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かなめ@シズドタ
かなめ@シズドタ
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番犬以上狼未満

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門田は、これから仕事に向かうスーツ姿の男や女とは逆方向へ向かって歩いていた。腕には食材を買い込んだスーパーの袋が下がっている。
「……ふあ」
 仕事はほとんど深夜に行われる為、今の門田は世間とは逆さまの、仕事帰りだ。一度欠伸をすると、止まらなくなった。目尻に涙が浮かぶ。日差しが眩しすぎた。
 帰ったら、たっぷり寝よう。
 そう決めて、池袋駅から少し離れた、古びたアパートが多く並ぶ界隈にある自宅へと、門田は戻って来た。
 かんかん、と音のする雨に晒され錆びた鉄の階段を上った所で、門田は自分の部屋の扉の前に居る白と、黒と、金色と、やたらと長い足を持った迷い犬の姿に気付いた。
 一番奥が門田の部屋だ。おかげで、他の通行人の邪魔にはなっていないようだ。
 一体いつからここに居たのか、大きな犬は、扉に寄りかかり、長い足を惜しげもなく投げ出して、眠っている。
 門田は肩を竦めた。こうしてこの犬が門田の部屋を訪れるのは、大抵不本意な暴力を振るってしまった後だ。
「おい、静雄」
 傍にしゃがんで声をかけるが、静雄は俯いたまま動こうとしない。
「静雄、何してる」
 どいてくれなければ、部屋に入ることが出来ない。
 門田は肩を竦めて溜息を漏らし、買い物袋を傍に置いて、肩を揺すった。
 だが、静雄は目覚める気配を見せない。
 穏やかな寝息を立てて、眠っている。
「静雄」
 呼んでも反応が無い。
「平和島」
 殴るか、と拳を握った門田は、最後の手段だと、唇を静雄の耳朶へと寄せた。
「起きろ。シズ」
 あまり呼びたくない名前だったが、効果はてきめんだった。
 静雄は顔を弾かれたように上げ、肩を震わせている。
「よう、起きたか」
「っ……門田」
「お前があんまり起きねえからさ。起きたんならそこどいてくんねえか。部屋に入れねえ」
 照れているのだというのは、わかる。静雄は実際、外見からイメージされやすい性格とは程遠い。気性は荒いが、心根は優しい。
 門田は、それを理解している。
 勿論、全てを理解している、と自惚れることは無い。
 だが、もっと知りたいとは、常に願っている。危険な一歩を踏み出しかけている自覚はあったが、もはや理性では止められない。
「入れよ」
 渋々立ち上がる静雄の横を縫って鍵を開け、振り返らず促すと、大きな白と黒と金の犬は、のそりと門田の後ろに従い、ついてくる。
「腹へってんだろ。ちょっと待っとけ」
「減ってねえよ」
「腹鳴ってたぜ。それに、足元ふらついてるじゃねえか。良いから待っとけ。丁度材料も買ってきたところだ」
 門田の部屋は、広めの1Kだ。家具は多くない。趣味の本が積まれている一角が、この部屋の中で、生活の香りがしている。
 静雄を好きにさせ、門田は上着の袖を捲くった。
 食材を買ってきたとはいえ、凝った料理を作るほどの物ではない。牛乳パックに卵を取り出し、大ぶりのキャベツ一玉は鷲掴みにして、まな板に乗せる。
「すぐ出来るから待ってろよ」
「……おう」
 ぶっきらぼうな返事が可愛くて、門田の気分は上向いた。
 独り暮らしには大きすぎる中華鍋風のフライパンをコンロに置き、油を敷く。
 豚ばら肉を小さめに切り分け、熱した油に投げ込み、軽く下味をつけた。ざくざくと大きく切ったキャベツと、もやしを続いて投げ込み、強火で一気に火を通す。
「何作ってんだ?」
