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大人二人と子供一人

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気がついたら味覚が変化していた。ドーナツ一個で昔は吐き気がしたものだが、
今はおやつに4個食べても何ともならないし、夕飯も当たり前のように食べることができる。
おまけに、いくら食べても体重計になんら変化は無い。有り難い話である。

「まだ食べるのかね」

そういえばコーヒーもブラックで飲めるようになった。インスタントや缶コーヒーは
無理だが。
目の前の男は興味深そうにこちらを見ている。手にしているのはボーンチャイナの
カップで、中では優雅な芳香のダージリンが揺れている。
彼女は何も答えずに、ただひたすら皿の上のケーキを消化することに没頭した。
ラズベリーがソースのアクセントになっていて、それがこのケーキの味に奥行き
をもたらしているんだな、と彼女は思う。次はスフレにしよう。

「大人になるってさ_____つまりどういうこと?」
「いきなり何かね」
「いや、コーヒーがブラックで飲めるようになったら大人だって昔あなたに
言われた事があったような」
「ふむ。そういえば君は昔、私のコーヒーをこっそり飲んで目を丸くしていた事があったな」

マグカップの中の黒い液体に興味を抱いた幼い子供が、こっそりとカップを抱えて、
用心深く舌を突き出して舐めているところを思い出して、松永は微笑んだ。

『だんじょうさん、にがいの、おいしいの?』
『卿はまだ子供だ。子供に飲む資格は無いのだよ』
『おとなになったら、のんでもいいの?じゃあ、だんじょうさんは_____』

おとななの?
そう聞かれて返答に詰まった。子供の黒くて無邪気な瞳がこちらを無遠慮に
見上げている。松永は子供と言うものが嫌いだった。特に目の前の子供が。

「おーい、弾正さん?おーい」

目の前でひらひらと手を振られて松永ははっと我に返った。目の前の子供は
松永が気を抜いている間にあっという間に大きくなってしまった。しかし、黒くて
無邪気な瞳は変わっていない。

「珍しいね、そんなに惚けた顔をするとは」
「そうかね」

ポーカーフェイスを保ちつつ、松永は紅茶をまた啜った。

「で、話は元に戻るんだけど」
「・・・アメリカに行くのだろう?私を置いて」

彼女が松永を今日呼び出したのはその話を打ち明けるためだったが、
もう知っているらしい。あいかわらず強かな男である。

「・・・別に外国になど行かずとも良い。卿は私の側にいさえすれば良いのだよ」
「・・・駄目だよ、それは。良くない。あなたの奥さんがもう長くはないのは知ってる」
「妻とはもう長い間話してもいないし会ってもいないと、何度言ったら理解するのかね」
「そういうことじゃない。周囲の人間が下衆な勘繰りをしてもあなたは気にしない。
でも奥さんの側にいてあげて」

寂しくも儚げなあの女性は、もう自分は長くはないのだとベッドの
上で彼女に語った。

『あなたが主人とどういう関係なのかは知っています』
『すいません、被後見人という立場でありながら』
『・・・いいえ、それはいいのです。私は私なりにあの人を愛したけど、
そばに寄り添うことは出来なかった。あなたはあの人の心を理解することが
できる。それが羨ましいわ・・・。でもそれができたとしても、
もう私には時間は残っていないの』
『・・・奥様、私はアメリカに行こうと思っています。あの人は引き止めるでしょう。
・・・でも、このままずるずると彼から支援を受け続けては・・・。周りの人は
皆私を愛人と呼ぶでしょう。なぜなら、彼との立場は対等ではないから』
『あなたは彼と、対等な関係になりたいと思っているの?』
『出来ることならば。あなたはまだ彼を愛しているのですか?』
『ええ。でも、あなたの存在を知っても私は嫉妬することはありませんでした。
おかしいでしょう?・・・お願い、あなたがアメリカに行ってしまうと言うのなら、
私が息絶えるまであの人を私に返してくださらない?心は無理でしょうけど』
『そう言おうと思ってここにやって来たんです・・・ごめんなさい、本当に
ごめんなさい。私は本当に、ただの子供でした』

彼女がそう言うと、夫人はうっすらと笑った。

『いいえ、子供はあの人よ』


作品名:大人二人と子供一人 作家名:taikoyaki