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美月~mitsuki
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時津風(ときつかぜ) 【二章】

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二章





「仔細、確かに承りました。父君にはくれぐれも宜しくとお伝え下さい。」
「恐れ入ります。先程申し上げました通り、当日は僕が東京駅までお迎えに上がります。この度の母の法要、何卒宜しくお願い申し上げます。」
 赤司は通された部屋の座卓の前で今一度姿勢を正した後、この寺の院主(いんしゅ)に深々と一礼した。それに礼を返した院主が、頭を上げた赤司をしげしげと眺める。
「それにしても御立派になられましたなぁ。とても十六とは思えへん堂々とした風格や。母君が亡くなられた時はまだまだ幼さの残るお子や思ぅとりましたが・・・いや、月日の流れは早い。父君も御安泰ですな。」
 院主にそう言われ、赤司は目を伏せたまま微かに口元に笑みを浮かべた。
「滅相も無い。父から見れば、僕はまだまだ心許ない存在でしょう。厳しいのは依然変わりません。」
 赤司の言葉に院主はふむ、と微かに頷くと、目の前に静かに座る少年の佇まいを改めて眺めた。
「征十郎はん。」
「はい。」
 不意に名を呼ばれ赤司が顔を上げる。
「──何か?」
 不思議そうに赤司が見返すと、院主はひとしきり彼の瞳の奥を覗き込むようにした後、ぽつりと呟いた。
「落ちましたな。」
「・・・?」
 その言葉の意味が汲めず、赤司は無言のまま微かに眉を寄せた。そんな彼の反応を院主はどこか楽しむように笑う。
「憑きものが落ちた、いう事です。失礼を承知で申し上げれば、以前お会いした時はもっと険のあるお顔やった。精進されましたな。」
 赤司の瞳がハッと見開かれる。以前この院主に会ったのは確か中学三年に上がる前の正月だ。父と共に年始の挨拶に来たのを思い出す。あの時の自分は既に?もう一人の自分?と入れ替わっていた。赤司は咄嗟に返す言葉を探したが、無駄に終わった。院主はそんな赤司の様子を微笑ましげに眺めながら、ただ静かに頷いている。年相応の素直な、好い顔だと院主は思った。
「── 未だ心定まらず、同じ場所をうろうろと彷徨っております。お恥ずかしい限りです。」
 ようやくそう返した赤司に院主は思わず破顔する。
「ははは。征十郎はんからそないな答えが返って来るゆうんが精進の何よりの証拠や。なぁに、焦る事あらへん。『是諸法空相(ぜしょほうくうそう)』、捉われないゆう事は、ある意味?正解?がないゆう事です。人生は学校の勉強とはまた違いますよってな。そないに簡単に結論が出てしまっては、精進ならしまへん。」
 それを聞いて赤司は苦笑を浮かべた。胸の中で院主の言葉を繰り返す。『是諸法空相』。万物は本来捉われの無い自由な状態であり、人もまた捉われの無い心を持てば執着から離れ、煩悩の炎を消して自由になれるという般若心経の中の教えだ。
「ご自分の心を治めなさい。言うは易しでそう一筋縄ではいかへんやろが、そやし心を治める必要があるのんや。今はぴんときぃひんでも、いずれ必ず何か掴めます。」
「──はい。」
 院主の言葉がずしりと胸に響く。院主は硬い表情で呟いた赤司を黙って見ていた。赤司は口元を引き締めると立ち上がり、院主に暇を告げた。
「では、僕はこれで失礼致します。差し支えなければこのあと写経をさせて頂きたいのですが・・・よろしいでしょうか。」
「ほう・・・写経を。それはまた、殊勝なお心掛けですな。」
