蒼き琥珀
<1>
エドワードはうんざりしていた。
その日の夕方。
決済が済んで、しかるべき場所へ運ばれた書類に代わって執務室の机に置かれたのは、どこかの領地を治める公爵家や大臣の令嬢、それに近隣国の姫君達の写真。
しかも1,2枚どころの騒ぎではなく、十数枚と積み上げられたそれは、所謂お見合い写真。
「───」
「いかがですかな、陛下?」
殆ど反応を示さない王に、写真を持ち込んだ大臣は数枚を開いて、そこに写るご令嬢達の身分や年齢などを言い並べる。
彼女たちは確かに美しくはあったのだが、みな一様に着飾り笑顔を貼り付かせ、なんとか自分を目に留めてもらおうと必死になっている様子がうかがえる。
いっそ清々しいほどに、食指が動かない。
ふてくされたような表情で一番上にあった別の写真を手に取り一瞥すると、エドワードはため息をついてそれを元の位置に戻した。
「前にも言ったはずだが…興味がない」
「ですが」
現在の陛下の年齢で、未だに婚約者すらいないのはおかしいくらいです、大臣はそう言いたいのだろう。
「オレはまだ19だぞ」
机に頬杖をついたエドワードに、大臣はなおも言い募る。
「いえ、早すぎるということはありませんぞ。前の王も、奥方を迎えられたのは20の年でした」
「まだ1年あるだろう」
「ご婚約されたのは、父君が16の時でしたがな」
「…………」
くそ、そういやガキの頃にそんな話してた気がするぜあのクソ親父。
前の王であるエドワードの父は、賢王であると同時に愛妻家としても有名だったのだ。
エドワードは舌打ちしたいのをなんとか堪え、ため息をつくだけに留めた。
「せめて候補だけでも…」
「必要ない」
「陛下……」
「もう下がれ。その写真も一緒にだ」
「陛下!」
「何度も言わせるな」
冷めた黄金色の瞳に射抜かれ、大臣は身をこわばらせる。
「いいな?」
「───御意」
大臣は一礼し、写真をまとめて手にすると慌てて執務室を出ていった。
☆
「───あの者、地雷を踏んだようですな」
「左宰相……ラングか」
代わって執務室の扉を開けたのは、五十をいくつか越えた年齢の男。
男はこの王宮内でたった二人───右と左の宰相しか身に着けることを許されていない、金糸の刺繍が施された濃紺の上着を纏っている。
そして彼はそのうちの一人、桜の称号を持つ左宰相だ。
「右宰相のいない合間を見計らってやってくるとは、あの男も悪知恵が働き始めたというか」
「…働かなくていい」
もしも右宰相であるアルフォンスがこの場にいたなら、絶対零度の微笑で大臣を凍り付かせ、瞬時に執務室から(見た目だけは穏便に)叩きだしていただろう。
エドワードの意志を誰よりも正確に、かつ迅速に酌み取り理解し行動できるアルフォンスが、兄の意にそぐわぬことを押し通させるわけがない。
頬杖をついてそっぽを向き、エドワードはぶすっとした顔で呟く。
「大体…あれだけの写真、いったいどこからかき集めてきたんだ?」
「若く聡明で、なおかつ見目も良い国王に嫁したくない娘が、この国にどれだけいるとお思いですかな?」
からかうように問うた左宰相に、エドワードは頬杖をついたままにやんと笑う。
「少なくとも、一人はいるぜ」
「…そうでしたな」
国王の幼なじみで典医である少女に彼も思い当たったらしく、ひげを蓄えた口許をゆるめる。
「まあとにかく、掃いて捨てられるほど多くの娘が、陛下との結婚を…いや、せめて謁見だけでもと望んでおるのですよ」
「オレの意志は完全無視ってことか?」
「陛下もさることながら、一部のご令嬢達の意志もです。未だ多くの貴族達に、娘を政治の道具として扱おうとしている考え方が見受けられますので」
