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夏の終わりの大事件

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その日、訓練場近くの軍病院棟にはちょっとしたセンセーションが起きていた。
始まりはこうだ。


「──軍医殿!軍医殿はいるか?!急病人だ、大至急見てくれ!」
 いきなりドアを叩き付けるように荒っぽく開けて飛び込んできたのは、あの鬼のルートヴィッヒ隊長だった。
 いつも沈着冷静な彼らしくもなく、相当に焦った様子で息を切らし、腕には青ざめた顔つきの茶色い髪をした若い兵士をしっかりと抱きかかえている。
 その瞬間、居合わせた誰もが緊急事態を予感した。
 事件か?それとも何か大事故でも起こったのか?
 あたりに緊張が走った。
「こちらに乗せてください、すぐに処置室に運びます!」 
 救急担当の看護師が駆けつけ、すばやくストレッチャーを運んできた。ルートヴィッヒ隊長が苦しげな若い兵士をそっと気遣いながら乗せてやると、処置室へと移動しながらすぐに患者の容態の確認が始まった。
「状況は?」
「訓練中に突然倒れた。顔面蒼白、呼吸が浅くて速い。脈拍もかなり速くなっている。幸い意識はあるようだ。すぐに連れてきたので、倒れてからまだ10分も経ってないはずだ」
 看護師は患者の脈拍や呼吸をすばやく確認しつつ、更に質問が続く。
「名前は?」
「フェリシアーノ・ヴァルガス、イタリア軍所属だ」
「ヴァルガスさん、フェリシアーノ・ヴァルガスさん!私の言うことが分かりますか?」
 若い兵士は自分に呼びかける声に気が付いたのか、苦しげに閉じていた目をかすかに開き、身じろぎした。
「しっかりしろ、フェリシアーノ!もう大丈夫だぞ、ここは病院だ!」
 付き添うルートも慌ててフェリシアーノに声を掛ける。
 処置室の入り口に近づくと医師が合流し、看護師からすばやく患者の容態を確認の上、指示を出し始めた。そのままストレッチャーと共に、処置室へ入っていく。
 ルートもいっしょに付いていこうとしたが、処置室の入り口で看護師に止められてしまった。
「ルートヴィッヒ隊長、付き添いの方は外で待っていてください。今から医師の処置が始まりますから」
「し、しかし・・・」
 誰が病人なのか分からない程、自身も青ざめた表情のルートは、普段の彼らしくもなく口篭り、目も落ち着かなげに泳がせていた。
「ご心配なく、大丈夫ですよ。緊急事態には慣れた専門家ばかりですから、どうか落ち着いて任せてください」
「あ、ああ・・・そ、そうか・・・そうだな」
 ルートは上の空でそう答えながらも、まだ未練気に処置室のドアを見る目が彷徨っていた。


 ルートが心配げに廊下を行ったり来たりする内に、どのくらいの時間が経ったのか、ようやく待ちわびたフェリシアーノがストレッチャーに乗せられたままで処置室から出てきた。腕には点滴の管が繋がっているのが見て取れた。
「さあ、もう大丈夫ですよ、点滴が終わったら帰れますからね」と看護師が、まだ横たわったままのフェリシアーノに話しかけていた。
 それを見て、ルートも慌ててストレッチャーの側に駆け寄った。
「だ、大丈夫か、フェリシアーノ、苦しくはないか?」
「うん、大丈夫・・・」と健気に答える顔はまだ青ざめていて、お世辞にも大丈夫そうには見えないが、呼吸は先ほどよりずっと穏やかになっており、どうやら峠は越したものと見える。
 付き添っている看護師は、にこやかにルートに告げた。
「ルートヴィッヒ隊長、どうぞご心配なく。命に別状はありませんよ。今、見ての通り点滴をしていますから、これが終わるまで休んだら、その後は帰宅して大丈夫ですよ。詳しくは先生がお話しになりますから」


 そして別室に移り、点滴が終わるまでにはまだ時間がかかるからと、フェリシアーノは一旦そこのベッドに移された。その時、ちょうど医師が部屋に入ってきて、付き添っているルートに声を掛けた。
「ああ、ルートヴィッヒ隊長、ご苦労様です・・・おや、大丈夫ですか?あなたがまるで病人のような顔色だ」
 ルートの顔を見た医師は少し驚いた様子で言った。
「あなたもそこに横になってください。点滴して少し休んでいかれた方がいいですよ」
「はあ?俺は元気だ、そんなもの必要ない。第一のんきに寝ている暇などあるものか」
 ルートは驚くと同時に呆れた様にそう答えたが、医師のほうは至って真剣な様子だ。
「それならいいんですが、相当疲れていらっしゃるように見えましたので・・・。余計なお世話かもしれませんが、無理はせずにきちんと休息を取ってくださいね」
「そ、そうか・・・」
 確かにこのところ忙しくてちょっと無理をしたかもしれないが、そこまで顔に出る程疲れているつもりはないが、と思う。だが今はそれどころではない。
「俺のことはどうでもいいんだ。それで、フェ・・・いや、ヴァルガスの様子はどうなんだ?とりあえず命に別状はないと聞いたが?」
 話題があの若い兵士のことになったとたんに、打って変わって心配そうな表情になったルートに、医師は微笑みながらこう答えた。
「どうやら急性の胃腸炎のようですが、たいしたことはないので心配は要りませんよ。
少し脱水症状を起こしているようなので、念のために点滴をしましたが、すぐに良くなるでしょう。胃腸の薬と、熱が少しあるようなので、そちらの薬も3日分出しておきますから、薬局で受け取って帰ってください」
 ルートはようやく安心したように肩の力を抜いて、大きなため息を吐いた。
「そうか、よかった──」
「・・・ただですね」
 医師はルートの顔をじっと見つめながら続けた。
 これで終わりかと思った医師の言葉がまだ続くのに驚き、ルートはまた顔つきを緊張させた。
「な、何だ、まだ何か問題があるのか?」
「ヴァルガス君はどうも食生活に問題があるようですね」
 その後には更にルートも驚き呆れるような言葉が飛び出した。
「彼が胃腸炎を起こした直接の原因は、おそらく昨晩のジェラートの食べ過ぎだと思われます」
「・・・はあ?!」
「おそらくは夏バテで胃腸も弱っていたのでしょうね。疲労の蓄積など多少あるようですし。彼は若いし、こう暑いと食欲もなくなって冷たいものが欲しくなるのも分かりますが、いっぺんにジェラートを3つも食べるのは感心しませんね」
「・・・・・・」
 医師の顔をじっと見つめたまま、ルートはただ目と口をぽかんと開いて、何も言葉が出なかった。
 開いた口がふさがらないとはこういうことか、顔から火が出るというのはこういうのを言うんじゃないかと、ルートはその時しみじみと思った。本当に穴があったら入りたい・・・。
 恥ずかしさでこの場を逃げ出したいくらいだったが、フェリシアーノの保護者として、ここで挫けるわけにはいかない。ルートは大きなため息を吐いた後、やっとの思いで自尊心をどうにかこうにか掻き集めて体勢を立て直し、こう答えた。
「・・・・・・う、うむ。その件については、俺から後でたっぷりと説教しておく」
 ルートの真面目くさった様子を見て、医師はついに我慢しきれなくなったらしく、噴き出した。
「まあ、若いうちは良くあることですから。今回はたいしたこともなく済みましたし、あまり怒らずに、それとなく彼の生活に気をつけてあげてください」
「あ、ああ・・・そうか、わかった」
作品名:夏の終わりの大事件 作家名:maki