As you wish / ACT6
ACT6~義務?いいえ、愛です~
仕方がない、そう、仕方がないんだ。
半分自分に言い聞かせるように心の中で繰り返して、帝人は上着を脱いだ。Tシャツは襟ぐりが広いものを着ていたので、首筋に当てているガーゼが露になる。それに手をかけてべりっと剥がしたなら、臨也の歯型が・・・正しくはキバの痕が、表に表れるわけで。
「み、帝人、それ・・・」
絶句した正臣に、まあ普通はえぐいよね、と帝人は冷静だった。その周辺は少し赤黒く、ぱっと見は酷い打撲の痕のような色だし。
「あー、うん、大丈夫だから」
ひらひらと手を振って答えて、帝人は一つ深呼吸をする。心のそこから嬉しそうに帝人を凝視している臨也について考えた。別の部屋で、と言いかけてやめる。そうしたら目の前のこの男は普通に喜ぶだろうし、ベッドの上で苦しそうにしている親友は心配するだろう。何もやましいことではないんだ。吸血鬼に血を与える、つまりそれはおなかがすいている人間に食事を作ってあげる行為と同じ、自己暗示を繰り返しているあたり、臨也の思惑にはまったなと思う。
血を吸われる感覚、あの、ぞわぞわと落ち着かない浮遊感。這い回る手のひらに快感を覚える程度には、帝人だって健全な男だ。けれど今この場であんな状態になるわけには行かないのだ。
「一つ言っておきますけど、手は自重してくださいね」
「えー、ヤダ」
「臨也さん?」
「だってー」
「臨也」
だだっこかお前は、と怒鳴りたいところをこらえてあえてトーンを落とした声で呼び捨てにするに留める。すると臨也は何が可笑しいのか、心底楽しそうに笑う。
「いいなあいいなあいいなあ!帝人君のそういう顔、ほんと・・・クるよね」
「頭にですか」
「ほんと帝人君ってつれない。まあでもそこも好きだけど」
「そうですか、僕は臨也さんの話の通じないところ嫌いです。とにかく命令ですから」
男らしく潔くときっぱりさっぱり言うのに、それさえ嬉しそうに目を細めて、臨也の目の色が変わった。
文字通りの意味で。
「う、わ」
「え・・・?」
新羅以外のギャラリーが、いっせいに息を呑む。ただでさえ剣呑な臨也の赤い瞳が、月のような淡い光を放った。それはいっそ毒々しいまでに美しい深紅の、流れる血そのもののような色合いで、楽しそうに嬉しそうに微笑むその表情と合わされば、まるで残忍な悲劇のような不吉さがあった。
けれども帝人は知っている、いや、繋がっているから伝わる、と言うほうが正しいのだろうか。この顔は別に残忍なことを考えている顔でもなければ、凶悪な顔でもない。ただ、単に、本能から興奮しているだけの顔だということを。
そうだ、臨也は興奮している。帝人の血を前にすると何時だって、興奮しないではいられないのだ。繋がってしまった精神のどこかから、臨也の叫ぶ声がする、愛しい、と、愛していると。
冗談に紛れてごまかして、怒ったふりで受け流し、切り捨てることでなかったことにし続けているのに、その声は日に日に強く、帝人を呼ぶ。俺のものになれ、と呼ぶ。焼き尽くすような熱さで、帝人だけだと信じろと一生離さないと繰り返す。
いい加減、絆されそうになっているのは確かだ。多分帝人は臨也を嫌いじゃないし、臨也もそれを知っている。時間の問題、そういうことだ。けどまだだめだ。帝人にだって意地はある。
まだ、だめ。
まっすぐに見つめた視線の先で、揺らぐような深紅がいとおしげに細められた。
無防備にさらされた帝人の首筋は、週に一度の習慣化した搾取のせいで少し黒ずんで、まるで殴打の痕のような痛々しさがある。白くて綺麗な肌に刻まれたその傷を、痛くないのかと聞いたことがあるが、そのとき少年は少し眉を寄せて無感情に言い捨てた。
「傷があるうちは痛くないです。それより、この傷が綺麗に塞がったらそのほうが痛いですね」
どういう意味か分からないと目を見開いた臨也に苦笑して、帝人は言った。
「血を吸われるときの話です。傷がふさがってない時なら、同じ所から吸われるのは痛くないんですよ。でも、完全にふさがって元通り白くまっさらになると、次に臨也さんに吸われるときすごく痛いんですよね」
新しい傷を作るわけだから、当たり前なんですけどね。そんなことを言った帝人に、臨也は軽くめまいを覚えるほど驚いた。傷口をえぐるほうが痛いんじゃないかと思っていたから、というのもあるけれど、何より驚いたのは、傷が完全にふさがったその後も臨也に吸血されることをとっくに覚悟していた帝人の思考のほうだ。
契約は絶対だと、確かに臨也は告げた。
けれどもそれは、正確に言うならば永遠ではない。「主」である帝人が一言、破棄を申し出ればこの関係は終わることができる。それについてはきちんと説明してあって、それでもなお帝人は先を信じてくくれていた。冗談でなく震えるほど人をいとしいと思ったのはその時が初めてだ。思えば自分はあの時から完全に少年におぼれたと臨也は思う。
どうせならこの命は帝人のために捨てよう。そして、帝人のために使おう。それはとてもシンプルで、けれども強固な恋慕だった。最早彼の血に毒された体は、髪の毛の先からつま先の爪まですべての細胞で彼を欲しいと叫ぶ。
もっと使って頼って命じて欲しい。きっと役に立って見せる。そうして良い子と頭を撫でられたら、それだけでだって舞いあがれるのだ、今の自分は。
そんなこと今まで一度だって思ったことがなかったけれど、帝人にならばそう思う。最早すべてのベクトルは彼を指し、素敵で無敵な情報屋は恋の奴隷となり果てた。けれども素敵で無敵に戻りたいなんて思わない。帝人がいないなら、そんなものに意味はない。
「吸っていいの?君なら、別室を貸せとか言うかと思ったけどなあ」
「思いましたけど、そうしたら臨也さん喜びそうなんでやめておきます」
えーと、手はダメなんだっけ?体触るの、わざとだってうやっぱりバレてたわけね。でもあれを許すんだから、脈ありだよねえ?