「けっ、くだらねぇ。結婚は本人の自由じゃねぇか」
「頭の固い連中が多いのですよ。…というより、私が少々変わり者だったというべきですかな」
「…あ〜、そっか。奥方は確か、」
「私の屋敷に出入りしていた、菓子職人の娘です。今でもよく、菓子を焼いてくれますよ」
ラングの妻には、彼を通してエドワードも何度か会ったことがある。
品の良い女性だったが、彼女の手は確かに苦労を知らぬ”貴族の娘”の手ではなく、使うことを知っている”職人”の手をしていた。
当時出世頭だったラング家の当主が、身分も財力もない菓子職人の娘を妻に迎えたというニュースは、家柄を重んじる貴族達に少なからず衝撃を与えたようだ。
菓子職人が借金返済のために娘を主人に身売りしただとか、ラングが平民の娘の色香に惑わされただとか。
今でこそ貴族達の間でもおしどり夫婦だと評されているが、聞けば結婚した当初はずいぶんと酷評されていたらしい。
あらぬ噂が幾つも飛び交ったが、公私ともに仲睦まじい二人を目にし、数年の内にそれもなりを潜めたそうだ。
「そういえば最近、話を聞かねぇけど…家族は元気でやってるのか?」
「おかげ様で、妻子共々ぴんぴんしておりますよ。息子も来年の春に結婚する予定で」
「───そうか」
なら良かった、とエドワードは微笑う。
「ところで、何かあったのか?まだ決済が済んでない書類でも…」
「おお、そうでした」
小首を傾げながら問うてきたエドワードに、ラングはぽんと掌を打つ。
「客人が見えられましたぞ」
「…客人?オレに?」
「はい。いや、見れば見るほどよく似ておいでで」
にこやかに告げられたラングの言葉に、エドワードは目を見開いた。
「!ホントか!?」
「はい。今は右宰相殿と、彼の私室でお待ちですぞ」
「アイツの部屋だな!」
がたんと勢いよく立ち上がり、エドワードは執務室を飛び出した。
エドワードはうんざりしていた。
その日の夕方。
決済が済んで、しかるべき場所へ運ばれた書類に代わって執務室の机に置かれたのは、どこかの領地を治める公爵家や大臣の令嬢、それに近隣国の姫君達の写真。
しかも1,2枚どころの騒ぎではなく、十数枚と積み上げられたそれは、所謂お見合い写真。
「───」
「いかがですかな、陛下?」
殆ど反応を示さない王に、写真を持ち込んだ大臣は数枚を開いて、そこに写るご令嬢達の身分や年齢などを言い並べる。
彼女たちは確かに美しくはあったのだが、みな一様に着飾り笑顔を貼り付かせ、なんとか自分を目に留めてもらおうと必死になっている様子がうかがえる。
いっそ清々しいほどに、食指が動かない。
ふてくされたような表情で一番上にあった別の写真を手に取り一瞥すると、エドワードはため息をついてそれを元の位置に戻した。
「前にも言ったはずだが…興味がない」
「ですが」
現在の陛下の年齢で、未だに婚約者すらいないのはおかしいくらいです、大臣はそう言いたいのだろう。
「オレはまだ19だぞ」
机に頬杖をついたエドワードに、大臣はなおも言い募る。
「いえ、早すぎるということはありませんぞ。前の王も、奥方を迎えられたのは20の年でした」
「まだ1年あるだろう」
「ご婚約されたのは、父君が16の時でしたがな」
「…………」
くそ、そういやガキの頃にそんな話してた気がするぜあのクソ親父。
前の王であるエドワードの父は、賢王であると同時に愛妻家としても有名だったのだ。
エドワードは舌打ちしたいのをなんとか堪え、ため息をつくだけに留めた。
「せめて候補だけでも…」
「必要ない」
「陛下……」
「もう下がれ。その写真も一緒にだ」
「陛下!」
「何度も言わせるな」
冷めた黄金色の瞳に射抜かれ、大臣は身をこわばらせる。
