次の日
門田の眠りを妨げたのは、近所に迷惑の掛かるような、繰り返されるチャイム音だった。
ピンポンピンポンと、ゲームのコントローラーを連打するように、チャイムが鳴らされる。
「っ……」
門田は跳ね起き、同時に目眩を感じた。
体のだるさは、消えていない。
窓の外の暗さの割に、そう長い間寝ていないらしいことを知った門田は、重い足取りでドアへと向かった。
こんな乱暴な鳴らし方をする相手は、一人しか心当たりは無い。
鍵を外すと、それなりに身長のある門田にさえ威圧感を与えるような長身と雰囲気を持った静雄が、何故か、気まずそうに立っている。
池袋最強と呼ばれるこの男らしくない姿だった。
「どうした? 静雄」
「……風邪ぇ、引いたって聞いたからよ」
誰に、と聞かなくても想像はつく。
あいつらめ、と思いながら、いつまでも玄関先で立たせておく訳にもいかず、静雄を部屋の中に招き入れた。
静雄は、サングラスで表情こそ見えないが、動揺している。
風邪を引いた人間に対してどうすべきか、わからないのだろう。
「これ、やるよ」
ぶっきらぼうに突き出された黄色い袋に入っていたのは、箱入りの栄養ドリンクだった。
「これ飲んで寝とけば、治るってトムさんが言ってたからよ」
「ありがとうな、静雄。でも俺は風邪って訳じゃねえんだよ」
じゃあなんなんだと、静雄の眉が持ち上がる。
「少し疲れてるっていうかな」
「なんだよ、心配して損したじゃねえか!」
「あいつらに否定しなかった俺が悪かった」
静雄は動揺を隠すために、声を荒げる。
それを門田はわかってしまうので、自然と表情が緩んだ。
「本当に、大丈夫なんだな」
「ああ。今も寝てたからな」
「起こしたか?」
「あんだけうるさくチャイム鳴らしておいて、今更だろ」
悪かったと肩を少しだけ小さくする静雄を可愛いと思い、門田は放り投げたままになっていた、ウインドブレーカーを羽織った。夜はまだ肌寒い。
だが、ジッパーを上げようとした手は、静雄によって阻まれた。
「静雄?」
門田は、静雄を見上げた。
サングラスは、卑怯だと、思った。
気持ちを一番表す目が隠れているのは、対等ではない。
「……静雄」
壁際に追い込まれて、門田は声をひっくり返らせた。この部屋には、まだ昨夜の濃厚な雰囲気が残っている。
見ないように見ないようにとしていたはずが、静雄が踏み込んできた途端、意識せずにはいられなくなった。
今、腕を掴まれたことによって、感覚が更に敏感になる。
「おい、静雄……」
「頭ん中、昨日の事でいっぱいだった」
静雄は、門田と同様、この場の雰囲気に抗うように、苦しそうに吐き出した。
「落ち着けよ……、静雄」
「落ち着けるかよっ」
明確な、何がしたいのかという意思を持って、静雄が門田の唇に噛み付いてくる。荒っぽいキスに息が上がると、盛り上がった股間を、ぐいと押し付けられた。
「っ……しず、お」
布越しでも、静雄の熱ははっきりと門田に伝わる。
門田は驚き、喉を鳴らした。
「きょうは……」
「ああ?」
「……っ、今日は、したくねえ」
静雄が何を求めているのかくらい、門田にも痛いほどわかる。昨夜と同じ行為を、静雄は欲している。
だが、門田は声を裏返らせて、拒絶した。
「な、なんでだよっ」
「したくねえったら、したくねえんだよ」
力で抵抗しようにも、静雄には元より敵わない。わかっているので、門田は腕力で逆らおうとは最初からしなかった。
「っ、……他に男が出来たのかよッ」
直角すぎる誤解に、門田は呆然とした。
「……何とか言えよ、門田」
「変な誤解はすんなよ、お前には俺がそんな薄情な男に見えるのか?」
静雄は眉を寄せ、素直に悪いと声を落とした。
「……とにかく、今日は、駄目だ」
今の静雄の状態で、待てを言い渡されるのは男として辛いとわかるが、門田は拒絶を続けた。
「……なんか、やなこと、俺、しちまったか? だったら言えよ、直す……からよ」
またおかしな方向に曲解する静雄を間近に見上げながら、門田は心の中で、けつが痛いからしたくないと、口に出来るものか! と叫んだ。
ずっと体の調子が悪いのは、昨晩、静雄に初めて抱かれたからだ。
嫌だと思った瞬間は一度も無い。むしろ、ここまでの経緯に手間をかけすぎて、いざとなると、あっさり流されてしまうものだと、門田自身、自分の気持ちの単純さに笑ってしまった。
門田の頭の中も、一日中昨夜のことでいっぱいだった。
激しさを思い出して、門田は喉をゴクリと鳴らした。
「俺が、嫌、なのか?」
「嫌じゃねえよ」
「だったら」
密着してくる静雄から漂う煙草の匂いに、昨夜の記憶が強烈に蘇る。
「っ……」
「門田、嫌ならそう言えよ」
「だからっ……」
そもそも、静雄に察しろというのが無理な話だ。とても色恋沙汰に、達者なようには見えない。派手な外見に、内面が伴っていない。
しかも、男同士の関係で、受ける側の負担を知っている訳も無い。だいたい静雄を押し倒してどうこう出来る相手がこの世界に存在するとは思えなかった。
「だから、よ……」
門田は追い詰められながら、消えてしまいたい、と思った。
どうしてこんな恥ずかしいことを、言わなければいけないのだろうか。
言葉を待つ静雄に、門田は渋々顔を上げ、すぐに視線を横に反らした。
「だからっ、……けつが、痛ぇんだよ、……お前が昨日、さんざん……すっから……!」
情けない告白をし終え、門田は顔を真っ赤にした。
「っ……」
見下ろしていた静雄も、思いも寄らなかった理由に、門田と同じくらい、茹で上がっている。
「んなこと、言わせんなよなっ……」
「お、おう、すまなかった、……な」
気まずい雰囲気が横たわり、門田はこのままでは駄目だと、静雄を真っ直ぐ見上げた。
「だから、俺は別に、お前が嫌な訳じゃねえんだよ、でも、昨日の今日は、ちょっと……やっぱり、きつい、からよ」
静雄が傍に居るというだけで、昨夜散々犯された場所は、痛みを通り越して何かを求めるように疼き始める。
「……静雄」
「悪かったな、乱暴にしちまって」
「お前が加減出来ねえのなんて、昔から知ってるぜ」
「……そうか」
静雄は嬉しそうに笑みを噛んだ。
そして、おずおずと優しく、門田を抱きすくめた。
「静雄」
抱かれながら、門田はぼんやりと、自分はこの男が、本当に好きなようだと再確認した。背に腕を回し、抱き返すと、低い声で、静雄は門田の名前を呼んでくれた。
胸が締め付けられるように痛んで、門田は目を閉じた。
「……っ、静雄」
密着度を増した静雄の熱に、門田はこれ以上抗えないと、覚悟を決めた。
痛みよりも、欲しいものが出来てしまったからだ。