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南へ逃避行

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テレビを見ていたルートヴィッヒが珍しく「あっ!」と声を上げた。
ギルベルトがビールを片手に、ルートヴィッヒの座るソファーに近づく。
ソファーの前に鎮座するテレビにはサッカーの試合中継が映されていた。
彼らのいる欧州で最もポピュラーなスポーツは恐らくサッカーだろう。ルートヴィッヒ達の家では専用チャンネルまである。
そして、彼らはサッカーの試合を見ることを何よりも楽しみにしているのだ。
ルートヴィッヒも例外ではない。彼は隣にギルベルトが座ったことも気付かないほど集中していた。
どうやらルートヴィッヒが応援しているチームにやや不利な展開になってるようだった。
ギルベルトがテレビに向かって百面相を繰り広げる弟を面白そうに見つめる。
ルートヴィッヒは体を揺らして額に手を当て「ああ!」と大げさに悲観の声を上げた。
二点目が入れられてしまったようだ。試合時間は残り少ない。
「なんだ、バイエルン・ミュンヘンかよ」
負けている方、つまりルートヴィッヒが応援しているチーム名をみてギルベルトが溜息を付く。
その言い方にむっとしたのかルートヴィッヒが顔を向けた。
「なんだって、なんだよ」
バイエルン・ミュンヘンは名門中の名門と言われるチームだ。ルートヴィッヒにとってこのチームは自慢であり誇りでもある。
ギルベルトは「はっ」と鼻で笑うとテレビ画面を顎で指した。
「名門の割に今日は点数ボコボコ取られてるなぁって思っただけだよ。それに俺はバイエルンチーム好きじゃねぇし?応援するならヘルタにしろよ。最初から強いところを応援したって面白くねぇだろ?」
ヘルタ・ベルリン。首都ベルリンにホームを置くチームでブンデスリーガの中でも人気が高いチームだ。
バイエルンと比べるとやや弱いチームではあるが、苛烈を極めるブンデスリーガで2部から1部に昇格後、安定した強さを保っている。
なによりもギルベルトが心から愛して止まない首都のチームだから、彼が偏愛するのも仕方がない。

テレビから試合終了のホイッスルが聞こえた。バイエルン・ミュンヘンが2点差のまま負けてしまったようだった。
ルートヴィッヒがテレビの電源を消す。不機嫌そうにリモコンをテーブルの上に放った。
「兄さんはチームが嫌いなんじゃなくてバイエルンが嫌いなだけだろ?」
むくれた様子でルートヴィッヒが愚痴る。肩を竦めギルベルトが「そんなこと」と返した。
「バイエルンが俺のことを嫌ってるんだって。それによー、サッカーだって1強時代はつまんねぇよ。お前は分かりやすい結果が好きだからあのチームを応援するんだろうけどさぁ、ここはやっぱりヘルタを応援すべき…」
バンッ!と激しい勢いでルートヴィッヒがテーブルを叩く。
驚いた様子でギルベルトはルートヴィッヒを見た。ルートヴィッヒが酷く不機嫌な表情を浮かべ、ソファーからゆっくりと立ち上がる。
「兄さん………うるさい」
低音で重量感のある声色。ギルベルトが焦ったように「ヴェスト…?」と声を掛ける。
ルートヴィッヒはその声を無視して踵を返し、ハンガーに掛けてあった上着を手に取った。
ちらりと肩越しに振り返り、玄関の脇に纏めてあった旅行鞄に手を伸ばす。
「お、おい!ヴェスト!!」
ギルベルトが声を上げた。ルートヴィッヒがぷいっと視線を外し玄関のドアノブに手を掛ける。
「じゃあな、兄さん。よいバカンスを!」
バタンッと大きな音を立て玄関が閉まる。
すぐに車のエンジン音がガレージから響き渡り、ルートヴィッヒの愛車は夕闇の彼方に消えていった。
「……まじかよ…」
ギルベルトが呆然と立ち尽くす。
そんなに怒るなんて思っていなかった。

