黄金の王(きんのおう)
<1>
コンコン。
「入れ」
「───失礼します」
秋も深まり、吐き出す息の白さも濃くなり始めた、ある晴れの日の昼下がり。
かちゃり、と小さな音を立てて国王の執務室の扉を開けたのは、金髪に琥珀色の瞳を持つ、”橘の宰相”と呼ばれるこの国の若き右宰相。
手には1枚の書類を持っている。
執務机の右端には、すでに決済の済んだ書類の小山が築かれていた。
王は昨日遅く、山津波で被害を受けた領地の視察から戻ってきて、確か今朝も普段通りに政務に入っていたはずだ。
彼が帰ってきた際に築かれていた小山のうち、半分ほどはこの若い宰相が先に目を通しており、あとは承認を得るだけになっていたとはいえ、合算すれば視察に出かけていた10日間分の書類がたまっていたのだ。
けれど未処理の書類は、現在机の上でサインを施された一枚のみ。相変わらずこの王は仕事が早い。
その最後の一枚が、処理済みの小山の上に置かれたのを確認し。
「陛下、この命令書にサインをいただきたいのですが」
「…………」
机の上に書類を置くが、王の返答はない。
おまけに書類に目もくれない。
「陛下?」
「…橘の宰相、それは誰のことだ?」
「誰、と仰いましても…この国の王は、一人しかいないではありませんか」
困ったように返した宰相を、王は軽く睨んだ。
「確かに国王は一人だ。けどオレは、陛下って名前じゃねぇ」
高貴な身分の人間にはいささか似つかわしくない言葉遣いで、王はふん、と鼻を鳴らす。
「…では私は、なんとお呼びすれば良いのですか」
「それをオレに言わせるのか、オマエは」
3年前、前王が病に倒れて崩御し、第一王子であった現国王の彼が玉座に就いた。
母である前王の后も、彼が10歳の時既に亡くなっており、父王にも兄弟はなかった。
前の年に成人の儀式を終えたばかりだった王は、その整ったかんばせにもまだ少年らしい幼さを残していて。
賄賂による出世を企んでいた臣下達にとって、彼はこの上なく操りやすく、美しい傀儡に見えたことだろう。
───けれど彼は、想像以上に賢かった。
王は即位にあたり、まず当時の議会を解散させ、自分の信頼の置ける者を中心に再招集した。
この際、”右の橘・左の桜”と称される両宰相も選任された。
自らの腹心として、政の場では常に傍へ置くこととなるこの二人の内、王は右宰相───橘の宰相に思いがけない人物を据えた。
「陛下…」
「じゃ、ねぇよ。オレは国王である前に、オマエの何だ?」
宰相の言葉尻を奪うと王は静かに椅子から立ち上がり、彼の顔を見上げる。
若いながらも王国歴代で一、二を争うほど聡明と名高い王は、19という年の割にすこしばかり───指摘するとこの王は機嫌が悪くなるので口にはしないが───小柄だ。
宰相は躊躇うような表情で、それでもまっすぐ王を見下ろす。
「ですが、今は執務中ですし…」
「人払いはしてる。いいから」
腰の辺りまで長く伸ばした金髪を深紅の飾り紐で括った王は、どことなくぶすくれたような表情で、くい、と自分の傍らを顎で指す。
「…会いたかったんだ。来いよ」
ふう、とため息をこぼし、宰相は小さく肩をすくめた。
「珍しいね」
短い金髪を微かに揺らし、示された場所へ歩み寄る。
「あなたがそんなふうに、子供みたいなわがまま言うの」
口調と表情を砕けさせた宰相に、王は拗ねたように言った。
「オレが我が儘言って何が悪い」
「悪い、なんてひとことも言ってないでしょう?」
小さく笑みをこぼし、宰相はぶすくれたままの王の肩にそっと手を置く。
「あなたがそうやってわがままを言うのは、ボクの前だけだって知ってるもの」
「当たり前だ。誰がオマエ以外に…」
王はぷい、とそっぽを向き、宰相の手を肩に乗せたままで先程示された書類にさらりと署名する。
ついでに内容を一瞥すると、その表情が変わる。
「これ、」
「桜の宰相がね、この書類で今日の執務は終了して良いって。陛下も昨日までの長旅でお疲れでしょうから、ってさ」
にこ、と笑って宰相は言い、王の肩に置いていた手を彼のなめらかな頬にするりと滑らせた。
「…兄さんだけじゃないんだよ?ボクだって、ずっと会いたかったんだから」
「───アル…」
現王の指名により、王国歴代最年少・当時15歳で宰相の片割れに名を連ねたのは。
前の王の第二王子───現王の、一つ違いの弟だった。
コンコン。
