心は風にのせて
第一章:再会①
「貴様らも楽しんでおけ」
羽鳥の言葉通り、今だけ何かを忘れるように酒を飲み始めた時だった。
お客様がお見えですが。と真那が顔を出した。
樋高が、誰だ。とたずねると、皆様の同期生とだけ。と答えた。
全員が顔を見合せる。肩を上げる者。首を傾げる者。誰も心当たりがない。
真那が部屋の入り口で困ったような仕草をしていると、その襖が大きく開かれた。
濃紺色の皇国陸軍制服。
軍帽の下から、さらりとした黒髪がのぞく。
「あっ」
「貴様。何故ここに?」
皆が驚きを口にする中、その人物は右手を額にあてた。
「仁科楓。ただ今、帰朝致しました」
思わぬ飛び入り参加者に、宴は益々賑やかなものになった。
楓が何故この場所を知り得たのかは、誰も気にする様子はない。
興味は彼女自身にのみ注がれた。
「仁科。いつ戻ってきた?」
「つい先程だ」
「貴様の駐在任期はあと二年あったはずだが……やはり開戦で?」
「まだ詳しくはわからんが、命令とあらば従うだけだからな」
仁科様。と真那の手が伸びる。
「ありがとう」
楓は水晶椀を掲げ、涼しい微笑を送った。
彼女の頬はまたたく間に赤く染まった。
「可愛らしい方だな。婚約者なんだって?」
楓は樋高にたずねた。
うん。と穏やかに頷き、くっきりとした二重瞼を楓に向ける。
「仁科が相手だと負けそうだ」
少しだけ本気めいたような口調だった。
「どういう意味だ?」
「別に。俺の単なる妬きもちだよ」
「それは、ご馳走様」
楓は鼻で笑った。
真那の頬は益々赤の色味が強くなった。
楓は実に中性的な顔立ちをしている。
少しだけ日に焼けた肌は凛々しさを増し、女にしては充分すぎる背丈を持ち合わせていることから、その風貌は美青年将校そのものである。
当然、彼女の存在は巷で有名だった。
特に遊烙に身を置く女達の間では大層人気があるようで、女であることが惜しい。と誰もが口を揃えた。
中には女であろうが構わない。という熱烈な信者までいるとか……
「ところで、仁科」
古賀が楓の隣にやってきた。
どかりと腰を下ろすなり、肩章を顎でしゃくる。
「貴様、昇進したな?」
「そうらしい」
楓は静かに椀の中を飲み干した。
「そうらしい……って」
古賀は空になった椀になみなみと酌をしてやった。
楓は酒が強い。いわゆるザルである。
「相変わらず欲がないというか何というか。食えん奴だな」
「昇進する覚えが何もなくてね。向こうではアスローンモルトを飲んでいただけだ」
この偏僻ともとれる彼女の発言には理由があった。
楓はつい先日までアスローン諸王国の駐在武官を勤めていた。
しかし、駐在武官というよりは親善大使の意味合いが強く、もっぱら諸王国貴族の主催する茶会や晩餐会への参加が主立った仕事であった。
皇国の女軍人の存在は諸王国社交界で瞬く間に有名になった。
二ヶ月も経った頃には毎晩のように宴に招待されるようになり、本来の軍事情報の収集という任務とは全くかけ離れていった。
このことは国間の交流という面では決して無意味ではなかったにしても、本人の意とするものではなかった。
「まあ、そうひねた言い方をするなよ」
槙がゆったりとした口調でたしなめた。
「陸軍大尉とは、お義父上もさぞお喜びではないのか?」
すると、さすがにそこに矛先を向けるべきではないと思ったのか、楓は素直に口を開いた。
「ああ。それは大層な喜び様だったよ。随分じらされた意識があるようだからな。祝いに新馬を頂いた」
「有難いことじゃないか」
「勿論だ」
楓は肉を頬張る槇を見ながら片眉を上げた。
「なにせ、その馬で西州の主要街道を練り歩くという、特典まで付いているのだからな」
「なんだって?」
槇は驚いたように肉を飲み込んだ。
「駒州産の白馬だ。上物だろう?」
「そいつは……」
そもそも白馬はその稀少性から通常の毛色馬の倍値段がつき、駒州産ともなれば四倍にも跳ね上がる。
ただ、戦場では使えない。つまり完全に装飾的価値でしかない物を買い与えるくらい、楓は義父からの愛情を受けていると見える。
「その後は昇進祝いの宴を予定している。中尉に昇進した時、貴様も招待したであろう?」
「西原家の上屋敷で、それは盛大だったな」
「今回はそれ以上の人数になるようだ。なあ、槇。義理とはいえ、親というのは本当に有難いものだな」
「それは……なんとも……その通り」
槙は引きつった笑いを浮かべた。
「はははっ!!」
二人の話を聞いていた古賀が豪快に笑った。
「西州公は演出家のようだな」
「職を変えればよいと思っている。最近の芝居は些か退屈なものが多い」
「おいおい。前から思っていたが、貴様の発言は冗談か本気かどうかわからんぞ」
楓の発言に古賀は一転して渋い顔を作った。
「ふふっ。自分でもよくわからん」
しかし楓は特に気に留めることなく、意味あり気な笑みを浮かべ杯をあおった。
そして、今だ一言も言葉を交わしていない男に視線を走らせた。
「しかし、これで私もようやくと思ったのだが、二階級も特進しているとは思わなかった。加えて水軍からも名誉階級を受けるとは、到底及ぶ所ではないな。少佐殿?」
新城はもずくをすすっていた。
声の方を見向きもせず、黙ったままである。
問いただすことなく、それをじっと見つめる楓。
やがて新城の手に持った小鉢が空になった。
「僕が望んだわけではない」
新城は楓が現れてから、初めて声を発した。
「貴様も私と同じく、身に覚えなし。とでも言いたそうだな」
「そこまで謙虚にはなれない。事実、どうにもならにくらい難儀だったのだからな」
「ふふふっ。変わらないな」
楓は艶っぽい視線を向けると、新城は眠そうな目でそれを受けた。
「まあいい。貴様のことだ。差し詰めまた何かに巻き込まれているのだろう?」
何もかも見透かしたような言い方だった。
しかし、楓の読みはまさにその通りだった。
彼女は昔から嫌になるほど事情に鋭い。