戦場の一夜
昼間の戦いがまるで嘘のように、あたりは深い闇に包まれてひっそりと静まり返っていた。草むらからは静けさを強調するような虫の音が聞える。
ルートヴィッヒたちは森の奥の少し開けて広場のようになった草地に野営地を設営していた。明日の戦闘に備え、数人の見張りだけを残して、部下達はみな早めに休ませたので、野営地全体がもうすっかり音もなく眠りについていた。
そんな中、ルートヴィッヒは話があると言ってフェリシアーノを自分のところへ呼び寄せた。暑いイメージのみが強いアフリカだが、実際には地域によっては昼夜の寒暖差が大きく、日が落ちると急激に気温が下がる。ルートヴィッヒはフェリシアーノを焚き火の前の椅子に座らせて、自分も同じく向かい側に黙って腰を下ろした。
虫の音に混ざって、時折焚き火の中でぱちぱちと薪がはぜる音がする。
「・・・どうしたの、ルート?何か話があるって・・・」
いつも元気一杯で空気を読まないフェリシアーノだが、話があると言って呼びつけておきながら一言も話そうとせず、じっとうつむいて焚き火の炎ばかりを見つめるルートヴィッヒの様子に、さすがに何かただならぬ気配を感じ取ったらしく、彼らしくもなく、じっと口をつぐんで相手が話し始めるのを待っていたが、ついに我慢しきれなくなって自分から声を掛けた。
「・・・ああ、すまない、フェリシアーノ」
ルートヴィッヒは、まるでようやくそこに彼がいることに気が付いたように慌てて顔を上げ、今度はじっとフェリシアーノの目を見つめた。
フェリシアーノはルートヴィッヒの思い詰めたような視線にたじろいで、慌てたように数回瞬きしてまた口を開きかけた。
「あのね・・・」
「フェリシアーノ・・・」
ルートヴィッヒも同時に話そうとした為、二人の言葉はまるで打ち消しあうように被さってしまい、二人ともまた口をつぐんでしまった。
ルートヴィッヒは、ほんの一瞬、再びうつむきかけたが、意を決したように深呼吸をひとつするとフェリシアーノの目をじっと見ながら話し始めた。
「フェリシアーノ、現在の戦況については、すでに分かっていると思うが我が軍にとって非常に厳しい状況だ」
「・・・うん、知ってる」
「お前をわざわざここに呼んだのは他でもない――」
そこまで言うと、ルートヴィッヒは、つと立ち上がり、フェリシアーノの側へやってきた。座っているフェリシアーノの前に膝を突き、彼の両の手を取ると、透き通った水色の瞳で、真っ直ぐにフェリシアーノの茶色のくるくるした瞳を見つめてきた。
ルートヴィッヒがこういう目をする時はかなり思い詰めている時なので少し怖かったが、同じように彼の目をじっと見つめ返しながら、フェリシアーノはこれから何が始まるのかと息を殺してじっと待ちかまえた。
「・・・明日はおそらく決戦になるだろう。それもこちらにとってかなり厳しい戦いになるのは間違いない。もちろん俺は全力を尽くすつもりだし、最初から負け戦にするつもりは毛頭ない。しかし――」ルートヴィッヒはここで言葉を切って、またほんのわずか視線を落とした。
「・・・ここは戦場だ。万が一、と言うこともありえる――」
フェリシアーノはその瞬間、息を飲んで、真っ青な顔になった。
「い、いやだ・・・!」
見る見るうちに大きく見開かれた茶色の瞳に涙が溜まり、溢れ出していく。
「いやだっ!そんなの絶対に許さないよっ!!!」
ルートヴィッヒは驚いたように少し目を瞠り、それから悲しそうな表情になった。
「・・・もちろん、たとえ何があったとしてもお前だけは、必ず家まで無事に帰らせてやるつもりだ。だから安心して・・・」
フェリシアーノはルートヴィッヒが握っていた手を振り解き、まるで体当たりするように彼の首に腕を回して抱きついた。
「お前だけは、なんて言わないでっ!絶対、絶対いっしょに帰るんだっ!」
「俺をひとりにしないで!もう置いていかれるのはいやだ!もう、二度と好きな人と別れ別れになりたくないよ・・・」
最後は嗚咽にかき消されて聞えなくなってしまった。
「フェリシアーノ、お前・・・」
フェリシアーノの過去に何があったのか、ルートヴィッヒが何も知らなかったとしても責められるべきではあるまい。彼には知りえない遥か遠い時の話なのだから。
いつもふんわりしていて、のんきで、空気を読まない子供のように無邪気なフェリシアーノ。今まで自分は彼の表面しか見ていなかったのかとルートヴィッヒは思った。まさかフェリシアーノの口からこんな言葉を聞く日が来ようとは。時々不安そうにするのはそれが原因なのだろうか・・・。
