恋はナナメ45度からやってくる。
春のうららかな陽気に恵まれた入学式の会場には、三年生生徒会長である黒沼青葉の声が、新入生たちへの歓迎の言葉を紡いでいた。
帝人はその様子を舞台の袖で見ながら、一年は早いものだなあとしみじみ思う。去年の今頃は、あの新入生たちの列に混ざって、これから始まる高校生活にドキドキしていたものだ。その頃の緊張が思い出されて、思わず唇を綻ばせる。
田舎から出てきた平凡な男子高校生でしかなかった帝人は、しかしやたら人脈の広い親友だとか、なぜか帝人を気に入ってしまった生徒会長のせいで、あれよあれよというまに生徒会会計の座に収まり、当人の意思とは無関係に知名度が無駄に上がってしまっている。あれおかしいな僕の平凡な生活はどこに、と思うこともあるが、まあこれはこれで楽しかった。それに多分半分くらいはこの派手な名前のせいだし。あとはこの、たくさんの新入生たちのなかに、仲良くなれる下級生が1人2人いればいいなあと思う。やっぱりたくさんの人たちとつながっていられるのが、一番だろう。
そんなふうにしみじみとした帝人の耳に、その音が飛び込んできたのはその時だった。
ガッターン!
「っ、えっ、何!?」
舞台の上では淀みなく歓迎の言葉を読んでいた青葉が目を丸くして言葉を切り、新入生たちの間にはざわめきが走った。来賓席や保護者の席からは、「何事か」と声が上がる。
帝人は思わず舞台のそでから顔を出して、新入生たちの席をうかがう。ざわめきの中心にいるのは、その新入生のうちの一人らしい。数人が立ちあがっているのを見て、帝人は青葉に視線を向けた。
どうします?
視線だけで問えば、青葉はすばやくその問いを察して、マイクの電源を切り、
「竜ヶ峰君、新入生が倒れたらしいので保護を」
と、帝人の期待通りの指示を出す。
生徒会長の指示さえあればこっちのもの。帝人は意気揚々と・・・とはいかないので、静かに舞台の袖から滑り出て、騒ぎの中心へと走った。
「どうしたの!」
「あ、せん・・・ぱい?」
近くにいた生徒に話しかければ、疑問形で返される。
ああどうせ童顔だよ悪かったね!
「生徒会会計の竜ヶ峰です、どうしましたか!」
半分やけになりながら言うと、それでようやく納得したのか、人垣が割れた。中央に倒れる生徒がいたので、急いでその横に膝をついた。なんでこの子、一人だけ学ラン着てるんだろう・・・とか思ったが、制服が間に合わなかったのかもしれない。っていうか来良学園は校風が自由なことで有名だから、別に制服をちゃんと着ていないからと言って小うるさく注意されたりは、実はしないのだった。
「君、どうしたの?」
具合でも悪いのかと、うつむいていた少年を仰向けにすると、彼が眠れる森のなんとやら、とでも言いたくなるような整った顔立ちをしていることに気付いた。うわー、かっこいい人っているもんだなあ。なんてのんびりと考えて、帝人はその肩をゆする。
「しっかりして、大丈夫?」
「・・・ぅん・・・?」
あれ、意外とすぐに反応が。
帝人は少し首をかしげた。貧血とかではないのだろうか?顔色は全然悪くないし、いやむしろこれは・・・。
顔を覗き込んでいたなら、その目の前で彼の目がぱちりと開いた。帝人ともろに目が合う。うわあ、大人っぽい雰囲気の子だなあ、なんて思いながらその目をぼうっと見返すと、彼はゆっくりと瞬きをした。
「・・・誰?」
そしてまっすぐに帝人を見上げて、そんなことを言う。
いや、誰って言われても。
「いやそんなことより、どうしたの」
「何が?」
「だって君今、倒れたでしょ?」
「・・・?」