ルートヴィッヒとギルベルトは明日から三週間の夏期休暇に入る予定だった。
彼らはこの長い休暇を利用して南に向かい余暇を過ごすのが慣例になっている。
もちろん例外もあるだろうが、大体はヴァルガス兄弟の家やアントーニョの家に行ったりすることが多い。
ルートヴィッヒとギルベルトも例年通り南で休暇を過ごそうと準備をしていた。
今年は二人でヘラクレスの家に行こうと計画を立て、準備をして置いておいた旅行鞄。
それを持って行ってしまったということは、ルートヴィッヒは一人でバカンスに出たということだ。
こんな兄貴に付いていけない、一緒に旅行なんてまっぴらだ。きっとそんな風に思っているんだろう。
「…う、ぐぐ…」
本気で怒られて、やっと弟の心を傷つけたと理解する。
いや、まさか一人でバカンスに行ってしまうなんて思いもよらなかった。
「……ヴェストー、寂しすぎるぜー…」
玄関に向かって呟いてみる。もちろん返事はない。
ギルベルトはスンスンと鼻を啜り、それからおもむろに携帯電話を取り出した。



アウトバーンを飛ばし、バッシュの所で一泊。山を越え辿り着くのは美しいアドリア海とそこに浮かぶ半島。
当初の予定はヘラクレスの家だったのに、気が付けばヴァルガス兄弟の家だった。
ルートヴィッヒは車を止め、海を眺めながら大きく溜息を付く。
「……結局俺はここが好きなのか」
穏やかな波、頬を撫でる海風、陽気な歌声が良く晴れた空に響き渡る。
車の窓を開けてぼんやりと景色を眺めた。この綺麗な場所がルートヴィッヒは大好きだった。
本当は兄さんと来たかったのに、と心の中で呟く。車の中に積んであったCDはギルベルトの好きな曲ばかりだ。
昨日兄さんが勝手に車に置いたんだった。運転するから曲ぐらい好きなものを聞かせろって、そう言って。
ぐしゃぐしゃと頭を掻く。何故こんなに怒ったのかよく分からない。
本当はそんなに怒ってなかった。そのはずなのに、なんで。ルートヴィッヒは盛大に溜息を付いた。
頭上に人影が出来る。驚いてルートヴィッヒが顔を上げた。
「おい、ここは駐車禁止だぞ、バカヤロー」
ロヴィーノが迷惑そうに眉根を寄る。
「……ルートじゃねぇか」
不審そうな顔でロヴィーノは小首を傾げていた。
ルートヴィッヒはロヴィーノの顔を認めると「ああ」と小さく声を出す。
「駐車禁止か、すまなかった。近くにパーキングはあるか?」
ロヴィーノが顎に手を当て「うーん」と唸る。顔を上げ、右手で指差した。
「真っ直ぐ進んで十字路を右に入りな。赤い屋根の家のガレージが空いてる」
目を見開いてルートヴィッヒが「あっ」と声を上げる。ロヴィーノはふん、と鼻を鳴らして踵を返した。
「ワインとパスタとトマトしか出せねーぞ、ジャガイモ野郎」
白壁と赤い屋根が印象的なこぢんまりとした造りの建物。ロヴィーノの住む家だとルートヴィッヒはすぐに分かった。
はにかんで彼に礼を述べる。
「ありがとう、ロヴィーノ」
ロヴィーノは振り返りもせず、右手だけ上げヒラヒラと振って見せた。
「うっせ。お前の車ジャマなんだよ、ムダに格好いいし。さっさと来い、このムキムキ野郎」
照れ隠しの悪態にルートヴィッヒが笑う。
「Ja」
エンジンを掛け、ゆっくりと車体を滑らせる。ロヴィーノが歩く横まで進めて車を減速させた。
「乗っていかないのか?」
ルートヴィッヒの問いにロヴィーノがあからさまな溜息を付く。
「言うの遅ぇよ、このジャガイモ。だからお前はモテないんだ」
答えるや否、ロヴィーノが助手席に飛び乗る。
作品名:南へ逃避行 作家名:なおゆき