「ここから血を吸うの?」
新羅が興味津津に帝人の首筋の傷を眺める。
「医者から言わせてもらうとこれ、膿むから消毒してふさぎたいけど」
「痛そうだね」
沙樹が眉をしかめて言うのに、正臣も同意だと言うように頷いた。
「や、もう慣れたから・・・あと吸血鬼の唾液が特別だとかで、普段は痛みとかはないんだ。・・・膿んだこともないです」
後半は新羅に、前半は沙樹と正臣に向けて言う。確かに赤黒いその傷は、見た目は非常に痛々しいけれど、本人も言うように痛みはほとんどないはずだ。
「血って一回でどのくらい飲むの?」
新羅がふと臨也を見る。
「んー?まあ帝人君の体調によって200から400くらいかな」
「ああ、献血と同じくらいなんだ」
「帝人君が貧血で意識失う寸前くらいになるのが400だから、250くらいが平均値かな」
へえーと目をキラキラさせている新羅が、解剖させてとか言い出す前に終わらせたいと、臨也は帝人を正面から抱き抱える。帝人からすれば丁度正臣のベッドに背を向ける形になり、臨也は顔をしかめる正臣をよく見ることができた。首筋の傷からは、相変わらずいつでも食欲をそそるいい香りがする。
「あ、ヤバイ」
仕方がない、そう、仕方がないんだ。
半分自分に言い聞かせるように心の中で繰り返して、帝人は上着を脱いだ。Tシャツは襟ぐりが広いものを着ていたので、首筋に当てているガーゼが露になる。それに手をかけてべりっと剥がしたなら、臨也の歯型が・・・正しくはキバの痕が、表に表れるわけで。
「み、帝人、それ・・・」
絶句した正臣に、まあ普通はえぐいよね、と帝人は冷静だった。その周辺は少し赤黒く、ぱっと見は酷い打撲の痕のような色だし。
「あー、うん、大丈夫だから」
ひらひらと手を振って答えて、帝人は一つ深呼吸をする。心のそこから嬉しそうに帝人を凝視している臨也について考えた。別の部屋で、と言いかけてやめる。そうしたら目の前のこの男は普通に喜ぶだろうし、ベッドの上で苦しそうにしている親友は心配するだろう。何もやましいことではないんだ。吸血鬼に血を与える、つまりそれはおなかがすいている人間に食事を作ってあげる行為と同じ、自己暗示を繰り返しているあたり、臨也の思惑にはまったなと思う。
血を吸われる感覚、あの、ぞわぞわと落ち着かない浮遊感。這い回る手のひらに快感を覚える程度には、帝人だって健全な男だ。けれど今この場であんな状態になるわけには行かないのだ。
「一つ言っておきますけど、手は自重してくださいね」
「えー、ヤダ」
「臨也さん?」
「だってー」
「臨也」
だだっこかお前は、と怒鳴りたいところをこらえてあえてトーンを落とした声で呼び捨てにするに留める。すると臨也は何が可笑しいのか、心底楽しそうに笑う。
「いいなあいいなあいいなあ!帝人君のそういう顔、ほんと・・・クるよね」
「頭にですか」
「ほんと帝人君ってつれない。まあでもそこも好きだけど」
「そうですか、僕は臨也さんの話の通じないところ嫌いです。とにかく命令ですから」
男らしく潔くときっぱりさっぱり言うのに、それさえ嬉しそうに目を細めて、臨也の目の色が変わった。
文字通りの意味で。
「う、わ」
「え・・・?」
新羅以外のギャラリーが、いっせいに息を呑む。ただでさえ剣呑な臨也の赤い瞳が、月のような淡い光を放った。それはいっそ毒々しいまでに美しい深紅の、流れる血そのもののような色合いで、楽しそうに嬉しそうに微笑むその表情と合わされば、まるで残忍な悲劇のような不吉さがあった。
けれども帝人は知っている、いや、繋がっているから伝わる、と言うほうが正しいのだろうか。この顔は別に残忍なことを考えている顔でもなければ、凶悪な顔でもない。ただ、単に、本能から興奮しているだけの顔だということを。
そうだ、臨也は興奮している。帝人の血を前にすると何時だって、興奮しないではいられないのだ。繋がってしまった精神のどこかから、臨也の叫ぶ声がする、愛しい、と、愛していると。
冗談に紛れてごまかして、怒ったふりで受け流し、切り捨てることでなかったことにし続けているのに、その声は日に日に強く、帝人を呼ぶ。俺のものになれ、と呼ぶ。焼き尽くすような熱さで、帝人だけだと信じろと一生離さないと繰り返す。