多少困惑しはしたものの、その理由をわざわざ聞き出そうとは思わなかった。いつか話したい時がくればフェリシアーノがきっと自分から話してくれるはずだ。いつか来るその日があればだが・・・とルートヴィッヒは少し皮肉に考えた。
今フェリシアーノに必要なのは、そんなものではない。それはたぶん自分にとっても同じなのだろうとルートヴィッヒは感じていた。必要なのはお互いのぬくもり、そして今、生きて共にあることを確かめることだけだった。
明日どうなるかは分からないにしても、今だけはそのぬくもりを感じていたいとルートヴィッヒは思った。
「すまない、驚かせてしまったようだ。怖がらせるつもりではなかったんだ、フェリシアーノ」
首にしがみついたまま泣きじゃくるフェリシアーノをしっかりと抱きしめて、優しく背中をさすり、髪をなでてやりながらルートヴィッヒは彼に話し掛けた。
もう一度よく話して聞かせようかとも思ったが、ルートヴィッヒは思い直した。今のフェリシアーノにそんな話をして何になろうか。それよりももっと大切なことがあったはずだ。
「・・・大丈夫だ、きっと二人でいっしょに家に帰ろうな、フェリシアーノ」
口に出してはそれだけしか言わなかったが、ルートヴィッヒは自分としてはできる限り優しく声を掛けるように気を配ったつもりだった。
まだ泣いているフェリシアーノから声に出して返事はなかったが、ルートヴィッヒは首に回された手にきゅっと力が入るのを感じた。しばらくの間、二人の間に言葉は交わされず、ただフェリシアーノのしゃくりあげる音だけが時折暗闇の中に零れ落ちていった。
「・・・愛している、フェリシアーノ」ルートヴィッヒは突然、抱きしめたフェリシアーノの耳元でそっと囁いた。
「えっ・・・?」
フェリシアーノは思わず彼の首に回していた手をはずして、ルートヴィッヒの顔をまじまじと見つめて問い直した。
「・・・今、何て言ったの?」
ルートヴィッヒは、普段の彼からは考えられないほど優しく微笑みながらフェリシアーノの目を真っ直ぐ見つめてこう答えた。
「愛している、と言ったんだ」
「うそ・・・」思わずフェリシアーノの口から零れた言葉はこれだった。
仮に本当にそう思っていたとしても、照れ屋の彼の口から間違ってもそんな言葉が出るはずがないとフェリシアーノは知っていたから。
ルートヴィッヒは今度は少し笑って、もう一度答えた。「うそじゃない、本当だ」
「どうして・・・」
するとルートヴィッヒの表情が一変し、今度はいつもの怖いくらい真剣な顔つきになった。
ルートヴィッヒたちは森の奥の少し開けて広場のようになった草地に野営地を設営していた。明日の戦闘に備え、数人の見張りだけを残して、部下達はみな早めに休ませたので、野営地全体がもうすっかり音もなく眠りについていた。
そんな中、ルートヴィッヒは話があると言ってフェリシアーノを自分のところへ呼び寄せた。暑いイメージのみが強いアフリカだが、実際には地域によっては昼夜の寒暖差が大きく、日が落ちると急激に気温が下がる。ルートヴィッヒはフェリシアーノを焚き火の前の椅子に座らせて、自分も同じく向かい側に黙って腰を下ろした。
虫の音に混ざって、時折焚き火の中でぱちぱちと薪がはぜる音がする。
「・・・どうしたの、ルート?何か話があるって・・・」
いつも元気一杯で空気を読まないフェリシアーノだが、話があると言って呼びつけておきながら一言も話そうとせず、じっとうつむいて焚き火の炎ばかりを見つめるルートヴィッヒの様子に、さすがに何かただならぬ気配を感じ取ったらしく、彼らしくもなく、じっと口をつぐんで相手が話し始めるのを待っていたが、ついに我慢しきれなくなって自分から声を掛けた。
「・・・ああ、すまない、フェリシアーノ」
ルートヴィッヒは、まるでようやくそこに彼がいることに気が付いたように慌てて顔を上げ、今度はじっとフェリシアーノの目を見つめた。
フェリシアーノはルートヴィッヒの思い詰めたような視線にたじろいで、慌てたように数回瞬きしてまた口を開きかけた。
「あのね・・・」
「フェリシアーノ・・・」
ルートヴィッヒも同時に話そうとした為、二人の言葉はまるで打ち消しあうように被さってしまい、二人ともまた口をつぐんでしまった。
ルートヴィッヒは、ほんの一瞬、再びうつむきかけたが、意を決したように深呼吸をひとつするとフェリシアーノの目をじっと見ながら話し始めた。
「フェリシアーノ、現在の戦況については、すでに分かっていると思うが我が軍にとって非常に厳しい状況だ」
「・・・うん、知ってる」
「お前をわざわざここに呼んだのは他でもない――」
そこまで言うと、ルートヴィッヒは、つと立ち上がり、フェリシアーノの側へやってきた。座っているフェリシアーノの前に膝を突き、彼の両の手を取ると、透き通った水色の瞳で、真っ直ぐにフェリシアーノの茶色のくるくるした瞳を見つめてきた。
