As you wish / ACT7
Act7~大丈夫と言いきれる程度には、~
走る、走る、細い路地を抜けて廃ビルの階段を慣れた様子で駆けあがる。途中、携帯が震えて着信を知らせたが、走る足を止めないまま通話ボタンを押す。
聞こえてきた助手の感情のこもらない報告に、そう、じゃあこれをああして、と簡単な支持を飛ばした。そのまま通話を切ると、屋上に通じるドアを開ける。何人かの女性がそこに集っていた。
「やあ、遅れてごめんね」
悪びれない様子で、先ほどまで走っていたのが嘘のように平然と、臨也は彼女たちに歩み寄る。暗い夜にうごめく人影は、みなそろって同じような表情をしていた。
雲間から、月が顔を出す。
臨也はとびきりの表情を作って、女性たちに告げた。
「お願いがあるんだ」
「すみません、もう少し飲み物ありますか?」
けだるそうに正臣の寝るソファベッドに寄りかかりながら、帝人は何度目かの飲み物のお代りを申し出た。臨也が意気揚々と部屋を出てから、すでに数時間。あたりは深い闇に覆われ、そろそろ日付が変わる時間帯となっている。
サプリメントを飲み込んで、野菜ジュースや麦茶などで足りなくなった水分を補給していた帝人は、そろそろ大丈夫だ、と自分に言い聞かせてノートパソコンを手にした。臨也のものだ。自分のパソコンに比べると、格段にスペックが良いので、気に入っている。あげるよ、と造作もなく臨也は言うのだけれど、高いものをそうですかともらうのも気が引けて、必要な時だけ借りることにしていたりする。
外付けのハードディスクを鞄から取り出して、接続する。起動音は静かな部屋にこだまして、それを聞きつけた正臣が目を開けた。
「帝人・・・?」
「うん、あの人が何やってるか、一応把握しとかなきゃだから」
かたかたとキーボードをたたいてメール画面を呼び出すと、すでにいくつかの新着メールの受信がある。帝人はそれを受信した順番に一つずつ開いて、ざっと目を通した。
「帝人君は、臨也のことを信頼してるのかな?」
一通りのメールに目を通し終わったころを見計らって、新羅がマグカップを持ってやってきた。セルティも、今日は仕事を断って家にいてくれている。病人に女性に非力な少年、三人も守らなくてはならない状況下で、頼りになるのはセルティだけだ。そして今は、女性2人で何事か話しこんでいる。
アイスコーヒーの入ったマグカップを受け取って、帝人は首をかしげて新羅を見た。どういう意味なのか、いまいち分からなかったからだ。
そんな帝人の様子を面白そうに見て、新羅はテーブルに頬杖をつく。
「臨也、一般的には最低の男だと思うんだけど」
「ああ、はい、そうですね」
「そんな男を信じるの?」
改めて言われるようなことだろうか、と帝人は新羅を見つめ返した。確かにあの男は最低だ。人間観察のためになら他人の自殺を援助し、帝人と仲が良いというだけの理由で正臣を故意に傷つけもする。今回の怪我は間に合わなかっただけだと思うが、黄巾賊をつぶした時の精神的な傷は、わざとだろう。
だがそれが、帝人にとって臨也を信じないと言う理由になるかと問われれば、NOだ。
「信じますよ」
帝人ははっきりと答えた。その思いのほか強い口調に、新羅が目を見開き、ソファベッドの上では正臣が寝がえりを打つ。
「・・・帝人、でも、あの人を信じるっていうのは、俺は感心しない」
今も熱と格闘している正臣が、ベッドの上から言う。
「それは聞いた。そして、紀田君がそう思うのは仕方がないと思う」
「じゃあ、なんで」
「理由がないからね」
パソコンをたたき、ダラーズの情報サイトを開きながら、帝人は平然と答える。
「僕はあの人に、まだ裏切られていない。裏切られない限りは、信じない理由がないよ」
そうして、信じてほしいと頼ってほしいと、心の垣根を破って、伝えようとする強固なまでの親愛の情を、疑う理由も。
今のところはまだ、ない。
「確かに、あの人は最低だ。人間として歪んでいる、どこか壊れている・・・まあ人間じゃないから当然何だろうけど。そこは僕も認めるし、誰から見ても明らかだと思う」
掲示板をチェックしながら、帝人の瞳がまっすぐにディスプレイを見つめている。それは崇高な仕事をこなす尊い作業の様で、新羅は思わず小さく息をのんだ。
「契約、っていったっけ?あれに縛られているだけ、ということはないの?」
「ナンセンスです、新羅さん。だってその契約自体、臨也さんから結んできたものですから」
「無理やり?」
「そうです、無理やり、僕からしか解除できないような契約を、臨也さんが結ぶ理由とは何か。これでも僕は結構考えたんです、何か裏があるんじゃないかって」
飽きたら捨てるつもりでいるならば、なぜ解除は帝人からしかできないものにしたのか。もしも帝人が無茶なことを命じたなら、どこまで臨也は従うのだろうか。それを試そうとしたことなら、ある。
「よけるなと言いつけて、ナイフで切りつけたことありますよ。あの人は瞬きさえせずにニコニコしていただけでした。別に君に殺されるならそれでもいいよ、というんです、馬鹿だと思いましたね」
「・・・そりゃあ、うん、なんというか・・・」
「ネジが抜けていることは分かってます、仕方がないんだとも思います。それでも全部、僕のためなんです。それが分かってて信じてあげなかったら、僕が最低でしょう」
少なくとも、と帝人は思う。
ナイフを持つ手を心臓の真上に導いて、刺してもいいよ、それで俺を信じてくれるなら。と告げたあの、穏やかな笑顔を思い出すと、そこまでされても信じられないなんて冷た過ぎると思う。たとえそれが臨也の計算だったとしても、帝人のような小さな存在を彼が騙して得になることなんて、何一つありはしないのだ。
血がおいしい、なんてことは、帝人には分からない。自分の血なんか舐めたってただ血の味しかしないのだから。けれど、食事をするだけだったら、あんな契約を結ぶ必要もないし、血を吸うときに遠慮も配慮もいらないはずだ。ましてや、男同士だってところを差し引いたって、どうでもいい相手の唾液を求めてキスなんかするだろうか?
