Don't cry for me Amestris
リゼンブールでは、エドワードは、かつて母がしていたようなひっそりとした暮らしをしている。薬草を育て、薬を煎じる生活だ。違うところがあるとすれば、彼女は伝統を重んじることよりも、むしろ新しい研究に没頭したという点につきる。エドワードは向学心の塊のような性格だった。
母と暮したときにはなかったピアノが、アルフォンスの計らいで家には設置されていたけれど、エドワードはリゼンブールに来てから一度もそれに触ったことはなかった。もう、エディは死んだから。そう思って。
しかし、季節が夏に近づいていたある日、そんな彼女の生活が再び一変した。
エドワードはラジオをあまり聞かない。情報が入ってくるのを、自ら拒むようなところがあった。実際、そうしてラジオをつければロイの近況などがわかってしまうから、知りたくなくて拒んでいた部分はある。
だから知らなかったのだ。
ロイ・マスタングが、初代大統領を退き、選挙で選ばれた二代目の大統領にその地位を譲ったことを。
「…お嬢さん、根をつめると体に毒ですよ」
開け放したテラスに続く部屋、薬草と辞書と首っ引きになっていたエドワードの耳に、もう聞くこともないと思っていた声が飛び込んできて、エドワードは勢いよく顔を上げた。
まさか、という思いですぐには言葉が出てこなかった。
「……なんで…」
テラスから入ってきたのだろうか。ロイがそこには立っていて、悪戯が成功した子供の顔で笑っていた。彼にはこんな子供っぽいところがあった。
「ノックしても誰も出てこないから、留守かと思ったんだが。ドアが開いていたので」
無用心だな、なんて笑いながら、彼はエドワードに近づいてきた。
「いいんだ、田舎だから…」
「そういうものかい?」
ふうん、と納得したように頷く彼の腕には上着がかけられている。確かに今日は少し暑いくらいだった。
「…元気そうだ。よかった」
ロイの手がひたりとエドワードの頬に添えられた。その感触は随分と久しぶりで、エドワードは無意識に目を細めていた。
「顔色がいい。やっぱりリゼンブールに帰してよかった」
ロイもまた目を細めて、嬉しそうな表情で囁く。
「…なんで、ここに…」
「うん、実は大統領を首になってしまってね。君に拾ってもらえないかと思って来たんだよ」
ロイはくすくす笑って、エドワードを抱き上げた。うわ、と声をあげるが、彼は構わない。腕に抱えるようにして、外に出る。
外では初夏の自然がいっぱいに広がっていて心地よかった。清清しい風が抜けていって、エドワードのシャツやロイの髪を巻き上げていく。
「…うそ、そんなわけ…」
ロイの人気を、エディの人気に支えられていると揶揄する声はあったが、けしてそれだけではなかったことなどエドワードが一番知っている。彼がどれだけ努力し、どれだけ身を粉にしてきたか、またどれだけ能力に恵まれていたかも。
「…君が、そろそろ泣いているかと思って」
「…バカ」
ふざけたような調子で言うのを、エドワードは呆れた顔でやり返した。まったく、何を言っているのか。
「あとは、そうだな。ラスト女史から、子供が生まれたら連絡しろと…」
「ば、バカ!」
今度は照れくさくて頭を殴った。しかし、ロイはこたえた様子もなく笑っていた。全く調子が狂う。
「――言っただろう? 全部投げ出して南の島にいってしまおうかと思ったことがあるって」
「……」
「それくらいならリゼンブールに行こうと君が言った」
エドワードはまじまじとロイを見つめた。まさか覚えているとは。
「すぐに返事が出来なくて、随分悔やんだ。…それを実行しようと思ったんだ」
「…でも大佐、大佐は、もっと他に、することとか…」
ロイは笑った。
「いいんだ。私の宿題は、もう終わった」
「でも」
親友の死に立ち会ってこの国を変えようと思ったとロイは言っていた。確かに革命はなったが、まだまだ変革の必要な部分はあるだろう。言い募れば、なぜか男は拗ねたような顔をする。
「そんなに君は私といたくないのか?」
エドワードは思いきりロイの頭をたたいた。言うに事欠いてなんてことをいうのだ、と思ったから。だがロイは怒らなかった。むしろ笑ったくらいである。
「そうそう、その方が君らしい」
「…人をそんな乱暴みたいに言うな」
「みたい?」
「…みたい」
「はいはい、そういうことにしておこう」
ロイはそっとエドワードを下におろした。
「ここが君の育ったところか」
「…うん」
エドワードははにかみながら頷いて、照れ隠しに眼下を眺めた。
「母さんと一緒に暮らしたところ。何もないけど、きれいな所だよ」
「…後で案内してくれないか。いろいろ見てみたいんだ」
いいよ、とエドワードは答えた。そして、遠慮がちにそっと、腕をからめてみる。そうしたら笑いまじりに肩を抱かれた。
「…君のお母さんの、お墓もある?」
「うん」
「順番がおかしくなってしまったが、挨拶にもいかないと」
エドワードは風を感じながら目を細める。
ここから飛び出していった日には、こんな未来が来るなんてちっとも予想していなかった。
「そうだ。オヤジと弟もいるんだよ」
「…さっきご挨拶してきたよ。…それがなければもっと早くこれたんだが」
ぼやかれて、エドワードは思わず顔を上げた。あの弟と父親は、この男に一体何を言ったのだろうか。
「ヴァージンロードを一緒に歩くのが夢だったのにと今更言われてね…そうだ、エド、もう一回結婚式をしないか」
「…は?」
何を言ってるんだ、と眉をひそめたら、だって、君の父上にかなう気がしないよ、とまたぼやくので、あんまりおかしくてエドワードは笑ってしまった。
――アメストリスは変わっていく。
エディもマスタングも、もう必要ないかもしれない。少しずつ人の記憶からも薄れていくのだろう。
だけれども、泣かないで、という曲が忘れられることはきっとなく、ずっと弾き継がれていくに違いない。
本当に二人がいなくなってしまった後も、きっと。
Fin.
作品名:Don't cry for me Amestris 作家名:スサ