ルートヴィッヒがこういう目をする時はかなり思い詰めている時なので少し怖かったが、同じように彼の目をじっと見つめ返しながら、フェリシアーノはこれから何が始まるのかと息を殺してじっと待ちかまえた。
「・・・明日はおそらく決戦になるだろう。それもこちらにとってかなり厳しい戦いになるのは間違いない。もちろん俺は全力を尽くすつもりだし、最初から負け戦にするつもりは毛頭ない。しかし――」ルートヴィッヒはここで言葉を切って、またほんのわずか視線を落とした。
「・・・ここは戦場だ。万が一、と言うこともありえる――」
フェリシアーノはその瞬間、息を飲んで、真っ青な顔になった。
「い、いやだ・・・!」
見る見るうちに大きく見開かれた茶色の瞳に涙が溜まり、溢れ出していく。
「いやだっ!そんなの絶対に許さないよっ!!!」
ルートヴィッヒは驚いたように少し目を瞠り、それから悲しそうな表情になった。
「・・・もちろん、たとえ何があったとしてもお前だけは、必ず家まで無事に帰らせてやるつもりだ。だから安心して・・・」
フェリシアーノはルートヴィッヒが握っていた手を振り解き、まるで体当たりするように彼の首に腕を回して抱きついた。
「お前だけは、なんて言わないでっ!絶対、絶対いっしょに帰るんだっ!」
「俺をひとりにしないで!もう置いていかれるのはいやだ!もう、二度と好きな人と別れ別れになりたくないよ・・・」
最後は嗚咽にかき消されて聞えなくなってしまった。
「フェリシアーノ、お前・・・」
フェリシアーノの過去に何があったのか、ルートヴィッヒが何も知らなかったとしても責められるべきではあるまい。彼には知りえない遥か遠い時の話なのだから。
いつもふんわりしていて、のんきで、空気を読まない子供のように無邪気なフェリシアーノ。今まで自分は彼の表面しか見ていなかったのかとルートヴィッヒは思った。まさかフェリシアーノの口からこんな言葉を聞く日が来ようとは。時々不安そうにするのはそれが原因なのだろうか・・・。
多少困惑しはしたものの、その理由をわざわざ聞き出そうとは思わなかった。いつか話したい時がくればフェリシアーノがきっと自分から話してくれるはずだ。いつか来るその日があればだが・・・とルートヴィッヒは少し皮肉に考えた。
今フェリシアーノに必要なのは、そんなものではない。それはたぶん自分にとっても同じなのだろうとルートヴィッヒは感じていた。必要なのはお互いのぬくもり、そして今、生きて共にあることを確かめることだけだった。
明日どうなるかは分からないにしても、今だけはそのぬくもりを感じていたいとルートヴィッヒは思った。
「すまない、驚かせてしまったようだ。怖がらせるつもりではなかったんだ、フェリシアーノ」
首にしがみついたまま泣きじゃくるフェリシアーノをしっかりと抱きしめて、優しく背中をさすり、髪をなでてやりながらルートヴィッヒは彼に話し掛けた。
もう一度よく話して聞かせようかとも思ったが、ルートヴィッヒは思い直した。今のフェリシアーノにそんな話をして何になろうか。それよりももっと大切なことがあったはずだ。
「・・・大丈夫だ、きっと二人でいっしょに家に帰ろうな、フェリシアーノ」
口に出してはそれだけしか言わなかったが、ルートヴィッヒは自分としてはできる限り優しく声を掛けるように気を配ったつもりだった。
まだ泣いているフェリシアーノから声に出して返事はなかったが、ルートヴィッヒは首に回された手にきゅっと力が入るのを感じた。しばらくの間、二人の間に言葉は交わされず、ただフェリシアーノのしゃくりあげる音だけが時折暗闇の中に零れ落ちていった。
「・・・愛している、フェリシアーノ」ルートヴィッヒは突然、抱きしめたフェリシアーノの耳元でそっと囁いた。
「えっ・・・?」
フェリシアーノは思わず彼の首に回していた手をはずして、ルートヴィッヒの顔をまじまじと見つめて問い直した。
「・・・今、何て言ったの?」
ルートヴィッヒは、普段の彼からは考えられないほど優しく微笑みながらフェリシアーノの目を真っ直ぐ見つめてこう答えた。
「愛している、と言ったんだ」
「うそ・・・」思わずフェリシアーノの口から零れた言葉はこれだった。
仮に本当にそう思っていたとしても、照れ屋の彼の口から間違ってもそんな言葉が出るはずがないとフェリシアーノは知っていたから。
ルートヴィッヒは今度は少し笑って、もう一度答えた。「うそじゃない、本当だ」
「どうして・・・」
するとルートヴィッヒの表情が一変し、今度はいつもの怖いくらい真剣な顔つきになった。