世界会議にて
「世界会議にて」
すでに予想していたこととはいえ、午前中の会議は最悪だった。
──結論どころか午前中いっぱい使って何の進展もなく、更に問題を増やしやがって・・・。全くあれじゃ何のために会議を開いているのか分かりゃしない!昼だっていうのに、ゆっくり飯も食えないじゃないか・・・。
ルートは心の中でぼやいた。
忙しい時間を割いて、今日ここに集まったのは世界会議開催のためだ。
混乱に満ちた会議は午前の部として用意された時間を軽く消化してしまい、一旦昼の休憩に入ることになった。他国の参加者達は、おそらくまだ食後の一杯などを軽く楽しみながら、ラウンジで談笑でもしている頃だろう。シエスタ組に至っては、この大変な時に、呑気にも昼寝に及んでいるかと思うと、ルートの苛立ちは頂点に達した。
こっちは昼食もそこそこに切り上げて、あわてて控え室に戻って、こうして段取りをしているって言うのに。あいつらときたら、大体やる気があるのか?
用意しておいた資料を再確認しつつ、午後からの会議に備えて準備を進めながらも、苛立ちは収まるどころか募る一方だった。
おそらく午後からも、俺が仕切ってやらないと、またあの調子で問題を増やすに違いない。俺は今度の会議に賭けているんだ。第一この会議にはわが国の、いやこの世界そのものの将来が掛かっている。あんなやつらにこれ以上引っ掻き回されるわけにはいかない!
精悍な顔立ちに、更に強い決意をにじませて、資料を見ながらどう会議を進めるか、段取りを練っていく。
──まずはあの、お調子者のくせに油断ならない超大国をどう黙らせるかだが・・・
その時ドアをノックする音が聞こえた。
こんな時間に、こんなところを訪ねて来るなんて誰だ?
また、よりにもよって、このくそ忙しい時に!と苛立ちを隠しもせずに、ドアのほうに声をかける。
「誰だ?」
「・・・私です、ルート」
ドアをそっと押し開いて姿を見せたのはローデリヒだった。
「ん?どうしたローデリヒ、何か急用か?」
「いえ、急用と言うわけではないのですが、ちょっとお話が・・・」
何だか歯切れの悪いものの言い方をするな、とルートは思ったが、こいつの呑気で回りくどいのはいつものことだし──と思い直した。
「とにかく、そんなところに突っ立っていないで入ったらどうだ」
「それではお言葉に甘えて失礼します」
ローデリヒは滑り込むように静かに部屋に入るとドアを閉じて、そっと鍵を閉めた。
「どうした?何で鍵を閉める?」とルートは不思議そうに声を掛けたが、
ローデリヒは目を伏せて「いえ、ただ・・・」というだけで、あまりはかばかしい返事も返ってこない。
元々色白の肌が更に透けるように青白くなっており、目の下には薄っすらとだが、青黒いクマが浮いている。
「どうしたローデリヒ、何かあったのか?少し顔色が悪いようだが」とルートが重ねて聞くと、ちらりとルートの方を見て、
「・・・どうやら、お忙しいところにお邪魔してしまったようですね、申し訳ありません。すぐに出て行きます」
などと言って出て行こうとするので、ルートは慌てて引き止めた。
ルートはローデリヒの様子がどうもおかしいことが気になり、さっきまであれほど苛立っていたことも忘れて、とにかく座れと促しながら自分も書類を置いてデスクを離れ、すぐそばにある簡易応接セットの方に向かった。
二人掛けのソファにローデリヒが座るのを待って、デスクの上に置いていたポットをそちらに持っていき、自分もローデリヒの隣に腰をおろした。
「先ほどルームサービスで持って来させたものだが・・・」とコーヒーを勧めてみる。
「いえ、けっこうです。お気遣いありがとうございます」
いつも射抜くような眼差しでこちらを真っ直ぐに見つめて話すローデリヒが、今日に限ってうつむき加減で目を合わせようともしない。
何か言いたそうに時々顔を上げるが、小さなため息を吐いてまたうつむいてしまう。ルートは促すようにローデリヒの横顔に視線を送りながら、しばらく彼の様子を見ていた。
何かよほど気になることがあるのだろう。かなり注意深い観察者でなければ気が付かない程度だが、落ち着かなげで視線が定まらないのが見て取れた。膝の上で神経質そうに絡めた白くほっそりした指の関節が、時々真っ白になるほど強く握り締められている。
しばらくすると、ルートは彼が心配なのと、少し焦れったくなったのも手伝って、
