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ジャスミンとローズヒップ

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 久保田誠人のマンションを訪れるのは初めてのことだった。

 新木にはこれまで彼らに個人的な用事はなかったし、顔を合わせる時は常に葛西と一緒だった。住所と電話番号だけは頭にたたき込んであったが、それが活かされる機会は幸いにしてなかったのだ。
 だから、こうして一人、マンションの前に立ちつくしていると何だか妙な気分になる。
 もっとも、自分が401号室のチャイムを鳴らしたらむしろ疑問に思うのは彼らの方だろう。久保田と時任にとって新木とは、おそらく葛西の腰巾着程度の認識に違いない。
 だが取るに足らない人物と言われるなら、それもよしと新木は思う。つまらない平凡な人生は、彼らの現況と正反対に位置している。それなら自分はそちらの道を歩みたいと新木は心の底から思った。


 未明から降り始めた雪は、ひらひらと美しい風花を舞わせてはかき消えを繰り返していたので、うっかり傘を持たずに家を出てしまった。
 今になってその判断を悔やむ。
 さらさらした雪片はコートをひと撫ですれば袖を滑り落ちてしまうけれど、自分が怪我人だということを失念していた。
 先月、ホステス殺しの犯人を追いつめる際にドジを踏んで負った怪我だった。骨に入ったヒビはまだ完治しておらず、そこから冷気が染みこんで全身に痛みをリレーしているかのように痺れをもたらしてくれる。あまり有り難い状態とはいえなかった。
 はあ、と白いため息を漏らす。
 こんなところでいつまでもぼんやり空を見上げていたら、いずれは風邪をひいてしまうだろう。これ以上くだらない理由で非番を増やすのは御免だ。
 新木は葛西にせせら笑われると、憤慨しながらもつい、いつか自分が本気で見捨てられるのではないかという恐怖を覚えてしまう。かの上司をそれほど尊敬しているつもりはないのに、不思議といえば不思議な感覚だった。


 意を決して入り口の脇に設えられたインターフォンに近づくと、新木がベルを鳴らす前に中から勢いよく人が飛び出してきた。すれ違う相手の動きが一瞬スローモーションのように見える。
 そこに見知った顔を見いだして、新木は素っ頓狂な声を上げて彼の名を叫んだ。

「と、時任君っ!?」
「――あ?」

 炎の形相でマンションの入り口を滑り出た彼は、新木が声を発するまでにずいぶんと遠くまで歩を進めてしまっていた。だが幸い、自らの名――仮の名であるにせよ、現在の彼を表す言葉だ――を聞きとがめ、足を止めてくれる。
「あれ? なんだよ新木さん。こんなトコでなにやってんの?」
「時任君こそ。急いでたみたいだけど何か急用かい?」
「俺? 俺は別になにも……」
 ことり、と小首を傾げた時任の瞳は、次の瞬間なにかを思い出したように眇められた。煌めくその奥に恐ろしいマグマが見え隠れしている。
「別に外に用があったわけじゃねーけど、アイツの顔見てたくなかっただけ」
「あいつって……久保田くん?」
「あーもー、名前も聞きたくねーっつーの!」
 ガリガリと髪を掻きむしる時任は、真冬の、しかも雪の日に出かけるにはふさわしくない軽装だった。なるほど、確かにケンカ中に家を飛び出してきた風に見える。
 ケンカといっても、彼らの小競り合いはたいてい時任の独り相撲で、それがなおさら怒りの火勢を増幅させることになるのだろう。久保田の方は今ごろのほほんとした表情で、相方のコートを手に玄関を出ようとしているところかもしれない。急ぎ足で外に飛び出た彼にもそれはわかっているのだろう。
 新木は見た目の年齢よりも少し幼いケンカの仕方をする時任が可愛く思えて、思わずクスリと笑い声を漏らしてしまった。睨まれるかと思ったが、時任はバツの悪そうな顔でそっぽを向いている。
「新木さん……あのさあ」
「ん? どうしたんだい?」
 背後の扉を気にしながら口を開いては閉じする時任は、明らかに寒そうで、しかも手ぶらだった。
 ああ、と新木は彼が何を言いたいのか悟る。
「皆まで言わなくていいよ。ちょうど君に用事があったんだ。どこかで暖かいモノでもおごるよ」
 そう言って二つ折りの薄い財布を示してみせた。給料日前だがまあなんとかなるだろう。
 時任の顔がパッと明るくなる。
「サンキュー、新木さん! あ、そういえば怪我もういいの?」
「うん。もう大分いいよ。その節は世話になっちゃったね」
「あ? や、あれは別に新木さんのためにやったわけじゃねえし。それより、すげー雪積もってんじゃん。いつからココいたわけ?」
 バタバタと、若干強めだが慣れた手つきで雪を払い落としてくれる時任の姿に、普段の彼らの生活が垣間見える気がした。
 葛西がよく自分の甥っ子のことを、どうしようもなく世話のかかるガキだと評しているが、時任にとっての久保田もおそらく同じなのだろう。
 自分のような凡人には、久保田誠人という少年はただ恐ろしいばかりなのだけれど。


 刑事になって、これでも一応は凶悪な犯罪に数多く立ち合ってきた身だ。葛西と組ませてもらって、WAの捜査では元が人間とはとても思えない獣化した死体を、嘔吐しながら繰り返し目に焼き付けてきた。
 それなのにその経験を全部足しても追いつかないほどの恐怖が、久保田の周囲を渦巻いている。油断していると、彼の中心にぽっかりと空いた真空の暗い穴に引きずり込まれそうになることもある。
 新木のような凡人にはせいぜいそれを感じ取るだけの力しかない。けれど、あれに正面から向き合って取り込まれてしまった人間も数多くいるに違いない。彼の波長に何かを見いだして近づく人間ほど、おそらく久保田と同じ闇を抱えている。同極の磁石のように決して寄り添うことはできないとわかっていながら。
 あのブラックホールに近づける唯一の例外は、新木の目の前で寒さを忘れたように雪空を見上げていた。


 折れた骨は以前よりも強くなって再生するのだと聞いたことがある。怪我を負ってもヒビ止まりという中途半端さは、自分という人間にいかにもふさわしいと新木は思った。
 それでも、怖がったり逃げそうになったりしながら、おっかなびっくり前を目指す自分にだって、必ず出来ることがあるはずだ。骨は折れずとも、ヒビが入ったという事実はなくなりはしない。決して元と同じ骨に戻ることはないのだ。
 前を見据えること。それを忘れさえしなければ、心が震え身体が萎えても刑事で居続けることが出来る。おそらくきっと。全ての骨が折れてしまわない限り。
 




 天候の悪さからなのか、駅前のミスドは思ったより混雑していなかった。ジャンクフードしか奢れない自分をちょっぴり情けなく思いながら、コーヒーを持って時任の前に腰を下ろす。
 時任は飲茶セットをドンと並べて、既に攻略に取りかかっていた。肉まんを幸せそうに頬張り、咀嚼してから新木に向き直る。