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空跳ぶカエル
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わたしは明日、明日のあなたとデートする

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8.高寿



2040年3月21日

 春一番が吹いていた。ビルの谷間を通る風はさらに加速され、台風並みの強風が吹き荒れていた。高寿のオフィスの窓の外を、どこかのビルの看板が飛んでいくのが見えた。高寿は窓に顔を寄せて看板の行く先を見守った。あれが人に当たりでもしたら大変なことになってしまう。
 幸い、看板は街路樹の枝に引っかかった。道を歩いている人も看板の存在には気づいている様子なので、惨事にはならないだろう。高寿は窓から離れて自分のデスクに座り直した。
 すると谷口がデスクの前に立っていることに気づいた。
「あ、谷口、いたのか」
「はあ。あの、例のクリップがいくつか仕上がったので、見てみますか?」
「ああ、そうか。見てみようか」
 高寿はそう言って立ち上がった。谷口が姿勢を変えずに言った。
「翔平、この頃どうしちゃったんですか?」
「え?何か問題があるのか?」
 高寿が聞き返すと谷口が首を横に振った。
「いいえ。逆です。仕事が早くなりました。今回も三本もクリップを作ってます。それに前ほど陰気じゃなくなった気がします」
 高寿は笑った。
「じゃあ、なんでそんな不満気な顔をしてるんだ?」
「いや、今までやつにはさんざんきつく当たっているんで、どう接して良いかわからなくなってしまいまして」
「お前が今の翔平を認めているのなら、それを態度と言葉で示してやれ」
 高寿は谷口の肩を叩いて先に部屋を出て試写室に向かった。高寿の後ろを谷口がついてくる。試写室と言っても、十人ほど入れば満員になる小さな部屋だ。夏に暗幕を張って試写をすると暑さと狭さに卒倒しそうになってしまう。
 今度の新作は、同じ人物と思われる幽霊が、主人公の少年時代から壮年期まで繰り返し現れる、というストーリーのアニメと決まっていた。実はその先はまだ高寿も考えていないのだが、制作発表と配信用に三十秒ほどのアニメを制作する必要があって、そのためにストーリー原案をアニメーションチームに伝えた上で「幽霊の出現シーン」の短いクリップを何本か制作することを命じていた。
 試写室には高寿と谷口、そして各セクションの担当者の合計五人が入った。
 暗幕を張って部屋が暗くなったところで谷口が説明を始めた。
「これから社長から制作の指示があったクリップを十本ほど見ていただきます」

 三本目のクリップは、始まった瞬間に翔平が作ったものとわかった。
 薄暮時の池の畔の道を、奥から少年が歩いてくる。手前には池に突き出すように造られている東屋がある。
 シーンは数秒、東屋を前景に奥から手前の方に歩いてくる少年を見せ、次に少年のアップに切り替わった。少年の顔には火傷の跡こそないものの、怒りと孤独を目に滲ませている。
 次に画面は少年の主観視点に切り替わった。俯いて歩いているのだろう、足下の道が視野一杯に広がっていて、それが揺れながら後ろに流れていく。時々画面右上に東屋が入りこんでいた。東屋が視野に入る度に近づいているのがわかる。
 何度目かに東屋が視野に入った。もうかなり近づいているので東屋の全景は入らない。東屋の床と奥の手すりの下半分が辛うじて画面に入る程度だ。その東屋が視野からフレームアウトして数歩歩いたことを示す揺れが入り、再び東屋の床が視野に入ったとき、そこにスカートを履いた女性の足が見えた。隣に座っていた広報担当の船木が思わず声を漏らした。
 画面は素早く右上にスクロールし、女性の全身を捉えた。紺色のワンピースを着た女性が背中を向けて立っている。薄暮時の暗紫色の空に紺のワンピースが混じり合っているようだ。女性の足首と首筋だけが白く際だっていた。
 画面はそこでフリーズしたように固定された。すると女性の身体から池の対岸にあるビルの灯りが透けて見えることに気づいた。女性の身体の「透明度」は、揺れるように変化していた。
 女性がゆっくり振り向いた。さらに目を泳がせて視点の主である少年を女性の視線が捉えた。そして女性が口を開いた瞬間、急速に透明度を増した女性は霧散するように消えた。
 画面は女性が消えた東屋を数秒間映し、恐怖を貼り付かせた少年の顔のアップに切り替わった。そしてそのままズームアウトしていった。誰もいない東屋が画面に入り、池が入り、少年が小さな点になるまでズームアウトして、クリップは終わった。
 隣の船木が高寿に囁いた。
「すごいクオリティですね」
 確かに、もちろんモデリングも粗いしポリゴン数も少なく、3D表現も少しおかしいところがあったが、それでも社内のデモ用クリップの域は遙かに超えた映像だった。
 そして高寿にはやはり、この「幽霊」は愛美にしか見えなかった。
 エミよりは遙かに年配には見えたが、やはりこれは愛美だと高寿には思えた。

 試写後、高寿は例の三本目を含んだ三本のクリップを採用し、本格的に制作するよう指示した。
 だが高寿には、採用はしなかったがとても気になるクリップがもう一本あった。
 それは電車の運転手の視点から始まる映像で、暗闇の中で電車のライトが照らす範囲だけが見えているシーンから始まった。ライトに照らされた線路が猛烈なスピードで後方に流れていく。
 数秒後、ライトの照射範囲ぎりぎりに人影らしいものが映った。画面は運転手の驚愕の表情を横から見るアングルに変わった。運転手はバストアップで映っているが、慌てて何かを操作するような動きを見せ、甲高い警笛とブレーキ音が響いた。画面が小刻みに揺れて急ブレーキをかけていることを示していた。
 画面は再び運転手の主観に切り替わり、ぐんぐん接近してくる人影を見せた。接近するにつれ、それが紺色の服を着た女性だということがわかった。
 女性は警笛に驚いたのか、両手で耳を塞いでしゃがみ込んでしまったが、顔はまっすぐ運転手の視線を捉えていた。映像を見ていてもブレーキが間に合わないことは容易に見てとれた。
 画面は運転手の絶望に満ちた表情を一瞬映し、再び主観視点に戻った。女性が線路上に崩れ落ちるのが見えた。
 唐突に画面が女性の主観視点らしいものに切り替わった。線路の間の地面上、ほんの数センチメートルの位置に設定された視点から、覆い被さるように接近してくる電車が見えた。運転手の引きつった顔も確認できる。
 電車が視点の上を通過する瞬間、画面が暗転してクリップが終わった。
 高寿は、その女性もまた愛美に見えたことにショックを受けていた。

 社長室に戻ってから高寿は翔平を呼んだ。
 すぐに翔平が部屋に入ってきた。なるほど、顔つきが以前とは少し変わった。相変わらず陰気は陰気なのだが、キレると何をするかわからないという危険性を感じる目ではなくなったような気がする。少し穏やかになった、とでも言えば良いのだろうか。
「翔平、あのクリップ、良かったぞ」
 高寿が言うと、翔平は軽く苦笑いを浮かべた。
「まあ、あれは実体験をそのまま映像にしたようなものですから」
「あのシーンは映画本編にも使いたいから、少年の顔以外はそのつもりで仕上げておいてくれ。主人公の設定はまだ変わるかもしれないからな」
「わかりました。特にあの幽霊の見え方や消え方は、僕の記憶をまだまだ再現しきれていないので、もっと良い見せ方を考えてみます」