いい加減、絆されそうになっているのは確かだ。多分帝人は臨也を嫌いじゃないし、臨也もそれを知っている。時間の問題、そういうことだ。けどまだだめだ。帝人にだって意地はある。
まだ、だめ。
まっすぐに見つめた視線の先で、揺らぐような深紅がいとおしげに細められた。
無防備にさらされた帝人の首筋は、週に一度の習慣化した搾取のせいで少し黒ずんで、まるで殴打の痕のような痛々しさがある。白くて綺麗な肌に刻まれたその傷を、痛くないのかと聞いたことがあるが、そのとき少年は少し眉を寄せて無感情に言い捨てた。
「傷があるうちは痛くないです。それより、この傷が綺麗に塞がったらそのほうが痛いですね」
どういう意味か分からないと目を見開いた臨也に苦笑して、帝人は言った。
「血を吸われるときの話です。傷がふさがってない時なら、同じ所から吸われるのは痛くないんですよ。でも、完全にふさがって元通り白くまっさらになると、次に臨也さんに吸われるときすごく痛いんですよね」
新しい傷を作るわけだから、当たり前なんですけどね。そんなことを言った帝人に、臨也は軽くめまいを覚えるほど驚いた。傷口をえぐるほうが痛いんじゃないかと思っていたから、というのもあるけれど、何より驚いたのは、傷が完全にふさがったその後も臨也に吸血されることをとっくに覚悟していた帝人の思考のほうだ。
契約は絶対だと、確かに臨也は告げた。
けれどもそれは、正確に言うならば永遠ではない。「主」である帝人が一言、破棄を申し出ればこの関係は終わることができる。それについてはきちんと説明してあって、それでもなお帝人は先を信じてくくれていた。冗談でなく震えるほど人をいとしいと思ったのはその時が初めてだ。思えば自分はあの時から完全に少年におぼれたと臨也は思う。
どうせならこの命は帝人のために捨てよう。そして、帝人のために使おう。それはとてもシンプルで、けれども強固な恋慕だった。最早彼の血に毒された体は、髪の毛の先からつま先の爪まですべての細胞で彼を欲しいと叫ぶ。
もっと使って頼って命じて欲しい。きっと役に立って見せる。そうして良い子と頭を撫でられたら、それだけでだって舞いあがれるのだ、今の自分は。
そんなこと今まで一度だって思ったことがなかったけれど、帝人にならばそう思う。最早すべてのベクトルは彼を指し、素敵で無敵な情報屋は恋の奴隷となり果てた。けれども素敵で無敵に戻りたいなんて思わない。帝人がいないなら、そんなものに意味はない。
「吸っていいの?君なら、別室を貸せとか言うかと思ったけどなあ」
「思いましたけど、そうしたら臨也さん喜びそうなんでやめておきます」
えーと、手はダメなんだっけ?体触るの、わざとだってうやっぱりバレてたわけね。でもあれを許すんだから、脈ありだよねえ?
「ここから血を吸うの?」
新羅が興味津津に帝人の首筋の傷を眺める。
「医者から言わせてもらうとこれ、膿むから消毒してふさぎたいけど」
「痛そうだね」
沙樹が眉をしかめて言うのに、正臣も同意だと言うように頷いた。
「や、もう慣れたから・・・あと吸血鬼の唾液が特別だとかで、普段は痛みとかはないんだ。・・・膿んだこともないです」
後半は新羅に、前半は沙樹と正臣に向けて言う。確かに赤黒いその傷は、見た目は非常に痛々しいけれど、本人も言うように痛みはほとんどないはずだ。
「血って一回でどのくらい飲むの?」
新羅がふと臨也を見る。
「んー?まあ帝人君の体調によって200から400くらいかな」
「ああ、献血と同じくらいなんだ」
「帝人君が貧血で意識失う寸前くらいになるのが400だから、250くらいが平均値かな」
へえーと目をキラキラさせている新羅が、解剖させてとか言い出す前に終わらせたいと、臨也は帝人を正面から抱き抱える。帝人からすれば丁度正臣のベッドに背を向ける形になり、臨也は顔をしかめる正臣をよく見ることができた。首筋の傷からは、相変わらずいつでも食欲をそそるいい香りがする。
「あ、ヤバイ」
作品名:As you wish / ACT6 作家名:夏野