自覚がなかったらしい。これほど騒ぎになっているというのに、神経のずぶとい子だ、と帝人は認識を新たにした。こてんと首をかしげたまま、彼はくあああ、と大きな欠伸をした。
「あー・・・。なんか話が長くて、つまんなかったんで」
・・・。
あれ、これはもしかして・・・。
「・・・寝てた?」
恐る恐る、帝人が尋ねる。学ランの美少年は、起き上がる努力もせず、寝転がったままでケタケタと笑った。
「あー、寝てた寝てた。最近寝付けなかったからさぁ、こんなによく寝たの久しぶり・・・」
「・・・」
帝人は唖然として彼を見下ろす。現時点ですっかり起きているのに、いつまでも体育館の床に寝っ転がっているその学ラン少年を、じっくりとじっくりとまん丸の目で見つめて。
そして。
「・・・ぷ」
思わず。
我慢の限界がきた。
「・・・っははははは!あは、ちょ、君、あはははははっ!」
唐突に大声で笑い出した帝人に、さすがの居眠り少年も驚いたように目を丸くする。だがそんなことにかまっている余裕は、今現在帝人にはなかった。肩を震わせて必死に笑いをこらえようとするものの、親友いわく『一度火が付いたら止まらない笑いのツボを持つ男』竜ヶ峰帝人である。
ひーひー言いながらも笑いが止まらず、涙目になる帝人のせいで、学ラン少年もさすがに目立ち過ぎを悟ったらしい。ひょいと上半身を起こして、予想外に注目されていることに気づいて瞬きをした。
「あー・・・、帝人のやつツボ入ってるなあ・・・」
入学式の手伝いに来ていた正臣が呆れたようにつぶやいた。舞台の上では生徒会長・青葉が竜ヶ峰君の笑い声って可愛いよねーとか寝ぼけたことを言っている。さて、この生徒会長が頼りにならない以上、この場を収めるのは俺しかないでしょ、と正臣は張り切ってマイクを持った。
『はーいみなさん、そこまでそこまでー』
大音量で体育館に響き渡る正臣の声に、どう反応したらいいのか分からず騒然としていた開場内がはっと自我を取り戻す。
『父兄の方、大丈夫のようですのでお席にお戻りください!新入生諸君は自分の席へ。さっき倒れた君も!起きてくださーい』
正臣の呼びかけに、帝人もようやく落ち着きを取り戻して涙をぬぐっている。そんな帝人にウインクをして、
『ついでに竜ヶ峰会計は笑いを止めて舞台袖にカモン!』
と正臣は茶化して付け足した。
「あーっ、久々に、大笑いした、君面白いねえ!」
ぜーぜーいいながら、なんとか笑いをひっこめて、帝人は立ちあがった。そのまま、まだ呆然と床の上に座っている学ラン少年に手を差し出す。
「あと少しだから、ファイトだ!」
「いや、戦うわけじゃないんだけどね?」
その手を戸惑いながらもとって、少年も起き上がる。パンパンと服についたごみを払って、それから。
「・・・ね、竜ヶ峰会計?名前はなんていうの」
突然、まっすぐ目を合わせてそんなことを言う。
「ん?竜ヶ峰帝人っていうんだけど・・・」
「りゅうがみねみかど・・・」
大人びた顔とは裏腹に、やけに子供っぽく名前を繰り返して、少年は小さく首をかしげる。
「偽名じゃないからね」
一応釘をさす。
「エアコンみたいな名前だね、帝人センパイ」
にっこりとほほ笑みと一緒にそんな風に切り返された。美形は厭味を言っても美形らしい。はあ、と曖昧に言葉を逃がして、帝人は舞台を振り返った。悠長に生徒会長が手招きをしているので、早いところ戻らねば。
「じゃあ僕戻るから、ちゃんと起きててね」
最後に一言声をかけて、くるりと後ろを向いた帝人に向かって、
「折原臨也」
と学ラン美少年は告げた。
作品名:恋はナナメ45度からやってくる。 作家名:夏野