答えは、否だ。
「なので、明確に裏切られるその時までは、僕は臨也さんを信じますよ」
掲示板からは目当ての情報をいくつか拾い上げ、それをコピーアンドペーストしながら、ごく当たり前のことのように帝人は言う。それは親友である正臣には非常に納得のいかない言葉だったけれど、かといってすべてを否定するには、2人の関係が不明瞭すぎた。
ここに運び込まれてからずっと感じている。どこかでつながってしまっているかのような、絆めいたものを。
そうあの臨也の目は、主を見る目というよりは・・・。
恋人、を。
見る物の様に、思えたから。
「・・・それより、紀田君に聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
先ほどまでとは口調をがらりと変えて、帝人が正臣に向き直る。深い湖面のような瞳がまっすぐに正臣を見据えた。正臣もまた、真剣な目で帝人を見つめ返す。
「紀田君は、黄巾賊を滅ぼしたくない?」
ゆっくりと発せられた質問に、正臣はしばし、瞠目した。
走る、走る、細い路地を抜けて廃ビルの階段を慣れた様子で駆けあがる。途中、携帯が震えて着信を知らせたが、走る足を止めないまま通話ボタンを押す。
聞こえてきた助手の感情のこもらない報告に、そう、じゃあこれをああして、と簡単な支持を飛ばした。そのまま通話を切ると、屋上に通じるドアを開ける。何人かの女性がそこに集っていた。
「やあ、遅れてごめんね」
悪びれない様子で、先ほどまで走っていたのが嘘のように平然と、臨也は彼女たちに歩み寄る。暗い夜にうごめく人影は、みなそろって同じような表情をしていた。
雲間から、月が顔を出す。
臨也はとびきりの表情を作って、女性たちに告げた。
「お願いがあるんだ」
「すみません、もう少し飲み物ありますか?」
けだるそうに正臣の寝るソファベッドに寄りかかりながら、帝人は何度目かの飲み物のお代りを申し出た。臨也が意気揚々と部屋を出てから、すでに数時間。あたりは深い闇に覆われ、そろそろ日付が変わる時間帯となっている。
サプリメントを飲み込んで、野菜ジュースや麦茶などで足りなくなった水分を補給していた帝人は、そろそろ大丈夫だ、と自分に言い聞かせてノートパソコンを手にした。臨也のものだ。自分のパソコンに比べると、格段にスペックが良いので、気に入っている。あげるよ、と造作もなく臨也は言うのだけれど、高いものをそうですかともらうのも気が引けて、必要な時だけ借りることにしていたりする。
外付けのハードディスクを鞄から取り出して、接続する。起動音は静かな部屋にこだまして、それを聞きつけた正臣が目を開けた。
「帝人・・・?」
「うん、あの人が何やってるか、一応把握しとかなきゃだから」
かたかたとキーボードをたたいてメール画面を呼び出すと、すでにいくつかの新着メールの受信がある。帝人はそれを受信した順番に一つずつ開いて、ざっと目を通した。
「帝人君は、臨也のことを信頼してるのかな?」
一通りのメールに目を通し終わったころを見計らって、新羅がマグカップを持ってやってきた。セルティも、今日は仕事を断って家にいてくれている。病人に女性に非力な少年、三人も守らなくてはならない状況下で、頼りになるのはセルティだけだ。そして今は、女性2人で何事か話しこんでいる。
アイスコーヒーの入ったマグカップを受け取って、帝人は首をかしげて新羅を見た。どういう意味なのか、いまいち分からなかったからだ。
そんな帝人の様子を面白そうに見て、新羅はテーブルに頬杖をつく。
「臨也、一般的には最低の男だと思うんだけど」
「ああ、はい、そうですね」
「そんな男を信じるの?」
改めて言われるようなことだろうか、と帝人は新羅を見つめ返した。確かにあの男は最低だ。人間観察のためになら他人の自殺を援助し、帝人と仲が良いというだけの理由で正臣を故意に傷つけもする。今回の怪我は間に合わなかっただけだと思うが、黄巾賊をつぶした時の精神的な傷は、わざとだろう。
だがそれが、帝人にとって臨也を信じないと言う理由になるかと問われれば、NOだ。