 初めて来る場所でもないのに、うろうろと部屋を徘徊していた静雄は、一通り散策を終え、門田の元へ戻ってきた。
 背後少し斜め横からひょいと手元を覗き込まれ、門田は喉を鳴らして笑った。
「なんだと思う?」
「見たまんまだろ」
「まあ、あんますげえ料理作れる訳じゃねえしな」
「俺は肉が食いてえ」
「食いたいなら今度は肉を持って来い」
 静雄はふんと拗ねている不貞腐れた鼻を鳴らしたが、門田はきっと今度、肉を持参してくれるだろうと、予想した。
 野菜と肉におおよそ火を通すと、門田は相変わらず後ろから覗き込んでくる静雄を全く気にせず、冷蔵庫から買い置いていた焼きそばの袋と、今日買ったものより、賞味期限の早い開封済みの牛乳パックを取り出した。
「これ飲んで待ってろ」
 グラスにたっぷり牛乳を注いでやると、静雄はサングラスで良く見えない表情を、微かに揺らした。
 門田はほんの小さな変化に満足し、野菜炒めの中に焼きそばを投入し、荒っぽい動作で混ぜ合わせた。仕上げに付属のソースの粉を振りかければ完成だ。
 揃いの皿が無いので、別々の柄のものを取り出し、野菜と麺の割合がおかしい焼きそばをたっぷり盛り付ける。
「おし。出来たぜ」
 畳に置かれたちゃぶ台の上に皿を二つ並べ、食うぞと促すと、静雄は従順な犬のように、胡坐をかいて門田の隣へと座った。
「お前、ちゃんと飯食ってんのか?」
「必要な時には食ってるぜ」
 二人揃ってがつがつと野菜だらけの焼きそばを食べながら、門田は静雄の横顔を伺った。
 何かあったのか、とは聞かない。言いたければ、静雄から語るだろう。言おうとしないことを、門田は無理に聞こうとする趣味を持っていない。
「ひどい食生活してそうだからな。野菜は食えよ。大事だぞ」
「お前は母親かよ」
「俺だって口煩くはしたくねえが、どうしてこう何かに集中しちまうやつは、飯に無頓着なんだろうな」
「おい、俺をお前の連れ達と一緒にすんじゃねえ」
「だったら、野菜は食えよ」
「っせえなあ」
 五月蝿いと不機嫌な声を発しつつ、静雄は勢い良く焼きそばを口に運び続けている。今度はちゃんと噛めよ、と言い掛け、門田は笑った。
 食事を終え、皿などを洗い終えると、門田は再び強烈な睡魔に襲われた。仮眠は取ったが、一晩中、朝まで働いていたのだ。習慣になっているとはいえ、やはり眠い。
「おい、門田」
「なんだ? つうか、飯も食ったし、俺は寝るぜ。すげえ、眠くてよ」
 足元がふらつき、立っていられない。
 部屋の奥、窓辺に置かれた畳部屋に似合わないステンレスのパイプベッドまで、たった数歩の距離だ。あそこまで辿り着ければ、眠れる。
「無理、すんじゃねえよ」
 ふらふらな体を力強い腕に支えられ、門田は笑った。
「静雄」
「……なんで何も聞かねえんだ、てめえは」
 静雄は苦しそうに唸った。
「聞いて欲しいのなら、俺は聞くぜ。けど、目が覚めてからな。……ぶったおれそうだ」
「っ、おい、門田……?」
 門田はぐらりと静雄に凭れ掛かった。
「おい!」
 門田を抱きとめる格好になってしまった静雄はひとしきりうろたえた後、重い体をベッドに寝かしつけた。険しい表情ばかり見るが、門田の寝顔は年相応だ。
「…………」
 何かを、静雄は門田に告げたかった。話したかった。しかし、結局何も言えなかった。
「くそ」
 それなのに、またこの部屋に来てしまった。
 ここに来れば、安心するのだ。それを上手く言葉で表現し、伝えることは今の静雄には出来ない。まだ、足りていない。
 寝顔を見下ろしながら、静雄はベッドの傍に膝をついた。
「……美味かったぜ。飯。また、食わせろよ」
 色気も何も無い寝息を漏らす唇を見つめたまま、静雄はしばらく動けなくなったが、結局何も出来ず、部屋の主が目覚めるまでベッドを守る番犬の役割に落ち着くことになった。