冒険の書をあなたに
長椅子へ力なくへたり込んだアンジェリークを見て、もどかしさが苦しく胸に迫った。
「アンジェ、大丈夫ですか」
穏やかな声を聞いた瞬間、噛み締めていた唇から堰を切ったように嗚咽が漏れた。
そのまま咽び泣くアンジェリークを引き寄せて、項垂れている頭を胸へとそうっともたれさせた。
幾度息を吸い込んで言葉を探してみても、彼女の痛みを取り去れそうな表現がなかなか出てこない。
水鏡で前国王の最期の瞬間を見たという。
見ていて痛ましいほどのこの取り乱し方を見れば、どれだけの惨劇がそこに映っていたかは想像に難くない。
そもそも大の男が一番身近な妻にすら話せないほどの出来事を、何故私のアンジェリークが受け止めなくてはならないのか。一体それに何の意味があるというのだろう。
心の奥底に、ほんの僅かな腹立たしさ──そして言い様のない不愉快な感情の澱が静かに降り積もっていく。
それでもこうして他の誰かのためにさめざめと泣いている彼女を前にして、突き放すことなんて絶対にできはしないのだ。
全てのものを等しく慈しむ心ごとひっくるめて、彼女は女王アンジェリークなのだから。
泣かないで、と言いかけてやめた。
ここはむしろ存分に泣かせておいたほうがいいような気がした。
「思い切り泣いてもいいんですよ、ここには私しかいませんから……」
「ごめ……なさ……今だけ、は……」
頷きつつしゃくりあげる彼女の背をさすりながら、ルヴァはほろ苦い憂愁を感じていた。
苦しみや悲しみなど何も知らせぬまま、砂糖菓子のように繊細で柔らかなあなたの心を真綿でそうっと大切に包み込んで、ただ漠然と時が過ぎるのを待てたら良かったのに、と。
アンジェリークの嗚咽が小さくなり、鼻をすすり始めた頃を見計らって声をかけた。
「ルイーダさんのところで、何か温かいものでも貰ってきましょうか」
すっかりと赤く腫れあがった瞼をゆるりと持ち上げて、いつもは新緑を思わせる美しい瞳──いまは白い部分も全て赤くなってしまっている──がこちらへと視線を向けて、首を横に振った。
「いいの……このままでいて」
水鏡で何を見たのかは正直知りたかったけれど、とても訊く気にはなれなかった。アンジェリークからも言い出すことはない──それで充分だった。
それよりもいまは、こちらに身体を預けて打ちひしがれている優しき天使を、ただひたすら甘やかせてやりたかった。
「お安い御用です。眠くなったらそのまま寝ちゃって下さいねー」
そのまま眠ってしまえるように寝台へと移り、アンジェリークを腕に抱いてそう告げると口元に弱々しい微笑の兆しが見えて、それがやがて静かな寝息に変わった頃にルヴァの意識も深い眠りの中へと落ちていった。