「信じますよ」
帝人ははっきりと答えた。その思いのほか強い口調に、新羅が目を見開き、ソファベッドの上では正臣が寝がえりを打つ。
「・・・帝人、でも、あの人を信じるっていうのは、俺は感心しない」
今も熱と格闘している正臣が、ベッドの上から言う。
「それは聞いた。そして、紀田君がそう思うのは仕方がないと思う」
「じゃあ、なんで」
「理由がないからね」
パソコンをたたき、ダラーズの情報サイトを開きながら、帝人は平然と答える。
「僕はあの人に、まだ裏切られていない。裏切られない限りは、信じない理由がないよ」
そうして、信じてほしいと頼ってほしいと、心の垣根を破って、伝えようとする強固なまでの親愛の情を、疑う理由も。
今のところはまだ、ない。
「確かに、あの人は最低だ。人間として歪んでいる、どこか壊れている・・・まあ人間じゃないから当然何だろうけど。そこは僕も認めるし、誰から見ても明らかだと思う」
掲示板をチェックしながら、帝人の瞳がまっすぐにディスプレイを見つめている。それは崇高な仕事をこなす尊い作業の様で、新羅は思わず小さく息をのんだ。
「契約、っていったっけ?あれに縛られているだけ、ということはないの?」
「ナンセンスです、新羅さん。だってその契約自体、臨也さんから結んできたものですから」
「無理やり?」
「そうです、無理やり、僕からしか解除できないような契約を、臨也さんが結ぶ理由とは何か。これでも僕は結構考えたんです、何か裏があるんじゃないかって」
飽きたら捨てるつもりでいるならば、なぜ解除は帝人からしかできないものにしたのか。もしも帝人が無茶なことを命じたなら、どこまで臨也は従うのだろうか。それを試そうとしたことなら、ある。
「よけるなと言いつけて、ナイフで切りつけたことありますよ。あの人は瞬きさえせずにニコニコしていただけでした。別に君に殺されるならそれでもいいよ、というんです、馬鹿だと思いましたね」
「・・・そりゃあ、うん、なんというか・・・」
「ネジが抜けていることは分かってます、仕方がないんだとも思います。それでも全部、僕のためなんです。それが分かってて信じてあげなかったら、僕が最低でしょう」
少なくとも、と帝人は思う。
ナイフを持つ手を心臓の真上に導いて、刺してもいいよ、それで俺を信じてくれるなら。と告げたあの、穏やかな笑顔を思い出すと、そこまでされても信じられないなんて冷た過ぎると思う。たとえそれが臨也の計算だったとしても、帝人のような小さな存在を彼が騙して得になることなんて、何一つありはしないのだ。
血がおいしい、なんてことは、帝人には分からない。自分の血なんか舐めたってただ血の味しかしないのだから。けれど、食事をするだけだったら、あんな契約を結ぶ必要もないし、血を吸うときに遠慮も配慮もいらないはずだ。ましてや、男同士だってところを差し引いたって、どうでもいい相手の唾液を求めてキスなんかするだろうか?
答えは、否だ。
「なので、明確に裏切られるその時までは、僕は臨也さんを信じますよ」
掲示板からは目当ての情報をいくつか拾い上げ、それをコピーアンドペーストしながら、ごく当たり前のことのように帝人は言う。それは親友である正臣には非常に納得のいかない言葉だったけれど、かといってすべてを否定するには、2人の関係が不明瞭すぎた。
ここに運び込まれてからずっと感じている。どこかでつながってしまっているかのような、絆めいたものを。
そうあの臨也の目は、主を見る目というよりは・・・。
恋人、を。
見る物の様に、思えたから。
「・・・それより、紀田君に聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
先ほどまでとは口調をがらりと変えて、帝人が正臣に向き直る。深い湖面のような瞳がまっすぐに正臣を見据えた。正臣もまた、真剣な目で帝人を見つめ返す。
「紀田君は、黄巾賊を滅ぼしたくない?」
ゆっくりと発せられた質問に、正臣はしばし、瞠目した。
作品名:As you wish / ACT7 作家名:夏野