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お江戸デュラララ!第一幕・下

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お江戸デュラララ!第一幕・下〜敵の敵は縁の始まりの段〜


男は怒っていた。凄まじく怒っていた。それは、この男のことを少しでも知る者ならば自然の摂理であり、この世のものとは思えぬ破壊の始まりであった。

突如、曲がり角から飛び出してきた少年に驚き、慌ててよけた。一瞬呆然と見開かれた目が鋭い光を放ち、振り向こうとした。その時、その少年の背に襲いかかったいくつもの刃。それを認識した瞬間、男は鞘に入ったままの刀を渾身の力で振り下ろした。

ぐあああああああ!!!!ぎおおおおおおお!!!!

今にも殺されようとしている獣のような悲鳴が響き渡る。

ぺたりと地面に座り込んでしまったことにさえ気づかぬまま、再び呆気に取られた顔で少年はその様子を見上げていた。

怒りの余りに浮き出た血管と釣り上がった目が、元は端正であったろう男の風貌を完全に変えてしまっている。苦痛に満ちた声も、恐怖と混乱に入り乱れる表情も、男を留める材料にはならないらしい。比較的軽傷で済んだ幸運な男の胸ぐらを引っつかみ、吊るし上げる。彼はこの瞬間この場で最も不運な男になった。

「大の大人が子供を背後から襲うとかありえねえだろ。なあおい。しかも何人いんだよお前ら。ふざけんなよ。お前らみたいなクズどもが刀なんか持ってんじゃねえよ。ああ?聞こえてんだろ?返事くらいしろよおおおお!」

「ひっ!ひぃいいい!ゆ、ゆるして」

「お前ら今さっき何したかわかってんのか?子供を殺しかけといてそれはないだろぉが!」

そこへ新たな白刃が襲いかかる。間一髪でそれを躱した男は、追撃者から一転して哀れな犠牲者と成り果てた者の身体を放り投げた。ざっと十人以上。以下な手練であろうとも一度に相対するには危険な人数に、恐ろしく強い男も舌打ちをした。

「ちっ!」

今度は立ち上がる気配を見せない少年の襟首を掴み、その小さな身体を脇に抱え、もう片方の手には鞘付きの刀を握る。

「その小僧を渡してもらおう。そうすればお前に用はない」

「そう言われたからって、ああそうですかってほいほい返せるもんかよ。子供を寄ってたかってどうこうしようとする下衆な行いは許せるもんじゃねえ。今更関係ねえって顔ができるか。これも神仏のお導きだ。こいつをどうかしたいなら俺を殺してからにしろ!しっかり捕まっとけ」

最後の一言のみ、身動ぎもせずに息を潜めている哀れな少年に向け、彼は舞った。少年の目にはそう映った。次々に周囲の敵を薙ぎ倒していく様は、あたかも男を中心に突如竜巻が出現したかのようであった。つい先ほど殺気を纏っていた者共がまるで紙のように打ち倒され、小石のように投げ飛ばされ、そのうちその場に立っているのは信じられないほど一方的な戦いを繰り広げた男のみになった。それは大層小気味良く、まるで芝居のように現実味がなかった。少年は目を輝かせて、この鬼のように強く、物語の主役のように正義感にあふれた不思議な男を食い入るように見つめていた。

「おい?大丈夫か?悪いな、俺かっとなると前が見えなくなってよう、怪我とかしてねえだろうな?」

確かに人ひとりを小脇に抱えて戦うなど正気の沙汰ではない。たとえ怪我が無くとも、次々に迫り来る刃に怯えきって口がきけなくなっていてもおかしくはなかった。しかし、この少年、見た目はまだまだあどけなさの残る小僧にすぎぬが、これでも上の方の陰陽師、それも知る人ぞ知る名家竜ヶ峰家を束ねるもの。それしきのことで潰れる肝は持ってはいない。

「いいえ、ありがとうございます。えっと、そろそろ下ろしてもらえませんか?」

いつまでもこの体制でいるのもさすがに辛かろう。ようやっとその思考に辿り付いた男は、ぐるりと辺りを見やり、危険がなさそうなことを認めると、先程瞬く間に敵をのしたものとは思えぬ慎重な手つきでその小さな身体を地面に立たせた。

「お前、なんだその、なんでこんな物騒なヤツらに襲われてんだ?」

あの男達は明らかに少年を狙っていた。ただの物取りであるはずがない。

「ごめんなさい。それは言えません」

厄介ごとには関わりたくないでしょうと澄み切った眼が訴える。もとよりそんな気は静雄にもなかった。

「訳ありか。誰に追われてるのかも言えねえか?」

だから、その時重ねて問うたのもただの気まぐれにすぎない。なんとなく引っ掛かりを覚えただけだ。後から思えば、それは彼の本能が天敵の気配を嗅ぎつけたのかもしれなかった。

「……たぶん、折原さんだと」

「臨也だと?」

すっかり落ち着きを取り戻していたはずの眼差しが再び険を帯びる。

「あいつ、今度は何をやらかそうとしてやがるんだ?」

「え、折原さんをご存知なんですか?」

突如語気も荒く問い質され、少年は当惑に眉を下げた。折原臨也を知る者は皆、たとえただ噂を聞いたというだけの者であっても、その名前を聞けば面倒事を察し、関わりを持ちたがらなくなった。それまでどれほど親身になってくれた人であろうと、その名前を聞けば不快感を顕にし、何も聞かせてくれるなとばかりに疎遠になった。それらとは全く逆の態度は少年を戸惑わせた。

「あれは俺の敵だ。なんでお前はあんな奴に追われてるんだ?あいつの目的は何だ?」

ぎらぎらと物騒な目で睨みつけられ、少年は観念した。

「まずは、えっと、僕は竜ヶ峰帝人と言います」

その仰々しい名字にまさかお公家さんだったかと思い、その名前を聞いて絶句する。今や将軍の時代とは言え、天子と同じ呼び名を持つとはなんとも異様な話。畏れ知らずとしか言い様がないが、だが、その由緒正しそうな家を思えば、なにやらとんでもない事情が隠されていそうであった。驚愕を露にする男は困ったように見上げてくる視線に我に返り、己の名前を名のった。名乗られたからには名乗り返さなければならない。男は存外礼儀にうるさかった。

「俺は平和島静雄だ」

「僕は、京都からここにきて、今は瓦版刷りを手伝っています」

「ああ、いつも賑やかな餓鬼が配ってるやつな」

「はい、それです。ここに来る前は京都にいて、家業で陰陽師をやっていました」

「陰陽師?あの占いとか呪いとかする奴らか?」

「そうです。本当はこれはあんまり他人に知られちゃいけないんですけど、折原さんに知られちゃったみたいで、これが僕が追われている理由です」

胡散臭い。平和島静雄もそう思った。だが、目の前の小僧に嘘をついている様子は見受けられない。大きな目は真実を語ることを覚悟した誠実さを宿していたし、辺りに打ち倒された男共が横たわる場所で震えすらしていない事から見ても尋常な子供ではなさそうだった。

「陰陽師だからって襲われるのか?」

「竜ヶ峰家は、陰陽師を束ねる立場にずっといて、その当主は強力な呪力を持っています。少しでも呪術について齧ったことのある人々にとっては喉から手が出るほどほしいものだそうです」

「じゃあ、その呪力とやらでやっつけてやればよかったんじゃねえのか?」