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蜘蛛の糸

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新宿の情報屋の事務所はいつでも静かだった。
 時々雇い主が指示を出し、それに対して秘書がほんの少し内容について問うくらいで、あとは何一つ声も響かない。聞こえるのはキーボードを叩く音とボールペンが紙をなぞる音くらいだ。秘書は書類作成にいそしみ、上司はクロスワードを解くのに必死のようだった。
 基本的にこの事務所は来訪者がない限り騒がしくはならない。よって今響く音は、仕事をする際に生じる雑音かもしくは波江が紅茶を飲むために沸かしたケトルの音くらいだ。
 ひどく、ひどく静かだった。
 もとより会話を必要としない波江にとってはよく馴染む空気だったが、向こうでデスクチェアに腰掛けパソコンをいじりながらクロスワードにいそしんでる男はそうでもないのではないかと思う。いつだって喧騒のなかに、いるような男だ。いや、正確に言うと喧騒を産み出し、遠くから眺めているような男だ。時々その口は黙ることなど知らないのではとさえ思えるほどよく動くので、彼女は何度かイラつきもしたのだが…。そんなやつがこの空間に馴染んでいる方が不思議でならないとも思った。
(ま、関係ないけど)
 その一言で彼女はそれまでの思考をすべて片付けてしまう。何故ならば、彼女にとって雇い主の男が静かな空間にいようが喧騒の池袋にいようが、言葉通りどうでもいいからである。ただ自分の仕事に見合った給料を渡してくれる、それ以外なんでもない関係だと思っているからだ。
 だからその静寂が終わりを告げるように、携帯がけたたましくなり響いても波江は顔色一つ変えなかった。
 キラキラとライトがひかり、鳴り響くのはリストのハンガリー狂詩曲2番、よく耳にするあの曲…相変わらず意味不明のセンスだ。ところが、携帯電話がすでに何小節か音楽を奏でているというのに、持主はいっこうにそれを取ろうとしなかった。
 静かだとしか言えなかった空間は、短調のメロディとバイブレーションがテーブルを揺らす歪な音で満たされている。仕事をしているテーブルがいつまでたっても揺らされ続けるのを不快に思った波江は仕方なく口を開いた。
「――臨也、携帯なってるわよ」
「あぁ、いいのいいの」
 折原臨也は愉快そうにそう呟いた。しかしパソコンのディスプレイの隙間からみえるその表情はどこか残念そうな色さえ帯びていた。
 波江はそんな彼を見て時々言動と感情が一致しない不安定さがあると思う。まぁ、これは今に始まったことではないが。
 しかし、彼女にとってはやはりそんなことどうでもいいことだったので、あえてそれに触れることもなく変わらず事務的な声音で問う。
「大事な電話なんじゃないの?得意先とか」
 それは親切心というよりも、あとで余計な手間をかけさせられるくらいなら今すぐ対処して早く処理してしまいたいという気持ちからの助言だった。だが、それに対して臨也は変わらず軽い調子で返答した。
「別にそうでもないさ、なんなら見てみれば?」
 投げやりに言葉を返す男、一瞬隙間から見えたその表情。今度は声色と表情はちゃんと一致していた。完全に興味を失っている証拠だと、波江はどことなく思う。
 臨也にそういわれて、波江は渋々テーブルにおいてある携帯のディスプレイを覗き込む。そこに浮かんでいたのは波江も何度か見かけたことのある人物の名前だった。
「これ、この間の取引相手じゃない」
 確か一週間ほど前だ…臨也から指示を受けてメールを送ったのは波江だったからちゃんと覚えている。何度かやり取りをしたし、たしか常連だから丁寧に対応してくれとも臨也が言っていたような気がする。
 浮かび上がっている名前の人物に対して、情報を整理しながら波江は臨也のほうを向いて再び問うた。
「常連じゃないの?」
 しかし、やはり他人事のような調子だった。心の底から心配しているという様子は微塵も見られない。
 すると臨也は、彼女が視線を送っていることに気付いたのか、パソコンの画面から視線をはずしデスクチェアから立ち上がると大きく伸びをした。骨がなる音が、狂詩曲にまじって微かに響く。
 そして彼はそのままゆっくり歩くとあのルールが不可解な将棋盤の上に指先を伸ばしながら口を開いた。
「得意先、だったんだよ」
 そう言うや否か、将棋盤の端の方にあったオセロの駒を一枚手にとるとそれをゴミ箱に放った。
(あぁなんだ、そういうこと)
 その行為で波江は一瞬で理解する。この男がなぜ楽しそうで、同時に面白くない顔さえしたのかを。
 簡単なことだ、いらない駒は切り捨てる、ただそれだけ。だけどこの男はその行為にすら人間の面白さを求めているのだろう。だから必死な人間を思い愛しみ、助けを求めるように電話を掛ける相手のプロトタイプさに面白くないと思ってるのだ。ただ、それだけの話だったのか。
 そんな風に臨也と波江が何気なくやりとりをしている間にも、携帯電話はけたたましくなり響き振動を続けていた。狂詩曲は展開部までさしかかり、何かを訴えている。それは、まるで悲鳴のようでさえある。
「そう」
 臨也がゴミ箱に放った駒の意味を理解した波江は、そう短く返答するとその携帯をもはやどうでもいいものとして視線をはずした。どうやら仕事が増えるわけではないようなので、これ以上かまけている暇はないというわけだ。

作品名:蜘蛛の糸 作家名:いとり