戦場の一夜
「俺は後悔したくないから、今、お前に本当の気持ちを伝えておきたい」
「・・・・・・」
フェリシアーノはまだルートヴィッヒの真意を図りかねているように見えたが、彼はそんなことにはお構いなく続けた。
「フェリシアーノ、俺から一つだけ頼みがある。無理強いはしない、もちろん嫌だったら断ってくれても構わないが、話だけは聞いて欲しい」
フェリシアーノは黙ってこくりとうなづいた。
「男としてお前に頼みがある」
ルートヴィッヒと見詰め合うフェリシアーノの目には、彼の薄水色の瞳に、射貫くような青い決意の光が宿っているのが見えた。しかし、その後に続く言葉はフェリシアーノにとっては意外なものだった。
「・・・今夜一度だけでいい、その、お前のことを・・・抱かせて欲しい」
ここまで来て迷いが生じたのか、一瞬言い淀んでしまったルートヴィッヒは、ほんのわずか目を逸らして頬を赤らめた。
「・・・えっ!」
フェリシアーノは驚いて目を丸くした。それから同じくそっと目を逸らしたが、なぜか少し悲しげな陰りが顔を覆った。
「俺、童貞だし・・・何にも知らないし、きっと俺のことなんか抱いても楽しくないよ・・・」
ルートヴィッヒは少し青ざめて息をのんだ。フェリシアーノはうつむいて、また涙ぐんでいた。
「そうか・・・嫌なら仕方ない。俺は本当にお前のことが好きだ。だから・・・さっきも言った通りだ、無理強いするつもりはない」
少し悲しそうにそう言うと、ルートヴィッヒはフェリシアーノから離れて立ち上がった。
「・・・すまない、嫌な思いをさせてしまったな、フェリシアーノ」
くるりと背を向けてそのまま去るのかと思ったが、振り向いたルートヴィッヒは、今度は何か吹っ切れたような笑みを浮かべてフェリシアーノに手を差し伸べた。
「明日も早いのに、こんな遅くまで引き止めてすまなかった。もう夜も遅いから、お前のテントまで送って行こう」
フェリシアーノは差し伸べられたルートヴィッヒの手を見た、そしてそのまま視線を上げて彼の顔を見上げた。
時折、他の誰でもなく、自分にだけ見せてくれるあの笑顔がそこにあった。フェリシアーノの瞳から涙が零れ落ちた。
「お、俺・・・あのね・・・違うんだ!ルート、ごめんなさい!」
フェリシアーノはいきなり立ち上がり、ルートヴィッヒに激しく抱きつくと、また泣きじゃくり始めた。
「フェリシアーノ・・・?」
困惑しながらもフェリシアーノを抱き寄せると、ごめんなさい、ごめんなさい、と嗚咽に混じって小さな声が何度も何度も聞えてきた。
「泣くことはないぞ、フェリシアーノ。お前は何も謝ることなんかないんだ。無理を言ったのは俺の方だからな」
「ううん、違うの、ちがうの・・・」
「・・・何が違うんだ?」ルートヴィッヒは微笑みながら、フェリシアーノに優しく問い掛けた。
ひとしきり泣いた後、フェリシアーノは涙に濡れた子犬のような瞳でルートヴィッヒを見上げた。こちらをまっすぐに見つめる赤く潤んだ瞳にルートヴィッヒの心臓はドキリと高鳴った。
――こいつの泣き顔なんて今更珍しくもないはずなのに・・・
「・・・あのね、ルート、笑わないで聞いてくれる?」
「ああ、もちろんだとも」ルートヴィッヒは優しく微笑んだ。
普段から笑顔が苦手な彼だったが、今のフェリシアーノの前では自分でも不思議なくらい造作もなく微笑むことができた。
「――俺、ルートに嫌われたくないと思って・・・」
「ええっ?」今度は驚くのはルートヴィッヒの番だった。
「嫌われるって・・・また、どうして・・・?」
「だって・・・ルートが言ってるのは、フランシス兄ちゃんの本に載ってたあれでしょ?」
「俺の部屋にあったのを見たのか」
「・・・うん」
フェリシアーノはどうやら、フランシスが勝手にうちに置いて行った、例の本を読んだらしい。
「いろんなすごい技がいっぱい載ってて、ほんとすごいよね・・・」
――こいつは一体何が言いたいのだろうか・・・?
ルートヴィッヒの疑問はフェリシアーノの次の一言で一気に氷解した。
「でも、俺にはできそうもないと思って・・・」
それを聞いた瞬間、ルートヴィッヒは我慢できず一気に、それも盛大に吹き出してしまった。
「ひどいや、ルートぉ!だから笑わないでって言ったのにぃー!」
フェリシアーノがむくれるのも無理はないと思ったが、ここはどうしたって笑うなと言う方が無理だ。ルートヴィッヒはひとしきり、苦しくなる程笑い転げた。
しばらくしてようやく笑いの発作が治まると、ルートヴィッヒはまだふくれっつらをしているフェリシアーノを抱きしめた。先ほどまでの緊張がすっかりほぐれて、嘘のように気が楽になった。
「いいか、フェリシアーノ。これは<技>の問題じゃないんだ。大事なのは気持ちなんだ、分かるか?」
「・・・うん」
今や、まじめな顔をして諭すのも一苦労だが、ルートヴィッヒにはこんな苦労ならいくらあっても構わないように思えた。
「そっちの方はどうなんだ?気持ちの話だが、俺とじゃ嫌じゃないのか?」
「・・・うん、全然嫌じゃないよ。ルートとなら・・・」語尾は少しかすれて小さくなった。軽くうつむいたフェリシアーノの顔が少し赤くなっていた。
「・・・怖くはないか?」
ルートヴィッヒは今度は少し真剣な顔でフェリシアーノに問い掛けた。
「う・・・うん、だいじょうぶ・・・たぶん」
そう言いながらも、フェリシアーノの顔はほんの少し青ざめて、目が泳いでおり、肩もかすかに震えているのが見て取れた。
ルートヴィッヒはふうっ、とひとつ大きく息を吐くと、また優しく微笑んでフェリシアーノの肩に両手を掛けるとそっとこう言った。
「・・・ありがとう、フェリシアーノ。今はその気持ちだけで充分だ」
「・・・ル、ルート?でも・・・!」
「大丈夫、心配するな。ふたりで必ず生きて帰ろう。その時はきっとお前のことを・・・」
そう言いながらルートヴィッヒが口づけをしてきた為、最後の言葉はフェリシアーノには聞き取れなかった。
恋人との甘いキスに身を委ねながら、フェリシアーノはこんなことを思っていた。
――うん、その時は俺、がんばるから!
そんなフェリシアーノの心のうちを知ってか知らずか、ルートヴィッヒの口づけはいつもよりずっと優しいようにフェリシアーノには思えた。