「どうしたって言うんだ、ローデリヒ?今日はおかしいぞ、お前らしくもない。いったい何があったんだ?とにかく話してみろ、俺とお前の仲だろう?」
ルートはローデリヒの肩を抱いて引き寄せるようにして自分の方を向かせて話し掛けたが、やや詰問口調になってしまったことをすぐに後悔した。
肩を引き寄せられて思わずルートの方を振り向いたローデリヒの紫色の瞳には涙が浮かんでいた。
「・・・す、すまない、ローデリヒ。お前のことが心配でつい・・・」
ルートはひどく困惑した。見てはならないものを見てしまったような気がした。
どうしていいのか分からず、慌てて謝罪すると、彼の肩を掴んでいた手を思わず離した。
その瞬間、ローデリヒはほんの少しうつむきかけたが、今度は真っ向からルートの薄水色の瞳を見つめ返してきた。
だが、それはいつもの射貫くような鋭い眼差しではなかった。普段の彼なら決して見せることのない、まるで親から引き離された子犬が心細さのあまりに縋りつくような目つきだった。
何か言いたげにわずかに開いた唇は震えて言葉を紡ぎだす事ができず、大きく見開いた紫色の瞳からは堰を切ったように涙が溢れ出してきた。喉の奥から搾り出すような嗚咽が漏れたかと思うと、ローデリヒはまるで糸の切れた操り人形のように倒れ込んで、ルートの胸に縋り付いてきた。
ルートはまだ困惑しながらも、子供のようにすすり泣く彼をしっかりと抱き止めた。優しく背中をさすり、髪を撫でてやりながらそっと話し掛けた。
「・・・もう大丈夫だ、何も心配するな。俺はここにいる」
「・・・あなたは・・・ここに・・・いる・・・?」
ローデリヒが、ルートの胸にしっかりと埋めていた顔をふと上げた。
また先ほどのあの目だ。親から無理やり引き離された子犬の縋るような目つき。
涙に濡れた瞳はやや充血して赤く、感情の高ぶりの為か上気した頬は、いささか扇情的にすら見えた。
――こんなときに何を考えているのか、俺は・・・とルートは自嘲する。
そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、ローデリヒは潤んだ紫色の瞳で、じっとルートの薄水色の瞳を見つめながら重ねて問い掛ける。
「――ほんとうに?」
「ああ、本当だ。お前の傍にいるとも」
「・・・よかった」とローデリヒは唐突に子供のような笑顔を浮かべた。
嬉しそうに細めた目の縁から、また涙が一筋零れ落ちる。
それを見たルートは、彼の顔から眼鏡をそっと取り上げると、優しく目元に唇を寄せて、涙を吸い取ってやった。そしてローデリヒの瞳を真っ直ぐに見つめながら話し掛けた。
すでに予想していたこととはいえ、午前中の会議は最悪だった。
──結論どころか午前中いっぱい使って何の進展もなく、更に問題を増やしやがって・・・。全くあれじゃ何のために会議を開いているのか分かりゃしない!昼だっていうのに、ゆっくり飯も食えないじゃないか・・・。
ルートは心の中でぼやいた。
忙しい時間を割いて、今日ここに集まったのは世界会議開催のためだ。
混乱に満ちた会議は午前の部として用意された時間を軽く消化してしまい、一旦昼の休憩に入ることになった。他国の参加者達は、おそらくまだ食後の一杯などを軽く楽しみながら、ラウンジで談笑でもしている頃だろう。シエスタ組に至っては、この大変な時に、呑気にも昼寝に及んでいるかと思うと、ルートの苛立ちは頂点に達した。
こっちは昼食もそこそこに切り上げて、あわてて控え室に戻って、こうして段取りをしているって言うのに。あいつらときたら、大体やる気があるのか?
用意しておいた資料を再確認しつつ、午後からの会議に備えて準備を進めながらも、苛立ちは収まるどころか募る一方だった。
おそらく午後からも、俺が仕切ってやらないと、またあの調子で問題を増やすに違いない。俺は今度の会議に賭けているんだ。第一この会議にはわが国の、いやこの世界そのものの将来が掛かっている。あんなやつらにこれ以上引っ掻き回されるわけにはいかない!
精悍な顔立ちに、更に強い決意をにじませて、資料を見ながらどう会議を進めるか、段取りを練っていく。
──まずはあの、お調子者のくせに油断ならない超大国をどう黙らせるかだが・・・
その時ドアをノックする音が聞こえた。
こんな時間に、こんなところを訪ねて来るなんて誰だ?
