二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」
飛空都市の八月
飛空都市の八月
novelistID. 28776
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

あなたと会える、八月に。

INDEX|9ページ/159ページ|

次のページ前のページ
 

◆2

 それは八月も半ば過ぎ、いつものようにロザリアが音楽室でのヴァイオリンの練習を終え、フロントに音楽室の鍵を返しに来たときだった。同じフロアのつきあたりにあるあの食堂の入口あたりが少し騒がしい。見れば人だかりができているようだ。
 ふとロザリアはフロントの壁に掛けられた時計を見た。十一時前。食堂が次に開くのは十二時からだ。昼食狙いの宿泊客や他のホテルからの客が集まるにしても少し早過ぎる。
 どうせまだ両親は件の海洋療法のサロンから戻っていないだろう。暇だったせいもあってロザリアはフロントに鍵を返すと、その人だかりの方へゆっくりと歩を進めた。
 人だかりは、よく見ると女性客ばかりだった。たいていはロザリアやロザリアの母のように海に突進するタイプではない、ホテルで寛いでいるか近くの小さな美術館やさまざまな店へのんびり繰り出すような人々だった。
 だが、ロザリアがあともう少しで食堂の入口までたどり着くというところで、女性客たちはぱぁっと入口周囲に散った。そして入口から見慣れた男性の姿が現れた。たぶん食堂の支配人かと思われる。どうやら彼が彼女たちを−−丁寧な口調で−−追い払ったようだ。ロザリアは自分もその仲間のように思われては嫌だと思い、ちょうどそこにあったソファにすとんと座った。まだ小さいので、大きいソファに躰がすっぽりと収まった。
 そのとき、背後、そして頭上を何かきらきらと光るものが通り抜けたような気がした。ロザリアが振り返ったときにはもう、それ−−人だった−−は通り過ぎていた。
 ……光っている……?
 そのようなはずはないと思っている一方でロザリアは、まさに自分の瞳から遠ざかり、客室のフロアへ向かうエレベーターホールへ向かうその人物の後ろ姿を見ずにはいられない。遠目にもわかる黄金色の、腰近くまであるほどの長い髪が揺れている。さらりとした感じの生地で包まれているらしいその足が大股で行く様子を見れば、たぶん男性なのだろう。そうしてエレベーターホールの案内をしている女性が指し示す方向へ向かうと『彼』はすい、とそれに乗ってしまった。
 「ロザリアちゃんもご覧になって?」
 声が掛かったので、振り返ってみれば顔だけは見知っている同じホテルの宿泊客の老婦人だった。彼女がどうしてロザリアの名前を知り得ているかなどということは、ロザリアは疑問に思わない。彼女が知らなくても、相手が彼女の名前を知っていることは多々あるからだ。何故ならロザリアは、カタルヘナ家の一人娘なのだから。
 彼女もどうやらあの入口にいた者のひとりらしい。同類になりたくない、と思う一方で今の人物のことが話したくてたまらない様子の彼女の言うことも聞いてみたい気がした。
 「後ろ姿だけ……」
 「そう、そうよね」
 ロザリアの前のソファに座ると彼女は身を乗り出した。朝っぱらから香水の匂いがきついとロザリアは、表情には出さないようにしながら心の中で顔を顰めてみせた。
 「あの食堂の朝食は十時まででしょ? ところが今の人はそれより後に来たけれどお断りされなかったのよ」
 そういうこともあるでしょうよとロザリアは、いつもならこれまた丁寧に十時以降に来店した客を断るあの支配人の姿を思い起こしつつ心の中で呟いてみた。
 他の女性たちも集まってきた。皆、一同に興奮している様子だったので、ロザリアは聞く素振りを見せたのは拙かったかと思ったが、いざとなれば、両親が心配しているからと言って抜け出せると思い返した。よほどのことがない限り、他人に嫌悪や怒りの表情を見せてはならないとロザリアは常日頃から言われていた。それは腹のさぐり合いを常とする父や母、そして自分のいる場所では当然のことだと、十二歳のロザリアなりに叩き込まれていた。だからこそ、両親の屈託ない笑顔を見るとロザリアは嬉しくなるのだ。
 一方、彼女たちは口々に今、目撃したことを言い合っている。
 「まるで彫像が動いているようだったわ」
 「パンをちぎる指先までがそれはそれは優雅で」
 「物を食べるなんて思えないほど美しくて」
 誰かがそう言ったとき、一斉に賛同の声が上がった。
 お腹が空いたら何もできないでしょうに、とロザリアは内で呟く。美しいならわたくしの父や母だって美しくてよ。でもお腹が空いたら美味しいと言ってあのパンを食べるもの。だから、その人だって一緒よ。
 退屈になってきたのでロザリアは、先程用意していたとおり「両親が待っていますので」と最初に話しかけてきた老婦人に告げ、その場にいた女性たちに「ごきげんよう」とスカートを軽くつまんで挨拶してみせると踵を返した。
 さすがカタルヘナ家のお嬢さんね、といつも耳にする言葉を背から受けつつ、ロザリアの心はもう、午後から過ごす海に向かっていた。もちろん、『彼』のことも気になったが、それはそのうち……たぶん朝食時に会えるだろう、とロザリアは思っていた。
 だってあのパンは、ちょっと美味し過ぎるんですもの。絶対食堂に来るはずよ。
 少々食い意地の張った確信で、とても両親には話せないとロザリアは小さく肩をすくめた。