「いいな?」
「───御意」
大臣は一礼し、写真をまとめて手にすると慌てて執務室を出ていった。
☆
「───あの者、地雷を踏んだようですな」
「左宰相……ラングか」
代わって執務室の扉を開けたのは、五十をいくつか越えた年齢の男。
男はこの王宮内でたった二人───右と左の宰相しか身に着けることを許されていない、金糸の刺繍が施された濃紺の上着を纏っている。
そして彼はそのうちの一人、桜の称号を持つ左宰相だ。
「右宰相のいない合間を見計らってやってくるとは、あの男も悪知恵が働き始めたというか」
「…働かなくていい」
もしも右宰相であるアルフォンスがこの場にいたなら、絶対零度の微笑で大臣を凍り付かせ、瞬時に執務室から(見た目だけは穏便に)叩きだしていただろう。
エドワードの意志を誰よりも正確に、かつ迅速に酌み取り理解し行動できるアルフォンスが、兄の意にそぐわぬことを押し通させるわけがない。
頬杖をついてそっぽを向き、エドワードはぶすっとした顔で呟く。
「大体…あれだけの写真、いったいどこからかき集めてきたんだ?」
「若く聡明で、なおかつ見目も良い国王に嫁したくない娘が、この国にどれだけいるとお思いですかな?」
からかうように問うた左宰相に、エドワードは頬杖をついたままにやんと笑う。
「少なくとも、一人はいるぜ」
「…そうでしたな」
国王の幼なじみで典医である少女に彼も思い当たったらしく、ひげを蓄えた口許をゆるめる。
「まあとにかく、掃いて捨てられるほど多くの娘が、陛下との結婚を…いや、せめて謁見だけでもと望んでおるのですよ」
「オレの意志は完全無視ってことか?」
「陛下もさることながら、一部のご令嬢達の意志もです。未だ多くの貴族達に、娘を政治の道具として扱おうとしている考え方が見受けられますので」
「けっ、くだらねぇ。結婚は本人の自由じゃねぇか」
「頭の固い連中が多いのですよ。…というより、私が少々変わり者だったというべきですかな」
「…あ〜、そっか。奥方は確か、」
「私の屋敷に出入りしていた、菓子職人の娘です。今でもよく、菓子を焼いてくれますよ」
ラングの妻には、彼を通してエドワードも何度か会ったことがある。
品の良い女性だったが、彼女の手は確かに苦労を知らぬ”貴族の娘”の手ではなく、使うことを知っている”職人”の手をしていた。
当時出世頭だったラング家の当主が、身分も財力もない菓子職人の娘を妻に迎えたというニュースは、家柄を重んじる貴族達に少なからず衝撃を与えたようだ。
菓子職人が借金返済のために娘を主人に身売りしただとか、ラングが平民の娘の色香に惑わされただとか。
今でこそ貴族達の間でもおしどり夫婦だと評されているが、聞けば結婚した当初はずいぶんと酷評されていたらしい。
あらぬ噂が幾つも飛び交ったが、公私ともに仲睦まじい二人を目にし、数年の内にそれもなりを潜めたそうだ。
「そういえば最近、話を聞かねぇけど…家族は元気でやってるのか?」
「おかげ様で、妻子共々ぴんぴんしておりますよ。息子も来年の春に結婚する予定で」
「───そうか」
なら良かった、とエドワードは微笑う。
「ところで、何かあったのか?まだ決済が済んでない書類でも…」
「おお、そうでした」
小首を傾げながら問うてきたエドワードに、ラングはぽんと掌を打つ。
「客人が見えられましたぞ」
「…客人?オレに?」
「はい。いや、見れば見るほどよく似ておいでで」
にこやかに告げられたラングの言葉に、エドワードは目を見開いた。
「!ホントか!?」
「はい。今は右宰相殿と、彼の私室でお待ちですぞ」
「アイツの部屋だな!」
がたんと勢いよく立ち上がり、エドワードは執務室を飛び出した。