番犬以上狼未満
携帯電話の着信音がうっすら聞こえ、門田は目を覚ました。
差し込む西日に、部屋はオレンジ色に染まっている。
眩しいと、門田は目を窄めた。
「っ……」
携帯はどこにしまったのか、と記憶を辿ろうとしたが、自分を取り巻く状況の奇妙さに門田は身動き出来なくなった。
「な……っ」
一人で寝るにも、そう広いベッドではないのだが、今そこに寝ているのは門田一人ではなかった。
バーテン服の男が、門田に密着した格好で、抱きすくめるようにして、眠っている。
門田は、なんて硬い枕なんだ、とぼんやり感想を抱いたが、今はそんなことに気を取られている場合ではない。
朝方部屋に戻ると、静雄が扉の前で寝ていた。珍しいことではないので、部屋に招き入れ、飯を作った。
だが、その付近から門田の記憶は無い。ひどく眠かったことは覚えている。そして目覚めた途端、この有様だ。
「電話、どこだ」
大きくなった着信音に、門田は我に返った。
尻ポケットに捻じ込んであった携帯を引っ張り出し、名前を確認すると、遊馬崎からの通話のようだ。
「悪い、寝ていた」
通話を繋ぐと、相変わらずの調子で、遊馬崎がしゃべりだす。後ろから聞こえる狩沢の声からすると、ワゴンで移動している最中のようだ。
『飯でも食いにいきませんかーって話になってんすけど。門田さんお疲れっすか?』
「今、起きたところだ」
『朝まで仕事だったんすよね。迎えにいきましょうか?』
どうするか、と門田は思案した。
このままだらだらと過ごすのも、気が引ける。外に出るなら、今を除いてタイミングは無い。
普段通り、一人きりであれば答えは決まっていた。
しかし、今は一人ではない。
静雄が、居る。
『門田さん?』
「ああ、すまない。なんだ?」
『もう、寝ぼけてんすかあ? 今から向かえば五分くらいで着きますけどー』
静雄も、仕事があるだろう。いつまでも寝ている訳にもいかない。起こさなければと、門田は電話を持ったまま遊馬崎に曖昧な相槌を打ちながら、硬い静雄の腕を揺らした。
声を発する訳にはいかない。
遊馬崎達に、今の状況を知られるのは、はばかられた。
起きろ、と数度揺さぶると、静雄は無言のまま、案外素直に体を起こした。
こいつは寝る時もサングラスをしたままなのかと、門田は寝起きで機嫌の悪そうな静雄を見上げつつ、遊馬崎に返事をした。
「わかった、迎えに来てくれ」
「おい、誰と話してんだよ」
静雄は低い声で唸りながら、門田の電話を持った腕を掴んだ。
門田は慌て、携帯電話の音声を拾う部分を、もう片方の手で押さえ、可能な限り、声を殺した。
「静雄、寝ぼけてんのかよっ」
「ああ? 俺は寝ぼけてなんかねえよ」
十分寝ぼけていると門田は思ったが、威圧感のある声に、心が怯む。
馬乗りされ、体も抵抗出来なくなった。
手首がベッドに縫い付けられ、携帯電話が奪い取られる。
「静雄……」
携帯電話はあっという間に静雄の手を離れ、硬い物のぶつかる音が響いた。
「おい、っ、静雄」
「俺を、置いて行くんじゃねえよ」
携帯を拾おうともがき掛けた門田は、そのたった一言に動けなくなってしまった。
きつく抱き締められていることに、遅れて気付く。背の骨が軋むようだった。
門田は、目を閉じた。
肩口に埋められた静雄の髪の感触に、胸が締め付けられる。
「……行くわけないだろ……、行かねえから、そんな声を出すなよ、静雄……」
静雄の背に腕をのろりと回すと、その背は強張った。
この際、どうにでもなれと、門田は思った。
「あっれー、切れちゃったっすよー。今他の声聞こえたような気がしたんすけど」
遊馬崎は突然切れた門田への電話をリダイヤルしつつ、首を傾げた。
「電波通じないって言ってるっすね」
「なんだって?」
運転をしている渡草が、門田はどうするのかと、問いかける。
「いやあ、門田さん電話切れちゃって」
「いいんじゃないのー、今日はドタチンはお休みってことで」
傍で会話を聞いていたはずの狩沢は何か含むように、わざとらしい程そっけなく、読んでいたライトノベルのページを捲った。
「何かあったかもしれないじゃないっすか」
「ドタチンなら大丈夫だって、それより私おなかへったー」
「やっぱり繋がらないっすねえ」
遊馬崎はもう一度リダイヤルで門田の番号を呼び出したが、相変わらず、電波の届かない場所か電源が切られているという無機質な声しか返ってこない。
その中で、狩沢だけがひとり楽しそうだ。
「どうしたんすか?」
「んふふ。あー、私、今日発売のBL新刊欲しいから、とらのあな行きたい」
「ボーイズラブっすかあ」
「そ。ボーイズ? がラブラブなんだよねえ。早くいこーよ」
門田の家に向かいかけていたワゴンは、途中の道を曲がり、池袋の中心へと勢い良く走り抜けて行った。