また、よりにもよって、このくそ忙しい時に!と苛立ちを隠しもせずに、ドアのほうに声をかける。
「誰だ?」
「・・・私です、ルート」
ドアをそっと押し開いて姿を見せたのはローデリヒだった。
「ん?どうしたローデリヒ、何か急用か?」
「いえ、急用と言うわけではないのですが、ちょっとお話が・・・」
何だか歯切れの悪いものの言い方をするな、とルートは思ったが、こいつの呑気で回りくどいのはいつものことだし──と思い直した。
「とにかく、そんなところに突っ立っていないで入ったらどうだ」
「それではお言葉に甘えて失礼します」
ローデリヒは滑り込むように静かに部屋に入るとドアを閉じて、そっと鍵を閉めた。
「どうした?何で鍵を閉める?」とルートは不思議そうに声を掛けたが、
ローデリヒは目を伏せて「いえ、ただ・・・」というだけで、あまりはかばかしい返事も返ってこない。
元々色白の肌が更に透けるように青白くなっており、目の下には薄っすらとだが、青黒いクマが浮いている。
「どうしたローデリヒ、何かあったのか?少し顔色が悪いようだが」とルートが重ねて聞くと、ちらりとルートの方を見て、
「・・・どうやら、お忙しいところにお邪魔してしまったようですね、申し訳ありません。すぐに出て行きます」
などと言って出て行こうとするので、ルートは慌てて引き止めた。
ルートはローデリヒの様子がどうもおかしいことが気になり、さっきまであれほど苛立っていたことも忘れて、とにかく座れと促しながら自分も書類を置いてデスクを離れ、すぐそばにある簡易応接セットの方に向かった。
二人掛けのソファにローデリヒが座るのを待って、デスクの上に置いていたポットをそちらに持っていき、自分もローデリヒの隣に腰をおろした。
「先ほどルームサービスで持って来させたものだが・・・」とコーヒーを勧めてみる。
「いえ、けっこうです。お気遣いありがとうございます」
いつも射抜くような眼差しでこちらを真っ直ぐに見つめて話すローデリヒが、今日に限ってうつむき加減で目を合わせようともしない。
何か言いたそうに時々顔を上げるが、小さなため息を吐いてまたうつむいてしまう。ルートは促すようにローデリヒの横顔に視線を送りながら、しばらく彼の様子を見ていた。
何かよほど気になることがあるのだろう。かなり注意深い観察者でなければ気が付かない程度だが、落ち着かなげで視線が定まらないのが見て取れた。膝の上で神経質そうに絡めた白くほっそりした指の関節が、時々真っ白になるほど強く握り締められている。
しばらくすると、ルートは彼が心配なのと、少し焦れったくなったのも手伝って、
「どうしたって言うんだ、ローデリヒ?今日はおかしいぞ、お前らしくもない。いったい何があったんだ?とにかく話してみろ、俺とお前の仲だろう?」
ルートはローデリヒの肩を抱いて引き寄せるようにして自分の方を向かせて話し掛けたが、やや詰問口調になってしまったことをすぐに後悔した。
肩を引き寄せられて思わずルートの方を振り向いたローデリヒの紫色の瞳には涙が浮かんでいた。
「・・・す、すまない、ローデリヒ。お前のことが心配でつい・・・」
ルートはひどく困惑した。見てはならないものを見てしまったような気がした。
どうしていいのか分からず、慌てて謝罪すると、彼の肩を掴んでいた手を思わず離した。
その瞬間、ローデリヒはほんの少しうつむきかけたが、今度は真っ向からルートの薄水色の瞳を見つめ返してきた。
だが、それはいつもの射貫くような鋭い眼差しではなかった。普段の彼なら決して見せることのない、まるで親から引き離された子犬が心細さのあまりに縋りつくような目つきだった。
何か言いたげにわずかに開いた唇は震えて言葉を紡ぎだす事ができず、大きく見開いた紫色の瞳からは堰を切ったように涙が溢れ出してきた。喉の奥から搾り出すような嗚咽が漏れたかと思うと、ローデリヒはまるで糸の切れた操り人形のように倒れ込んで、ルートの胸に縋り付いてきた。
ルートはまだ困惑しながらも、子供のようにすすり泣く彼をしっかりと抱き止めた。優しく背中をさすり、髪を撫でてやりながらそっと話し掛けた。
「・・・もう大丈夫だ、何も心配するな。俺はここにいる」
「・・・あなたは・・・ここに・・・いる・・・?」
ローデリヒが、ルートの胸にしっかりと埋めていた顔をふと上げた。
また先ほどのあの目だ。親から無理やり引き離された子犬の縋るような目つき。
涙に濡れた瞳はやや充血して赤く、感情の高ぶりの為か上気した頬は、いささか扇情的にすら見えた。
――こんなときに何を考えているのか、俺は・・・とルートは自嘲する。
そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、ローデリヒは潤んだ紫色の瞳で、じっとルートの薄水色の瞳を見つめながら重ねて問い掛ける。
「――ほんとうに?」
「ああ、本当だ。お前の傍にいるとも」
「・・・よかった」とローデリヒは唐突に子供のような笑顔を浮かべた。
嬉しそうに細めた目の縁から、また涙が一筋零れ落ちる。
それを見たルートは、彼の顔から眼鏡をそっと取り上げると、優しく目元に唇を寄せて、涙を吸い取ってやった。そしてローデリヒの瞳を真っ直ぐに見つめながら話し掛けた。