 赤司の言葉に住職はそう言って一瞬考え込んだ後、傍に控えていた僧侶に二言三言声を掛けた。すると僧侶が赤司の前に進み出る。
「どうぞこちらへ。御案内致します。」
「恐れ入ります。」
 赤司は僧侶に礼を言うと、院主に今一度深く一礼した。院主が頷いて部屋を出ると、僧侶に続いて赤司もその場を後にする。
 案内に続いて赤司は中庭を囲むように配された濡縁(※ぬれぶち=縁側のように外と部屋の間にある廊下のような空間。ただし、縁側と違って外に面した側に建具がない)を進んだ。中庭の奥には茶室がある。そこに接した水屋で手を洗い、軽く口を濯いだ。写経前には両手と口を清める。それが済むと、すらりと障子を引いて通されたのは十畳ほどの畳敷きの部屋だった。紋縁(※もんぶち=紋の入った畳のへり)の施された畳の上には床の間を中央に左右向き合うように文机が置かれ、墨と硯、筆、文鎮などが用意されている。向かって正面の床の間には嵯峨御流の生花と共に、一人の僧侶の姿が描かれた掛け軸が掛けられていた。それが弘法大師空海の御影だということは赤司にもすぐに分かる。この寺は弘法大師との縁が深い。案内してくれた僧侶が右手前の壁際に備えられた半紙とお清め用の香を示した。赤司が心得た様子で頷くと、後で茶を振舞うので書き終えたら部屋の前の濡縁で待つようにという事と、書いた経文を納めるのであれば床の間の三宝(さんぽう)に収めるようにと言い残し、部屋を出ていった。言われて床の間に目をやれば、確かに掛け軸の前には三宝が置かれている。
 部屋には自分以外、誰も居なかった。歴史が古く観光スポットとしても有名なこの寺には写経を体験しにやって来る観光客も少なくないのだが、タイミングが良かったのだろうか。お陰で心静かに写経に臨めると内心思いながら、赤司は壁際に設えられた一角の前に立った。半紙を手に取る前に、傍らに置かれた功徳箱(くどくばこ)にお金を納める。続いて清めの為の含香として丁子(※ちょうじ=クローブ)を口に含み、塗香(ずこう)を両手に塗った後で半紙を一枚携えると、床の間に向かって左側の文机の前に座った。半紙を文鎮で押さえ、次に自分の鞄から龍紋の数寄屋袋を取り出す。中から折り畳んだ半紙を出すと赤司は感慨深げにその表面を撫でた。実渕には毎年と言ったが、実際にこの中に入っている般若心経は三枚だけだ。母が亡くなった小学五年から中学一年までの分で、中学二年から去年までの間、赤司は写経を行なっていなかった。もう一人の自分には写経をしようなどという気持ちは湧かなかったようだ。恐らくその必要などなかったのだろう。
 赤司は三枚のうちの一枚、ここに来る前に実渕に見せたものを広げた。実渕は今の赤司が書いたものだと思ったようだが、自分でこうして見るとやはりその文字は幼い。しかもこれは特に文字が乱れている。赤司の脳裏に、母が亡くなった日の夜の記憶が蘇った。
 その日のうちに通夜を執り行うと翌日の葬儀が友引に当たる為、通夜を出すのは一晩据え置かれた。父は母の葬儀の準備に追われていたが、何故か自分だけはひどく静かな時間を過ごしていたのを覚えている。こんな時であれば誰かが自分の様子を見に来る筈なのに、あの晩は誰も自分の部屋にはやって来なかった。屋敷中が落ち着かず、家の者も自分の様子を見る事にまで気が回らなかったのかもしれない。
 静かな夜だった。夕方までしとしとと降っていた雨が上がり、星がきれいに見えていた。
 あの晩に限っては勉強もお稽古事の練習もしなくて良いと言われた。部屋に一人居て何をしてもいい筈なのに、何をして良いのかが分からない。ぽっかりと空いた時間など、今まで経験した事が無かった。こんな時どうすればいいのだろうと考えていた。ふと、前日に用意していた書道の道具が目に入った。母の入院先から連絡が来ていなければ、今日は書の手習いに行っていた筈だった。