている。小屋にたどり着き、デッキで座ってこちらに手を振って見せているのだ。
 「お母様ってば、なんて速いのかしら!」
 思わず興奮してロザリアがそう叫んでいる間に母はデッキに座った格好のまま、ざぶんと海の中へ入っていく。そしてあっという間にこちらへ向かって進んでくる。やがて双眼鏡で見るまでもなく、近い位置に彼女は泳ぎ着いて、ロザリアに授けた青い色の髪の乱れを軽く抑えながらやってくる。まったく息が乱れた様子はない。そんな母を見るとロザリアは、自分もあのように力強く、そして美しく泳ぎたいと思うのだ。
 このように、主星でも有数の大貴族であるカタルヘナ家の女たちの泳ぎ好きは、海岸でもあっという間に知れ渡っていた。もっぱら砂浜でのんびりと過ごし、たまに海水と戯れる程度の者が多いこの海岸の客たちと異なり、二人−−とくにロザリアの母ときたらそれは美しいフォームでぐいぐいと海岸を横切るように泳いでいく。その肩に娘のロザリアが掴まって乗っていることも多い。そのときのロザリアの笑顔は格別で、父は時々自分のやっていることの手を止めて、とろけるような顔で妻と娘を眺めている、と隣のテントの客からひやかされているらしい。
 自分がまだそれほど泳げないので、すいすいと泳ぐ母の肩に掴まって水面を走るように泳いでいくのは爽快だ。だからロザリアはこうすることが大好きなのだが、本当はもうそういう年頃ではないのだということもわかっている。
 家のアルバムには同じように母の肩に掴まって、しかも黄色の浮き輪で『ご満悦』な表情の、幼い頃の写真がある。それはまだロザリアが六歳のときのものだ。両親はこの写真がいたくお気に入りで、自分たちの寝室に飾っている。だがロザリアとしてはこの写真を見るたび繰り返し聞かされる「初めての海で興奮したのか、ロザリアが迷子になって大騒動になった」というくだりで不愉快になってしまう。というのも、ロザリアはそれを覚えていないのだ。そう、この海岸に初めて来たのはこの六歳のとき、そしてずいぶん間が空いて今年−−十二歳で二度目。ロザリア六歳の当時も両親は大層ここが気に入っていたのだが、趣を変えて他の星へ旅行に行ってみたり、あるいはロザリアの祖父母−−両親の各々の父母が亡くなったり、ロザリアのヴァイオリンのコンクールと重なったり、どうしても父の仕事の都合でこの八月に長期休暇が取れなかったりとさまざまなことがあった末のことだった。
 だから確かに写真は残り、事実としてこの海岸に来たのは二度目なのだが、ロザリアはまるで当時のことを覚えていなかった。
 「そんな、小さな頃のことを言われても覚えていないし、第一、わたくしが迷子になるだなんて信じられません」
 ぷい、と顔を背けてロザリアが言うと両親は、当時のロザリアも「『ワタシはマイゴなんかじゃないわ』と言った」と決まって笑いながら言うのだ。そして「どのようなときであっても誇り高い娘で、私たちは嬉しい」とも。
 そのようなことが『誇り高い』ことなのかしら、とロザリアは思ってみるが、両親が楽しそうに写真を見ながら笑っているので、もうとくにそれ以上は言わないことにしている。内容はともかく……そのような両親を見ることはロザリアにとっては幸せで、嬉しいことだったから。
 ただ、母の肩に掴まって泳ぐのは今年限りにしよう、とロザリアは思った。そしてひっそりと、いつかあの海の上の小屋へ自力で泳いでみせると決意するのだった。