「入れ」
「───失礼します」
秋も深まり、吐き出す息の白さも濃くなり始めた、ある晴れの日の昼下がり。
かちゃり、と小さな音を立てて国王の執務室の扉を開けたのは、金髪に琥珀色の瞳を持つ、”橘の宰相”と呼ばれるこの国の若き右宰相。
手には1枚の書類を持っている。
執務机の右端には、すでに決済の済んだ書類の小山が築かれていた。
王は昨日遅く、山津波で被害を受けた領地の視察から戻ってきて、確か今朝も普段通りに政務に入っていたはずだ。
彼が帰ってきた際に築かれていた小山のうち、半分ほどはこの若い宰相が先に目を通しており、あとは承認を得るだけになっていたとはいえ、合算すれば視察に出かけていた10日間分の書類がたまっていたのだ。
けれど未処理の書類は、現在机の上でサインを施された一枚のみ。相変わらずこの王は仕事が早い。
その最後の一枚が、処理済みの小山の上に置かれたのを確認し。
「陛下、この命令書にサインをいただきたいのですが」
「…………」
机の上に書類を置くが、王の返答はない。
おまけに書類に目もくれない。
「陛下?」
「…橘の宰相、それは誰のことだ?」
「誰、と仰いましても…この国の王は、一人しかいないではありませんか」
困ったように返した宰相を、王は軽く睨んだ。
「確かに国王は一人だ。けどオレは、陛下って名前じゃねぇ」
高貴な身分の人間にはいささか似つかわしくない言葉遣いで、王はふん、と鼻を鳴らす。
「…では私は、なんとお呼びすれば良いのですか」
「それをオレに言わせるのか、オマエは」
3年前、前王が病に倒れて崩御し、第一王子であった現国王の彼が玉座に就いた。
母である前王の后も、彼が10歳の時既に亡くなっており、父王にも兄弟はなかった。
前の年に成人の儀式を終えたばかりだった王は、その整ったかんばせにもまだ少年らしい幼さを残していて。
賄賂による出世を企んでいた臣下達にとって、彼はこの上なく操りやすく、美しい傀儡に見えたことだろう。
───けれど彼は、想像以上に賢かった。
王は即位にあたり、まず当時の議会を解散させ、自分の信頼の置ける者を中心に再招集した。
この際、”右の橘・左の桜”と称される両宰相も選任された。
自らの腹心として、政の場では常に傍へ置くこととなるこの二人の内、王は右宰相───橘の宰相に思いがけない人物を据えた。
「陛下…」
「じゃ、ねぇよ。オレは国王である前に、オマエの何だ?」
宰相の言葉尻を奪うと王は静かに椅子から立ち上がり、彼の顔を見上げる。
若いながらも王国歴代で一、二を争うほど聡明と名高い王は、19という年の割にすこしばかり───指摘するとこの王は機嫌が悪くなるので口にはしないが───小柄だ。
宰相は躊躇うような表情で、それでもまっすぐ王を見下ろす。
「ですが、今は執務中ですし…」
「人払いはしてる。いいから」
腰の辺りまで長く伸ばした金髪を深紅の飾り紐で括った王は、どことなくぶすくれたような表情で、くい、と自分の傍らを顎で指す。
「…会いたかったんだ。来いよ」
ふう、とため息をこぼし、宰相は小さく肩をすくめた。
「珍しいね」
短い金髪を微かに揺らし、示された場所へ歩み寄る。
「あなたがそんなふうに、子供みたいなわがまま言うの」
口調と表情を砕けさせた宰相に、王は拗ねたように言った。
「オレが我が儘言って何が悪い」
「悪い、なんてひとことも言ってないでしょう?」
小さく笑みをこぼし、宰相はぶすくれたままの王の肩にそっと手を置く。
「あなたがそうやってわがままを言うのは、ボクの前だけだって知ってるもの」
「当たり前だ。誰がオマエ以外に…」
王はぷい、とそっぽを向き、宰相の手を肩に乗せたままで先程示された書類にさらりと署名する。
ついでに内容を一瞥すると、その表情が変わる。
「これ、」
「桜の宰相がね、この書類で今日の執務は終了して良いって。陛下も昨日までの長旅でお疲れでしょうから、ってさ」
にこ、と笑って宰相は言い、王の肩に置いていた手を彼のなめらかな頬にするりと滑らせた。
「…兄さんだけじゃないんだよ?ボクだって、ずっと会いたかったんだから」
「───アル…」
現王の指名により、王国歴代最年少・当時15歳で宰相の片割れに名を連ねたのは。
前の王の第二王子───現王の、一つ違いの弟だった。
作品名:黄金の王(きんのおう) 作家名:新澤やひろ