あなたがそれを望むなら、
源田はグローブをとても大事に扱っているので、洗濯するときも特別に手洗いでしている。その関係で週末にはグローブを寮へ持ち帰る。そんな大切な物を強請ったのにも拘わらず、源田は特段表情を変えることなく、バッグから片方のグローブを取り出して佐久間に手渡した。
「ありがと。俺の靴いるか?」
「靴は……」
「冗談」
からからと笑う佐久間は譲り受けたグローブを手にはめたりしている。
「源田の手はこんなに大きいのか」
「自分の手よりも少し大きいものを使ってはいるが」
「そうなのか、……俺、結構源田と一緒にいた気がするんだけど、知らないことまだ沢山あるんだな」
グローブをはめた手を見つめながら落とした佐久間の言葉は夕方頃の、独特の肌寒さに混じって消えていった。寮と出口の分岐点まで来た二人は立ち止まる。源田の方へ向き直った佐久間は微笑を浮かべていた。しかしその唇は噛み締められていて痛ましい。
「じゃあな、源田」
「……、ああ」
「俺、お前のこと大好きだからな」
「………」
置きみやげのように、そんな事を軽軽しく言い放った佐久間はすぐさま反転して歩きはじめた。さわさわと吹く、優しい風が桜の花びらを運んできている。満開になる前に散ってしまったそれらの間、遠ざかる佐久間の背中を見ていた源田はゆっくりと、歩き始める。それが早歩き、疾走に変わった頃、既に一つの角を曲がっていた佐久間は腕を掴まれて体を強張らせた。ゆっくりと振り返った佐久間が、息を乱している源田を見上げて不思議そうに小首を傾げた。
「どうし「それなら」
するり、と指先まで掴んでいた手を下ろした源田は、佐久間のそこを握りしめて引き寄せる。
「好きだなんて、言うのなら、」
一気に縮まった距離、俯いた源田の表情がよく見える場所で佐久間は瞠目している。初めて見る、表情だった。
「行くな」
自分にはどうしようもないことだと、源田は痛いほど承知している。自分たちは親の擁護を義務的に受けなければならない、ただの中学生である。何よりも絶対的な親の決定は覆せない。言えばただ、悲しみが増大するだけだと押し込んでいた思いが出てしまった。源田はばつが悪そうに、しかし相も変わらず真摯な瞳で佐久間を見つめ続ける。
対して佐久間は、開いた唇を再び閉じ、ゆっくりとそこを三日月型にした。握りしめられている手を逆に引き寄せ、額に掲げながら嬉しそうに破顔しているのだ。
「………行かないよ。源田がそれを望むなら、俺は、行かない」
あっさりと言い放った佐久間はもう片方の手で先程のグローブを取り出すと、源田の手に嵌めていった。
「本当だ、少し、大きいんだな」
その、グローブをした手と、自分の手を、指同士絡ませるように繋いだ佐久間は、呆気にとられている源田を残し、取り出した携帯でコールをかける。
「もしもし、うん、ごめん、送った荷物、戻して。……そう、うん。やっぱり、残る」
少少の会話をした後、佐久間は通話を切る。ペンギンのストラップが場違いに揺れていた。
「佐久間、お前……」
「なあ源田、言ってくれよ、『寂しい』って」
手を強く握りながら、佐久間は僅か視線を落としている。長い睫毛がキラキラと光を受けて輝いているのに意識を向けていた源田は、自然と言葉を落としていた。
「寂しい。お前がいないと。………佐久間と、同じように」
見透かしたような物言いに小さな笑い声を漏らした佐久間は、その手を引いたまま元の道へ折り返している。つられた源田が歩き出し、先程別れた道へと戻る。そのまま寮への道を選んで更に進む佐久間は少し進んだ先でいきなり立ち止まり、繋いでいた手を放した。手持ち無沙汰になった瞬間、源田はささやかな佐久間のタックルを受けた。いつものように突拍子のない行動、源田に抱き付きながら佐久間はなおも嬉しそうに笑った。
「寂しいなら、一緒にいてやるよ」
満足気な佐久間の頭を少し撫でた源田は、苦笑しながら「嫁にでもなるつもりか」などと呟いた。その言葉にも佐久間は表情を崩すことなく、「源田がそれ望むのなら」と答えた。ああ適わない、そんなことを思いながら、源田は佐久間を抱き締め返した。
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「お前……転校するんじゃなかったのかよ……」
休みを挟んだ翌日、平然と学校に来て授業を受けている佐久間に混乱している様子の咲山がそんなことを言い放った。パックの甘い飲み物で喉を潤しながら、佐久間は緩やかに首を振った。
「しないことになった」
「簡単だな……」
「帝国には寮という選択肢があるだろ?」
「何だってこんな紛らわしいことをしたんだよ」
深い溜息と共に出た咲山の不平にも平然と、佐久間は答える。
「だって源田に引き止めてもらいたかったから」
先程よりも深い溜息を漏らした咲山は、窓の外、浮き雲の数を数え始めた佐久間への言葉を、全て呑み込むのだった。
作品名:あなたがそれを望むなら、 作家名:7727